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大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

王羲之と淳化閣帖

2005-12-27 15:08:55 | 文学・文芸・芸術

<蘭亭序(らんていじょ)>

王羲之(おうぎし)の「書」の中で有名な「蘭亭序(叙)」というのは、353年
3月3日に、蘭亭という別荘(現在の浙江省紹興市)に文人たちを集めて曲
水の宴を開いたときに作った参加者の詩集の序文の草稿をいうが、これが
有名なのは、勿論、文字がすばらしいことが第一であるが、その草稿を、後
で本人が書き直したのだが、どうしても草稿以上の文字が書けなかった、と
いう言い伝えが残っていることにもよる。


<卒意の書>

つまり、うまく書いて人に見せるという意識がなく、こころの赴くまま、自由
に書いた書であるから、というのが定説になっている。その純粋な心で書
いた書のことを、「卒意の書」と言っている。


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前回と今回載せた「淳化閣帖」(じゅんかかくじょう)とは何か。

<淳化閣帖>

淳化閣帖とは、宋の太宗皇帝が翰林侍書の王著に命じて、淳化3年(992年)
に完成させた宮中所蔵の歴代法帖(書道の手本書)の名蹟集全10巻のこと
である。淳化閣帖は中国に伝わる最古の法帖といわれている。
しかし、初拓本は早く失われていたといわれており、宋、明、清代に多くの
翻刻本や校訂本がつくられたという。


<王羲之の淳化閣帖>

淳化閣帖全10巻のうち、巻六、七、八が王羲之の書である。


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<文字の歴史と王羲之の書体→草書・行書>

王羲之は、

 大篆(だいてん、又は篆書)、隷書(れいしょ)、草書、行書、楷書 と

つづく五書体のうち、特に、草書と行書を完成させたといわれている。
楷書は、魏時代(220~264)に始まり、王羲之が活躍していた東晋時代
(317~420)には既に完成していたといわれており、王羲之も楷書を残し
ているが、記年の入った肉筆楷書としては、449年の「持世第一」が最古
となるため、楷書は5世紀以降に確立された、というのが一般的である。

いずれにせよ、「篆書」の前にも「甲骨文」とか、「金文」があり、そこから
「大篆(篆書)」が生まれ、大篆から実用的な文字として「隷書」(篆書に
隷属した書)が誕生し、その文字の速書きとして草隷が、さらに発展して
王羲之の「草書」「行書」へと発展していったようである。「楷書」の誕生
もこの前後と考えられる。


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<わが国におけるの別の発展>

われわれが現在使っている漢字の祖先はいろいろな変遷を経て今日が
あることを考えると、なかなか味わい深いものがある。わが国では、漢字
に加えて、片仮名、平仮名という、すばらしいものを考案した。このことは
大いに誇るべきものと思われる。


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<淳化閣帖のいろいろ>

下記の淳化閣帖は、年代も書いた人も異なるが、真ん中の縦長で掲載
したものは、文字の太さが他の二つよりも少し太いような気がする。
後の世に、名筆と言われる人たちが書き写したものでも、書く人に
よってこのような違いがあることは、かえって面白い。それにしても、
下の横書きの漢字から推測できる淳化閣帖の文字は少ない。草書、
行書の崩し方の決まりを理解しないと、絵画をみているようだ。それは
それで夢幻の楽しみではあるが・・・。


   <横書き→>

    適 得 書 知 足 下 問 吾

    欲 中 治 甚 憒 ゝ 向 宅

    上 静 佳 眠 都 不 知 足 下

    来 門 甚 無 意 恨 不 蹔

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下記はいずれも書道博物館所蔵のものである。(冒頭の建物は書道博物館)


<王羲之・欽定重刻淳化閣帖> 清・1769年






<王羲之・淳化閣帖ー粛府本ー> 明・1625~1621年






<王羲之・淳化閣帖ー孫氏本ー> 明・1506~1521年




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