昨日の「ちゃぼ草」、
その草は、
ネットスラングの「w」か?
とか、考えながら、
北へ走ること20分くらいかな。
「w」のようなイメージが、
草には
もうあったのかもしれない。
艶袱紗の存在は
明治時代に
さかのぼるそうで。
「w」の歴史は
そんなにも深いのかと。
なんてことを考えながら、
ブタウスの海岸に立ち。
今はなきブタウス。
昭和23年かな?
地質調査所の図幅
(ずふく)には
ブタウスの記載がある。
ここらは石灰岩が出るので、
何か海に磨かれた
気のきいた小石でもと。
日本海側は、
メノウとか琥珀とか
ツノガイの化石とか
面白いものが
割と見つかったんだが。
どっかの教授が、
ビーチコーミングとか
流行らせる前はね。
オホツク側は、
何もないなぁ。
新鮮な殻つきホタテとか、
新鮮なニシンとかなら、
シケの翌朝、
割と見つかるけど。
ただし、
地元のアカチャンたちとの
競争が激しい(笑
ここには、もう、
そんな賑わいもないけど。
「草」、調べてみたら、
庶民の、お茶の間の、
みたいなニュアンスが、
もとからあった。
草野球、草競馬etc.
ちゃぼ草。してみると、
なかなかいい
ネーミングだなと。
風が速くて、
カモメが超速で
海岸へりを飛んでいく。
しかし波の
ザアという音はしない。
しないというか、
ここまで届かない。
この白波の立ちようからは、
ちょっと
予想がつかないほど
静かだな。
消えたブタウス。
名前が面白いので
郷土館の本を引いた。
消滅の理由は、
ありふれたものだった。
遅くとも
縄文時代の晩期、
紀元前3世紀ごろから、
人々はそこで暮らした。
ブタウスとは、
何を表現した名前なのか。
縄文人やオホツク人に
聞かなければ分かるまい。
アイヌ語地名と
宣伝されるものは、
土着の人々の呼称を
アイヌ語に取り込んだ
ものも少なくない。
まあ尻別とかも今は
日本語と言われるから。
失われた人々の研究は、
実際、ほとんど
進んでないね。
間もなく、
オホツク海とオサラバ。
内陸を抜けて、
幌延方面へ。
その思い出に1枚。