おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

いつぞやの札幌続き

2024年05月31日 | 珈琲

いつぞやの続きですが(笑

こうしてブログを書くことが、

札幌帰れないことの

ほとんど唯一の代償

になってます

orz..

この前みつけた

十数年前のデジカメばかり

このごろは使うようになり。

だってさ、

休みの日くらい、

呼び出し音から

開放されたいじゃない?

それに、スマホのカメラって、

結局は、撮れればいいや、

みたいな。

デジカメのほうが、

機能が揃ってて

僕的には使いやすいです。

北海道も

もうすっかりと

緑の大地になって。

緑つながり

なんて洒落たことは

今思いついたんで(笑

タリーズの緑のパスタ。

限定品の

瀬戸内レモンのほうが

好きだな。

中央区最古級の商業ビルも

まだまだ現役。

あれ?

今見たら、

テレビ塔、工事中なのね。

生ではなかなか

気づかないことも

写真になると

気づかれたりするもので。

そうそう。

また乗せ忘れてましたが(笑

行きつけの喫茶で、

平日日替わりランチなるものが

登場してきました。

木曜日のオムライスは

僕的にオススメです。

というのも、

昭和の時代に

レストランとかじゃなく

喫茶店で出されてた

当時のオムライスだからで

(個人的な思い出に拠る)。

お昼時は

満席状態なので、

13時過ぎがオススメ。

あと、

定番のしゃけ定食は、

ランチの時間には

注文できなく

なりつつあります。

ランチを外した時間

朝のうちとか、

15時以降とかで

注文したほうがいいみたい。

あれれ、

まだ写真あるわ。

恒例、ESTAの屋上とか。

まあそのうち(笑

 


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審判

2024年05月31日 | 小金井充の

 長い長いエスカレーターが、空の上の雲まで続いていた。教育者は、昔、そういう場面を、猫と鼠のアニメで見たなと思いながら、ひとりぼっちで、空の高みへと、ゆっくりゆっくり運ばれていく。下界を眺めれば、我が家の屋根が見え、見慣れた大通り、そこから山のきわまで広がる、住み慣れた街の景色が広がっている。街外れの墓地に、ひと群の黒い人影があり、かすかに鎮魂の鐘が聞こえたようだ。人間、死ぬときはひとりぼっちだと言うが、本当なんだなと、教育者は思った。寂しい限りだ。しかし、この高みから見下ろしても、人だかりが見て取れるほどの人数が、自分を見送ってくれたのだ。そのことが誇らしくもあり、勇気づけられもした。教育者は、甥が着せてくれた、一番お気に入りの背広を正し、先立った妻からの、最後の贈り物のネクタイを締めなおした。胸を払い、ついでに肩を払って、常世のチリを落としたつもりだ。見上げれば、エスカレーターの動きに従い、輝く真っ白な雲が、ゆっくりゆっくりと近づいてくる。あれが天国かと、教育者は、細いフレームの丸みを帯びた眼鏡をかけなおして、その雲の妙なる陰影に見入った。かすかに、ざわめきが聞こえる。どうやら、あそこには沢山の人たちがいるようだ。地上を去って、つかの間の寂しさが、教育者のそこへの焦がれを、一層、強いものにした。
 ようよう、エスカレーターは終わりを迎えて、教育者は、幾本もの光の柱が立ち昇る、その真っ白な世界へと降り立った。重力はあるなと、一歩一歩確かめながら、教育者は考えた。してみると、ここはまだ地球なのか。向こうにはやはり、沢山の人たちが整然と列を作っており、ただあのアニメと違うのは、みな、それぞれの服装をしていて、誰も白いベールをまとっていないことだ。しかし、それはどうでもいい。この光景を見ろ。ここが天国でなくて、どこだというのだろう。教育者は、今まさに自分が目の当たりにしているこの眺めを、至極当然のものと思った。人生、振り返れば、本当に苦労をしてきた。言葉ではあったが、敵を倒さねばならぬことも、少なからずあった。そのことで咎められるのであれば、致し方あるまい。包み隠さず、ありのままに事情を話そう。教育者の全身が、今、恵まれた人生を歩んだ者だけが醸しだす雰囲気をまとって、光り輝いている。そう考えるだけで、目頭が熱くなるのを、教育者は覚えた。どんなに長く辛くても、最後には、報いが必ずあるものだ。実感に打たれて、教育者は夢見心地で群集の列に加わった。あちこちから、再開の喜びや、明るい笑い声が聞こえてくる。もしも地獄であれば、こうはいかない。教育者は、この先、自分が迎えるだろう場面を想像して、胸が熱くなった。これだ。この報いこそは、人生の総決算なのだと、教育者は感動した。そして感動のあまり、前に並ぶ婦人に声をかけた。
 「ここは天国でしょう。」教育者の声に、疑いはなかった。
 婦人は教育者を振り返って、微笑むと、白く縁取られた青いドレスの裾をつまんで、少し膝を折って見せた。都会ではもう、そんな挨拶の仕方はやらない。このご婦人はどこか地方のかたなのだろうと、教育者は親しく思った。よく見れば、ドレスは、幾つか別の青い生地から出来上がっている。婦人は、差した小ぶりな日傘を、少し上げて、その影に教育者を入れようとした。
 「ええ。わたくしも、ここが天国だろうと思いましてね。官吏のかたに聞いてみましたのよ。そしたら、天国ではないとおっしゃいますの。地獄でもないと。」
 婦人の言葉に、教育者は辺りを見渡した。官吏など、いただろうか。見渡す限り、さまざまな服を着た人々しかいない。無論、軍人や警官もいるが、そういう意味での官吏ではあるまい。辺りを一渡り見回してから、教育者は婦人に目を戻した。
 「官吏が。しかし、今はいないようですな。」そう言いながら、教育者はまた、辺りを見回す。
 「ええ。少し前に、みなさん、門の向こうへ下がりましたわ。」
 「え、門?」と、思わず声に出た教育者の目線を、婦人が白い手袋をした指先で導く。そこには確かに、大きな門があり、今しがた、それが開かれたように見えた。
 「あ、開きましたな。すると、これから審判が始まるのですね。」教育者は、小手をかざして、開け行く門を望んだ。群集のざわめきが静まる。教育者も群集も、門からやってくる、白いベールに包まれ、大学帽のような小高い帽子をかむった人々の姿を見つめた。ひとしお、群集のざわめきが高まる。あれが判事か。私たちの行方を決めるのね。教育者もまた、群集と同じ不安と憧れとをもって、その一群の白い人々を眺めた。
 やおら、その白い人々が、群集の誰かに向かって、それぞれ、無言で指を差す。するとまるで、ベルトコンベアに乗せられた荷物が仕分けされていくように、群集のなかから、ひとり、またひとり、歩くこともなく、時に座り込んだままで、スムーズに滑るようにして、その白い人々の前へと運ばれていく。雲に隠れて、椅子が用意されていたのだろう。白い人々は、おのおのの席に着座して、運ばれ来る人々と対面を始める。聖書にある通り、白い人々の前に、分厚い書物があらわれて、開かれ、白い人々の指がその紙面をなぞる。書かれてある通りだと、群集は興奮して、口々に褒め称えた。
 突然、つんざくような男の叫び声が響いて、群衆は静まり返り、一度にその声のほうを見た。誰かが赤く燃えて、彗星のように落下していく。ヒャッと小さな叫び声をあげて、婦人は教育者の腕に抱きついた。日傘がクルリと回って、ふわりと雲の上に落ちる。群衆の雰囲気も一変した。
 その刹那、教育者は、自分の腕が引かれていくのを感じた。見れば、婦人の体が静かに動いていく。その抱きつく腕は、するりと教育者の腕を滑って離れ、婦人は座り込んだまま、自分を指差す白い人物のほうへ、何の障害もなくスムーズに移動していく。婦人は片手を雲の上に突き、残る片手を、教育者のほうへ差し出す。思わず、教育者は婦人のあとを追った。子供らの姿が、その姿にダブって見えた。
 白い人物は、婦人とともに自分のもとへと来る教育者の、哀れみに満ちた姿を見てとると、「お前の番はまだだ」と、毅然として言った。
 教育者は、その声の重みに、思わず立ち止まったが。しかし、この哀れむべき婦人のために、意を決して、その白い人物の視線に立ちはだかる。
 「ここに居させてください。ご覧なさい。ご婦人はふるえている。」教育者は、自分の言葉の半ばにはもう、自信を取り戻していた。しなやかな姿勢で、その白い人物を見返す。
 「よかろう」と、白い人物は言った。そしてもう、教育者のことなど忘れたというふうに、その視線は婦人だけに向けられた。
 教育者は、休めの姿勢で足を出し、腕を組んで、婦人と白い人物との問答に耳傾ける。必要を感じれば、いつでも、婦人に加勢するつもりだ。
 白い人物の前に、厚い書物が開かれ、その指が、一行一行をなぞる。声には出されないが、婦人には、書いてあることが逐一、伝わっているようだ。段落を終えるごとに、婦人の姿勢が変わるので、それが知れた。白い人物が、やおら、顔を起こす。
 「間違いないか」と、白い人物が婦人に聞く。その高圧な態度に、教育者は怒りを覚えた。
 「はい。」とだけ、婦人は答える。そしてうつむいてしまい、その口から嗚咽が漏れるのを、教育者は聞いた。なんたる、痛々しい尋問だろう。教育者のみけんに、おのずとシワが寄る。こめかみに、細い血管が青筋を立てた。
 「ちょっと」と、思わず、教育者は言った。まだいたのかというふうに、白い人物が顔をあげ、教育者を睨む。関心は引いたと、教育者は思った。すかさず、教育者は言葉を続ける。
 「このご婦人は、生前、ずいぶん泣かされてきたのです。死んでなお、泣かされる必要がありますか。」相手が口を開く前に、まず論点をハッキリさせておかねばならない。教育者は、そこでわざと言葉を切り、相手から目をそらして見せた。眼鏡のつるをつまんで、位置をなおす。レンズがキラリと光る。
 しかし、白い人物は、何も言わないまま、分厚い書物へと視線を戻して、続く段落を、その指で追い始めた。婦人は顔をもたげて、両手を雲の上に突いたまま、ほかには聞こえない声に、聞き入っているらしい。
 教育者は、見るからにイライラした態度で、相変わらず腕を組んだまま、その様子を眺めている。こんな屈辱は、久しぶりだ。無名だった若い時分は、ずいぶんこういう目に遭ったが。しかし、世間に認められて以来、今日までなかったことだと、教育者は腹立たしく思った。
 「いえ、それは……」と、婦人は消え入るような、か細い声で言った。「それは……」と繰り返したが、上手く言えないようだ。
 この婦人も、十分な教育を受けられなかったのだなと、教育者は心の内で哀れんだ。なんたることか。教育者は、自分の努力が、まだ及んでいない人が、こうして目の前にいることを、深く悲しんだ。思わず膝を折って、教育者は、婦人と同じ目の高さに、自身の身を置く。
 「落ち着いてください。言葉を選ぶ必要はありません。ご自身の言葉でいいんです。言葉を重ねれば、あの人も理解してくれるでしょう。」教育者は、婦人に優しく話しかけて、白い人物の顔を仰いだ。
 「はい」と、婦人はようやくに言って、呼吸を整えながら、二言、三言話し始める。
 白い人物は、別に何も言わず、婦人の言葉に耳傾けている様子。相変わらず、教育者の存在を、忘れたような素振りでいるが。しかし、教育者にしてみれば、気にもならなかった。こんなこと、何度も経験したことだ。
 婦人のたどたどしい話を聞き終えて、白い人物は、ただ、「よろしい」と宣告した。教育者は、驚いて、一歩二歩、あとずさった。婦人の姿は、急に輝き始めて、音もなく、浮かびだす。
 「ありがとうございます。最後に、伝えたいことを、伝えることができました。」婦人は、教育者を振り返って、頬を涙で濡らしつつ、頭を下げた。その姿は、次第に形を失い、ついに光となって、大きな門へと入る。
 ああ、あのご婦人は、天国へ行ったのだなと、教育者は、にこやかに手を振りつつ、しみじみと思った。背後で、群集がざわめく。あの人はすごい。自分もぜひ、言葉添えを願いたいものだと、人々が口々に言うのを、教育者は満足して聞いた。
 しかし、群集の願いは、叶わなかった。教育者は、自分がいつしか、滑るように移動しているのに気がついた。いよいよ私かと、教育者は、背広の襟を正す。自分が引かれた先は、先の白い人物よりも、見たところ、ずっと若い人物のように思えた。なんだか、見たことのある顔だなという気がして、よくよく見れば、それは、かつて自分が教えたクラスの、落第生ではないか。
 「君は……」と、教育者は言って、その人物の名前を思い出そうと、指を額に添えた。しかし、思い出せない。この生徒が自分に関心がないのと同じく、自分もまた、この生徒に関心がなかったのを、教育者は、痛烈に思い出した。なんということか。若木の至りだと、教育者は唇を噛んだ。
 「すまない。君の名前を思い出せないんだ。あのころ、私はまだまだ若造に過ぎなかった。」教育者は、その若い人物に、頭を下げた。
 「僕も、あなたに興味ないです。」と、素っ気なく、若い人物は言って、先の婦人のものと変わらない厚さの書物を開いた。
 「それは、ありがとう。」とだけ、教育者は答えて、あとは黙って、ほかには聞こえない声の到達を待ったが。しかし、この人物は、普通に、みなに聞こえる声を出して、教育者との問答を始めた。
 「あなたは教育者ですね」と、若い人物が言う。
 教育者にしてみれば、これは答えるまでもない。皮肉かなとも思いながら、教育者は、微笑み返すだけで済ませたが。しかし、若い人物からの次の質問で、教育者は凍りついた。
 「あなたは、大勢の人たちから、訴えられています。」分厚い書物を指で追いながら、若い人物は淡々とそう言った。実際、そう言ってから、若い人物は黙ったまま、分厚い書物を三枚、四枚とめくった。
 「え……、なぜ?」とだけ、教育者は言うことができた。自分の人生を急いで振り返ってみても、そんな沢山の人たちから訴えられる理由は見つからない。現に、今さっき、ひとりの婦人を救ったじゃないか。
 「あなたは多くの子供たちから、学びの機会を奪ったのです。」と、若い人物は、罪状を淡々と述べた。教育者の顔が、にやけてくる。
 「ねぇ君、ちょっと、何を言われているのか、分からないが。」一体、この人物は、何を言っているのか。嫌がらせなのか。妬みからか。それなら、あるかもしれないと、教育者は真顔に戻った。仕返しというのなら、応戦せざるをえまい。なんてことだ。死んでまで、戦わねばならんとは。しかも相手は、落第生とはいえ、教え子だ。
 「あなたの教育の信条を、聞かせてください。」若い人物は、分厚い書物を閉じて、背筋を伸ばし、教育者と真っ直ぐに対面した。
 いいだろうと、教育者は思った。人生の集大成に、それを語る機会を設けてもらったというのならば、粋な計らいというものだ。教育者は、かつて教壇にあった時と同じに、両手を後ろに組んで、その場を逍遥しつつ、語り始めた。
 「子供の自主性を前提にすることは大事だが、ただ子供に任せてしまうのはよくない。経験ある者が、陰からサポートしなくては。課題の解決、コミュニケーション能力、洞察力、リテラシー。この四つの基本を軸にして、適当な機会に、子供の興味関心をそそるものを、与えてやらねばならん。安全な場所で、のびのびと育ちながら、将来を見据えた、子供ひとりびとりのための適切な課題を与えてやることで、この世界で生きる子供らが、みずからの未来を、希望のあるものにしていける。5Eとも言うが、有意な物事に関心を持たせ、探求させ、理由の説明を受け、みずから実践し、みずから評価する。それこそが、長い教育史を経て、ついに確立せられた、教育のスタンダードなのだよ。私の教育の信条も、その5Eにある。子供たちが、この世の必要とする産業や、社会の出来事にみずから関心を持ち、考案し、新たな常識を築き上げていくのを見るのが、私の人生の醍醐味だった。」
 若い人物は、何も言わずに、教育者が言うことを聞いた。それから、分厚い書物を開いて、おそらくは該当する箇所を指でなぞり、独り、うなずく。教育者を見て、「確かに、そう記されています。」と言った。
 それだけか?と、教育者は、やや、面食らった様子で、定まらない視線を、若い人物に投げかけた。若い人物は、教育者の視線など気にもせずに、次の質問を口にした。
 「あなたが言う、安全な場所、ここにはキャンパスと書かれていますが、それはどういう場所ですか。」若い人物は、また、分厚い書物を閉じて、教育者の語るのを待った。
 君にも教えたじゃないかと、言いかけて、この場の趣旨を思いなおし、教育者もまた、淡々と話すことにした。何十年かぶりの授業再開だな。
 「キャンパスとは、本来、野原というくらいの意味がある。子供たちが、あたかも野原で元気よく駆け回るみたいに、好きなことに、自由に興味を発揮して、そこから、学びの機会が拓けてくる。しかし実際には、野原で駆け回るわけにはいかない。野獣が狙っているし、先生にとって予測不可能な出来事が起こるからな。整えられた環境、教室などで、安全にそして自由に子供たちが活動して、十分に用意された教材によって、無駄を省いた実りある教育が与えられる時、子供たちの生きる能力は、飛躍的に伸びる。そうした子供たちが、将来の世界の指導的立場に立ち、すべての人々のための、新しい社会を創っていくんだ。」
 群集は、ざわめきをやめて、この問答に関心を寄せている。さすがに、群集を振り向いてはみなかったが、どうだ、と、教育者は思った。しかし、若い人物の反応は、教育者の思いのほか、薄いようだ。
 「確かに、そう書かれています。」若い人物は、さっきと同じことを言う。ちぇっと、教育者は思った。しかし、それでモチベーションを下げられることはない。多くの先生がたを悩ますシチュエーションを、この教育者もまた、幾度となく打開してきた。
 「ところで」と、若い人物はまた、分厚い書物を閉じて言った。「僕はそういう教育も受けず、そういう育てられかたもしてないですが。こうして、あなたばかりでなく、あなたが育てた人たちをも、裁く立場にいるのは、どういうわけですかね。」
 教育者は、笑って答えた。「それは君が、私より先に死んだからだよ。」
 「ごめんなさい、何言ってるのか分からない。」と、若い人物は面を伏せて、片手を振って見せた。
 「私が先に死んでいたら、私がそこに座っていたってこと。」と、教育者は、少しイライラした気分で、若い人物を指差した。若い人物は、ただ、従前のように、まっすぐに教育者を見たまま、ハッキリとこう告げた。
 「もしもあなたが、誰からも訴えられていなくても、私が死のうと死ぬまいと、ここに座ることは、けっして許されません。」
 なぜ?という顔で、教育者は、若い人物を睨んだ。
 「自然が、あなたにとっての敵だからです。」
 何を言われているか分からないというふうに、若い人物を睨んだままの教育者に、若い人物は、ためらっていたが、ふと、何かを聞いたように天を見上げると、教育者の視線を避けて、うつむいたまま、こう宣告した。
 「あなたが育てたのは、この地上の、生きものの子供ではなく、自然を拒絶するこの世が続いていくための、部品としての子供だからです。」
 教育者は、叫んだ。「動物の子供を人間の子供に育てるのが、教育の使命だ!お前は、それすら知らないのに、そこに座っているのか!」その開かれた口から炎が吹き出して、教育者は、真っ赤に燃えながら、墜落していった。若い人物の濡れた瞳に、その光跡が一筋、淡く輝いた。


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面白いな札幌

2024年05月30日 | 風景

今月の

JR北海道の車内誌

のコラムは、

いつもと違って。

いつもは叙情的な

エッセイなんだけど。

今回は、

体験談が前面に出てた。

これもまた好し。

あったなぁ。

僕の田舎も暗ぁ~い夜道で。

それでも札幌の

中程だったんだけど。

まだ砂利道でさ。

ひとりぼっちで帰る時には、

なんか後ろにおるっ!

ネコだったら

背中の毛が逆立って

どうにもしょうがない

みたいな(笑

なんか、歩きかたが

ぎこちなくなるんだわ。

「しゃっちこばる」

っていうの?

嫌な汗かいてたり(笑

でもこのごろは、

棺桶に片足突っ込んでからは、

なんか、

親しみ感じたりして。

そういう

ガキのころの思い出は、

みなさん、

あるんじゃなかろうか。

今夜も

創成川通りは綺麗。

雨に濡れてるのも

また風情があって好し。

あれ?

こんな広告あったかな。

黄色、白、黒は

JRタワーのカラーだけど。

なんか

鳥のフンみたいの

垂れてるし(笑

あゝ、

広告募集中なのね。

JRタワーの広告に

目玉が出たのは、

たぶん、これが初かな。

JRが

自分から展望塞ぐって

言いだしてから、

なんか変やなぁとは

思ってたけどね。

そんな風変わりな視点でも

楽しめる街、札幌です。

そうそう、ほかにも……

この世が始まる

前の世界には、

至るところに手形が

残っているんですが。

「赤い手教団」

とか俗に言われてる

不思議な儀礼としての

手形は除くとして。

そういう宗教がまだ

始まってない時代から、

手形は残されてきた。

それらに1つ共通のことは、

指が不気味に長い。

上下方向に長いです。

その理由はたぶん、

このエスカレーターの

天井にあると(笑

ここです。

見えるかな?

チョッと拡大して、

コントラストを

上げてみますね。

きっと、その昔の手形も、

子供らが背伸びして、

どこまで届くか、みたいな。

うんと背伸びして

指先ペタッとつけたら、

力尽きてズルズルと下がる。

それで指が

上下方向に長くなるんだろな。

成長の記録みたいな(笑

そういうの、

欧米中(アーリア)では

聞かないんですが。

昔の日本には、

手形を残す風習

が、あったなと。

人体のどこかで、残して

さまになるのは、

手形なんだろうなぁ。

手の大きさ、

比べてみたくなるものね(笑

やっぱ、

札幌は面白いところだわ。


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もうちょっとだけ触れますね

2024年05月27日 | 雑談

こうした話を扱うと、

日ごとに、訪れるひとが減る。

目に見えて減るわけですから、

気分も沈むわけですが。

べつに、使命とか義務とか、

そんな誰に言われたわけでもない

意固地なものに

動かされているわけでなく。

ただこの世に生きている者として、

この世にあるものを

できるだけ広範に

ありのままに見ておきたい。

趣味の一環です(笑

敬遠してることって、

他人の言うことを

鵜呑みにしがちじゃないですか。

さて。

「世の終わり」という文字を

グーグルさんで検索してみますと、

まあ、あるわ、あるわ。

そのなかで、特に多いのは、

世の終わりの前に起きること

みたいなタイトルです。

そしてほぼ、

新約聖書の一節を

ネタにしている。

でも、さ。

愛が冷えるとか、

偽預言者とか、

聖書の時代からもうあったし、

いたことですし。

滅ぶ滅ぶ詐欺みたいに、

そのうち、どれかが、

予兆に当たるだろうな。

世の終わりの前に起きること

は、ただ1つだけです。

「邪悪な時代はしるしを求めるが、

 ヨナのしるし以外、与えられない。」

と、聖書に明記されてますから。

だけどネットで見たものは、

これに触れてない。

戦争も飢饉も疫病も、

腐るほどありました。

そして恐怖によって、

読者を魅了してきた。

でも、前の記事でも書いたように、

聖書が伝えたかったのは、

そういう恐怖じゃないです。

世の終わりの前に、

その予兆としてあるのは、

ヨナのしたことだけです。

このヨナという名は、jojoとか、

ヨハネの愛称のひとつです。

イエスが、

「私は世の終わりまで

 あなたがたと共にいる。」

と言ったのも、

これもまた、

聖書に明記されているように、

「予言と預言者とは

 ヨハネの時まで」だからで。

世の終わりから先のことはもう、

聖書の担当じゃないと。

だって、嫌じゃん?

いつまでも予言だの聖書だのに

つきまとわれるのって。

当の預言者らも、

それを一番、危惧してます。

いつまでも思春期のままでいないで、

大人になんなさいよ、と。

でも十分に、思い悩むことです。

思春期もまた、終えるのではなく、

終わるものですから。

ヨナの物語は、

旧約聖書にあります。

短いので、

お忙しいかたも、読めるかと。

そういう方面のための文章なので、

言い回しが実に臭いのは、

どうしようもないですけど(笑

まあ僕なら、

物語の最後に数行、

付け加えますけどね。

「そう聞いて、ヨナは無言で、

 神を殴りつけた。」

って(笑

 


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ぜぇ…ぜぇ…

2024年05月25日 | 風景

はぁ~、ウマ~い。

ええ。札幌なう。

テレビか何かで、

めんどくさいと思ううちはヤレ。

もう無理と思ったら辞めろ。

なんてのがあったなぁと。

夜中じゅう車走らせて、

帰ってきちゃいました札幌。

ていうか、

自分であげといて、

高速通行止め、忘れてたし。

ていうか、

もう予備日だから

工事終わってるだろうと。

旭川北~和寒以外、

下の道、走ったことないから。

旭川鷹栖(たかす)IC

どこ?な。

和寒ICですら迷って、

地元の洋菓子屋さんに

立ち寄ったくらいで。

青看板がさぁ、

それぞれ独自の距離感で(笑

旭川⇔名寄とか書かれても……

まず鷹栖がどっちか教えてお願い。

国道40号線沿いに走れって、

田舎道と同じにしか見えない……

どれが40号なの?みたいな。

不安に満ち溢れて走ってて、

ようやく、ちっさな、

こんな国道の看板あるのか?

ってくらい、ちっさくて

塗装の剥げた国道の看板あっても、

安心できんわ。

それ本物の看板なの?

みたいな(笑

もうね、眠い眠い。

それでも、いつもの茶店で

久々、豚汁の

シャケ定食をいただき、

ようやく、

あゝ札幌だなぁと(笑

ぶらぶら、

歩いていたら、

金庫室の展示が。

前からあったのね、こんなの。

映画やアニメのなかだけだと

思ってた。こんなトゲトゲなの。

そして本当に丸なんだなと(笑

これ絶対、蹴つまずくやつや。

せめて絵でも、

金塊のレプリカとか

置いてあったら夢があるなぁ。

バスターミナルあり、

SUVもいける立体駐車場あり、

いろいろ売ってたり。

札幌でここまで活用されてた

建物って、

ないんじゃないかな?


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予言のこと

2024年05月25日 | 雑談

なんていうタイトルを

見ただけで、もう、

大体のひとは読まない(笑

けどさ。どう、

タイトルをひねったって、

中身は予言のことだもの。

正直でいいっしょ(笑

予言じゃなくて、

予言のこと、ね。

もうさ、

「予言書」なんて言葉が

まかり通っているぐらいだから。

みなさんも、きっと、

その本全部が予言なんだと

思ってるんだろうなぁ。

もうね、その辺から、

あゝ勘違いですわ。

みなさんもご存じだろう、

ノストラダムスを例に

ご説明いたしましょう。

国立国会図書館の検索ページで

「ノストラダムス」

とだけ書いて検索かけると

(全国の図書館のチェックは外してネ)、

この記事現在で、

1224件のヒットがありますから、

まあここをご覧のかたは、

知らないということはないでしょう。

で、

ノストラダムスが生涯、

どれくらいの文章を残したかが、

「ノストラダムスサロン」

という個人様のサイトに

詳しくまとめられてますので

まずちょっと、眺めてご覧なさい。

これ全部読めっての?

という御仁らのために、

ノストラダムスはちゃんと、

コレだけ!コレだけ!

って書いてくれてます。

序文

(もしくはセザールへの手紙)に、

「それは今日から3797年までの

 絶えざる予言から成っている。」

という箇所があります。

今日ってのはもちろん、

序文の日付1555年。

その期間は素直に、

3797-1555=2242。

あとは一般人には馴染みのない、

聖書の

(というか預言者間の)

約束事を使っていきます。

でも、馴染みはないでしょうが、

聞いたことは、たぶんあるわ。

これについては、

除かれた人物(ユダ)の数字

13と、

4桁の数字を

24時間のデジタル表示と

看做すってのを、使っていきます。

時間か分か、どっちかに、

ー13を作用させるということです。

これは22に作用させて9。

942という数字が出てきます。

ほかの文章には目もくれるな。

この、いわゆる百詩集

(諸世紀と言われたり)だけ

見とけ、と。

で、

そのように、

ほかの一切の文章は無視して、

コレだけ見とくわけですが。

アンゴルモアの大王云々の、

X-72番の詩から、

いきますかね。

これも1072という

4桁の数字ですから、

10時間と72分と見る。

だけど、先の数字と違うのは、

間にマイナスが入ってます。

10時間(600分)

から72分を引くと、

528分=8.8時間。

8時48分という時間が出ます。

これはFOX系列の地元局が、

アメリカ全土でただ1局だけ、

フライングして、

CMをブッた切って(笑

911の現場を報じた

その時間です。

さらに文章のほうですが、

「1999年7番目の月」

と書かれてます。

が、西暦なんて、

ひとことも書かれてない。

ここでも、

預言者どもの内輪の約束、

人の子の誕生日は

2月11日というのが

使われてます。

ご存じのように、

西暦ってのは、

イエスの誕生日

の翌日から。

7番目の月ってことはもう、

2月を越しちゃってますから、

それだけで+1年。

しかも、西暦にはゼロ年が

ありません

(1から数える)ので、

ここでも+1年。

というわけで、

ただ1999年7月とだけ

書かれた場合には、

+2年して考える。

かつてのセプテンバー

(7番目の月)は、

現代の9月です。

西暦2001年9月。

ここでもう1つ

新しい約束事を使います。

みなさんも知っている。

11が1になるっていうの。

由来は、

あちらの新暦と旧暦の関係。

11日を1日にした。

余談ですが(笑

日本の新暦と旧暦の関係も、

別のところで使われてます。

こちらは3日を1日にした。

2月3日の節分は、

2月1日と同義であり、

それはさらに、あちらの都合で、

2月11日と同義になります。

余談はこのくらいで(笑

単に7月と言う場合、

数え出し(月の頭)の

日を言うので、1日。

西暦2001年9月11日

朝8時48分

という数字が知れるわけです。

これがまず、

ノストラダムスの予言の1つ。

まだあります。

しかしこれは、

起きてみないと分からない仕掛け。

未来を教える

(つまり人類を救う)のが、

ノストラダムスらの

目的ではないということですな。

序文の書かれた1555年には、

3月1日という、

見覚えのある日付がついてます。

無論、3月11日です。

でもこれは、年は、

事が起きて初めて知れる。

2011ー1555=456

これを4桁の数字とみなして

0456。

ここで使う約束は、

||を|にするの応用です。

差し引き10は、

自由に動かせる。

56分から10を外して、

04時間にくっつける。

14時46分。

加えて、序文には、

「現在から177年3ヶ月

 11日先まで」

という、942と同じような

言い回しの箇所があります。

これにもまた、西暦がついてない。

西暦じゃないけど、何か、

年みたいに毎年数えられるもの。

です。第177通常国会。

こうして国会の会期を言うことで、

日本で起こるということをも

言ってしまうわけで。

しかも天気予報177番で。

それが気象庁管轄の

出来事だとも言ってるんで。

西暦2011年3月11日

14時46分、

日本で発生した気象庁管轄の

出来事だと。

これもノストラダムスの

予言の1つです。

まだある?

いえ、もう、ありません。

振り返って、

あれだけ沢山の文章を

残していながら。

百詩集についてのみでも、

942編の詩を残していながら、

予言はそのなかの

たった1編のみです。

あと序文ね。

それが、

みなさんが「予言書」と

呼んできたものの

実際の中身です。

さらに、

日本でその名を轟かせた、

大本教についても

触れておきましょう。

大本教は本来、

日本に神と聖書とを

根付かせるために

計画されたものです。

この世の根幹を据える。

そのための

一世一代の大仕事でした。

よく言われている、

世界大戦との6年の差は、

満州軍とかの頭に、

大本教シンパがいたことで、

見当がつくでしょう。

自然災害とは違って、

人事はどうにでもなります。

が、ですね。

当時の日本人は

それを知ってた(笑

一生懸命に協力しながら、

別のこともやったわけです。

それでも

3つくらいしか出来てない。

大本教のあとを継いだ、

日月神示でおなじみの

岡本天命に至っては、

岡本という、

ただ1つの予言を

残したに過ぎません。

それが、

みなさんが「予言」と

呼んできたものの

実際なわけです。

ふたぁつ、みっつ。

それ以外はすべて、

大衆によって

世に残されるための

餌に過ぎない。

箱舟みたいなものです。

だから、世の終わりだとか、

世界大戦争だとか、

恐ろしいことを

前面に打ち出してきたんで。

預言者どもが

この時代の人たちに

伝えたかったことは、

そんな恐怖じゃないんです。

人類、人のたぐいにじゃなく、

人にですよ。


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タイムマシンのこと

2024年05月22日 | 雑談

前にもどっかで、

何度か書いてるんですが。

例えば、ありがちですが(笑

過去へ行って、

自分がその時、忘れていったもの。

そのせいで実現しなかったこと。

それを実現させようと、

その時の自分に

持たせることができたとして。

それって、触れるものですよね。

移動できる、実体のあるものです。

ということは、質量あるよねぇ。

もしも、ですよ。

その過去の時間が、質量を持つならば。

どの過去の時間も、質量を持つでしょ。

そしたら、どうなる?

時というのは、言い換えれば変化です。

変化ってのは、同じ空間のなかで起きる。

連続した、ひとつながりのものです。

もしも、過去が質量を持てば、

宇宙が始まった瞬間、

宇宙は∞の質量になってしまう。

インフィニティーの反対はゼロですから、

お馴染み、E=mC^2からも、

エネルギーはゼロになってしまう。

エネルギーってのは、つまるところ、

分子や原子なんかの振動です。

そういうのが、不可能になる。

時もまた、止まってしまいます。

これは未来についても同じ。

もっとも、

こんなメンドクサイ考えじゃなしに、

前から言われてるようにですね、

質量保存則が壊れるだろと。

同じ時間に自分がふたりいると、

自分ひとり分の質量が余分になる。

宇宙ってのは、

なかなか微妙なものだそうで。

ちょっと重くても軽くても潰れる。

最近の話だと、

対称性が崩れるんじゃないかとか。

片割れの自分が、

ペアになる前の過去へ行っちゃうと

(あるいは

ペア解消後の未来へ行っちゃうと)、

ペアってのは排他的ですから、

過去の場合はもう、

本来の相手とペアになれない。

未来の場合も、

次にペアとなったはずの相手と

ペアになれない。

恋人じゃなく量子論のお話です(笑

ファスナーひとかかりの掛け違いだ。

それだけでも、

ちゃんとしまらなくなる。

しまっても

引っ張ると開いちゃったりして。

宇宙がそうなるってことです。

だけど、また一方で、

そんなメンドクサイことをしなくても、

例えば、太陽に向かって車を走らせれば、

止まってるひとたちからしたら、

ほんのわずか未来の太陽を

先んじて見ることができるし、

自分が止まってれば、

車を走らせて行くひとたちよりも、

わずかに過去の

太陽を見ることができるわけで。

それだって立派なタイムマシン。

何も変えられないけどね(笑

 


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日清自身がCMあげてた(笑

2024年05月19日 | 雑談

SAMURAI NOODLES "THE ORIGINATOR"

1分38秒で、かつ、

めんどくさい内容なのに、

疲れてても観られるってのは、

すごいね。

動画っていう、

見る側の負担が少ない

メディアってのも、

大きいと思うけどね。

文章だったら、まず無理だわ。

 

焼け野原に即席ソバのかほり

皆人の心あたたむ昭和三十三年

 

これだけでも、

疲れたらもう、読もうと思わん。

昭和33年になるころには

もう焼け野原じゃないけど(笑

人心は、まだまだ、

焼け野原だったと思うわ。

それに、やはり、

世に出ることが

約束されてるっていう

クリエイター側の

絶対のモチベだな。

これはデカい。

どんなに頑張っても、

絶対に

世に出ないことが知れている

としたら、

ここまでは無理だろな。

CMってのは、

一発屋のところがあって、

改めて観られると、

これいいんか?みたいな

ことにもなりかねない。

版権の問題もあるしなぁ。

でも僕は

走りで言えば

スプリンターだから(笑

30秒に程よく詰め込まれた

CMってやつには

親近感を覚えるわ。


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ノクターン

2024年05月18日 | 小金井充の

 その最後のピアノ・コンサートは、市民ホールなどの、相応しい場所で開かれたわけではなかった。金曜の夜、演奏者の自宅の居間に、その日の仕事を終えた、わずかばかりの人々が、恩師のピアノを聞くために集まった。事情を知る者もあったが、しかし誰も、あえて話題にはしない。というのも、恩師のその人となりとから、こういう終わりもありうるだろう。ついにその時が来たのかと、みなが思っていたことだから。約束の時間を前にして、一人、また一人と、最低の音量にしぼられたドアホンの呼び鈴を鳴らす。玄関先で祝意があり、贈答品があって、恩師は気恥ずかしそうにその品を披露する。そもそもこの居間でのラスト・コンサートも、このわずかばかりの人々の発案ではあった。最後なんだから、市民ホールを借りて、せめて小ホールでやろうという話にもなったのだが。しかし誰のコンサートなのかを思えば、賞だとかメンツだとか気にしない人だから、そんなところへ引っ張り出さずとも、自宅にお邪魔するのがいいだろうということで一致をみた。ついでに、花は誰、酒は誰と、贈答品が重ならないようにしようということにもなり、年季の入ったヤマハのピアノを囲んで、ちょうどいいくらいの飾りつけにはなった。めいめいが、ソファや椅子にくつろぎ、恩師はお返しにと、秘蔵の山崎をふるまって、ひとしきり、思い出話がはずむ。それでは、と、予定の午後七時半、ピアノの所の白熱灯を残して、部屋の明かりが消され、恩師は、紙ナプキンをあてたグラスを、ピアノのいつもの場所へと置く。そして何か、ちょっと思案した気なそぶりを見せ、微笑むと、おもむろにカバーを上げて、鍵盤に手を添える。静かな、山崎色の明かりのなかに、ショパンのノクターン二十番が溢れる。今夜の物語の序章に、これほど相応しい曲はあるまい。観客は拍手も忘れ、この、何人ものピアニストを世に送った教授の、最後の晩餐を堪能した。
 今、私の手のなかに、その恩師の現役時代の演奏を収めた、4トラックの大きなテープ・リールがある。再生装置は、とうの昔に廃棄されて、もう聞くことはできない。大学の旧図書館の、書庫の片付けを、私のいる会社が、仕事として請け負った。ホコリとカビとに覆われ、半ば崩壊したダンボールのなかから、私はその大きなテープ・リールを見つけた。手にして、ふと、色褪せたインクの、手書きのタイトルを見た時には、まさかと思ったが。しかし筆跡に懐かしさを覚えて、私は軍手をした親指で、タイトルを二度ぬぐった。もう遠い昔になったが。でも確かに、私は授業で、このテープを聴いた覚えがある。あの最後のピアノ・コンサートが、思い出される。ピアニストにも、作曲家にもならず、世のなかを斜めに生きてきた私は、あの日も無言で去ることができなかった。最後まで残って、私は恩師に聞いたのだ。先生、どうして辞めたんですか、と。恩師の答えは、私にそのまま当てはまった。
 「僕はね、この世のどの一人にも、生き残って欲しくない。そんな想いを持つ奴が、教壇に立ってちゃいけないだろう。そうだな。君くらいの年代の人を境にして、人は人でなくなった。僕はそれを、敏感に感じた。僕はもう、誰にも、何も教えたくなくなったんだ。」
 新しい図書館に、蔵書として受け継がれる書籍は、みな、引越しが済んでいる。ここにあるものは、すべて廃棄扱いの物ばかりだ。私のいる会社が、大学側と結んだ契約書には、撤去した物の所有権を、会社へ移転する旨の取り決めがある。会社はこれらをオークションにかけ、収入を得る。その代わり、撤去の費用を安く済ませるわけだ。無論、私はこのテープ・リールを、欲しいとは思ったが。しかし、もう終わるというのなら、何を残すこともあるまい。おそらくはマニアが、ただレトロだという理由だけで、このテープを落札するだろう。私はそれを、半ば崩壊したダンボールのなかへ、元のように戻して、そっと、ダンボールを抱えた。ダンボールの下半分は、まだ強度を保っていて、このまま、階段を登っていけるようだ。見上げれば、暗い地下道の出口のように、午後の明るい陽射しが差して、私はその光のなかに消えた。


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CMに買わされてみた

2024年05月17日 | ごはーん\(^o^)/

この前の記事で、

日清食品の

キレッキレなCMを見つけた

わけですが。

実はそのなかで

僕はヒヨコちゃんの

(No.2の)CMに

あっと思ったわけで。

それからNo.8もいいなと

思ったわけですが。

ドロドロのカレー飯も

好きだったりしますが。

ほんと、ドロドロを

絵に描いたようだ(笑

で、あのサイケな

ヒヨコちゃんのCM

みたいに、なるのかな?

いや、

サイケのとこじゃなくて、

その直前の場面から。

そんな遊び気分で、

チキンラーメンをゲット。

1個でよかったけど

売ってないので、

5食袋を600円弱でゲット。

チキンラーメン高っけぇ……

もうインスタントラーメン

食べなくなって何年かな。

久々、そしてまさか、

ここで昔の経験が

役に立とうとは(笑

宿泊施設には鍋しかない。

Φ18㌢㍍の、おひとり様用。

スーパーのおでんとか

そうめんとか

手軽に使い回せるサイズ。

しかし、これでは、

チキンラーメンには

大きすぎる。

というのも、チキンラーメンは、

ほかのラーメンにはない、

特徴があるから。

もう味がついてるっての。

もしも、ほかの麺と汁みたいに、

別のパッケージだったら、

鍋の大小など何であろうか。

規定量の水では、

本体の厚さの半分しか

浸かってくれない。

と、いうわけで。

規定量の水が沸騰したら、

本体を裏返しに投入。

30秒沸かしまくる。

そしてすかさず返すのだが、

工程は秒でやらねばならぬ。

表に返ったら

卵ネギそしてフタをする。

たまご!ねぎ!ふた!

たまご!ねぎ!ふた!

体が自然と動くように、

その30秒を有効に使うのだ。

フタをしたらもう、

時計は要らない。

とにかく

卵が白くなるまで。

どんぶりの用意はいいか?

白くなったら、

汁が跳ねるとか、

小さいことは気にせず

一気にどんぶりへ移す。

移すというより、注ぐ。

そして喰う。

グズグズするな!

でないと、

冒頭の画像みたいに、

本体に汁を吸われてしまう。

まるで椀子蕎麦。

油断も隙もあったもんじゃない。

んー……

まあ、ならなかったけどね。

僕が札幌へ帰るのは、

ああいうこと。

ラストのチョッと寂しげな

雰囲気まで同じだなと。

 

 

 


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眠られない夜を

2024年05月16日 | 珈琲

Chopin: Nocturne No. 20 in C sharp minor, Op. posth.

アシュケナージの手になる

ショパンのノクターン20番

を聴いていて、また何か

書きたくなってきたぁ↑↑↑

札幌帰れないまま

3週目に突入しようかという

今日このごろ、もう

心が壊れ始めてますね……

毎日朝早いので(現場は早起き

もう寝ないとヤバイんだが。

そんな気持ちはそっちのけで、

昔聴いた、観たものを、

ネットで探し漁る日々が

続いております。

それこそ、珈琲は

UCCのカフェインレスだけど。

もうチオビタ1本

あけちゃってるから。

眠れないのか寝たくないのか、

分からんくなってきてん……

不足は発明の母とか

言うけどさ。

今の時代のひとたちには

合わんよねぇ。

不足は発明してくれの母(笑

無いのがおかしいだろ、

みたいな。

不足だったらもう、

今時いくらでもあるわ。

また某イラストサイト向け

になると思うので、

一部が濃くなるかな(笑

でも今んとこ、

頭に浮かんでるのは、

そことはぜんぜん

違うジャンルの話ですね。

 


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こんなのあった(笑

2024年05月14日 | 雑談

※引用のyoutube動画が見られなくなるのは

悲しいので埋め込みとリンクを解除しました。

youtubeで検索してご覧くださいませ。

 

金田一耕助のパロで

カップヌードルのCMあったんだ(笑

 

『【なつかCM】日清 カップヌードル

 「名探偵 金田一耕助」篇』

 

と思ったら、

こんなのあったわ(笑

 

『日清食品の狂った広告集(手抜き) 』

 

「一番混ぜにくいカップヌードル」

これは……

笑いを通り越して感心しちまった。

これキャッチの位置づけで

いいんだよね(笑

そしてどれも

完成されてるスゴイ

お陰で気分が晴れたョ。

某アニメじゃないけど、

まじめに不真面目ってのは、

大事だネェ。


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アバストにビックリさせられてカキコ

2024年05月14日 | 雑談

ちょうど、古谷一行の時代の

金田一耕助シリーズを

気持ちよく

観ていた時のことでした。

時代は変わり俳優を変えて、

たびたび撮られてきた

金田一耕助シリーズですが。

古谷一行の時代以降のやつは、

正直言ってすいませんが、

観ようと思えないです。

僕のお気に入りのを

YouTubeでみつけて、

久しぶりにワクワクしながら

観ていたときのこと。

突然、

まったくの突然でした。

画面いっぱいに広告が出現。

すわ!ウィルスか!

と、思ったら。

そのウイルスを警戒してくれる

アバストさんでした。

有料期間、残すところ60日までは、

何にもなかったんですよ。

静かなもんです。陰から

そっと見守ってくれてました。

といって、

一朝事あれば、

ちゃんと警告してくれるし。

そこが好きで

使ってるわけですが。

60日からもう、

毎日不定時に、

いきなり広告!

驚きました。

アバストさんのサイトで、

ポップアップ広告が出ない方法

(サイレントモードとかいう)

を、教えてくれたので、

それにしてみましたが。

明日もまた出るんじゃないかと、

すごく心配です。

こういう広告って、

リラックスして座ってる

横から突然、

大声かけられるのと

同じだなぁと。

アバストは気に入ってるので、

使い続けたいんですが。

なんとかこういう

オススメのしかたは、

やめてもらえないものかなぁ……

 


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名寄の天文台がオーロラをとらえてました

2024年05月12日 | 雑談

名寄の天文台

「きたすばる」が

当日のオーロラの姿を

鮮明にとらえてます。

こんなの見られたのかぁ

orz..

 

2024年5月11日 低緯度オーロラ1

2024年5月11日 低緯度オーロラ2

 

もうね、

言葉がないわ。

そうね。

『人間の約束』ですものね。


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雨の日は

2024年05月12日 | 珈琲

すわ、リベンジか!?

と、思ってたんですが。

雨。

核兵器の放射線もそうですが、

宇宙線も含めて、

強い放射線によって

雲が作られうるというのは、

科学が始まる前から

なんとなく勘づかれていた

現象のようで。

むちゃくちゃ熱い日差し

からの、

どこから流れてきたか分からん

雨雲とか。

湿度や気圧なんかで、

普通に説明できますけど(笑

そっち方面からでも

説明できるのよねぇ……

しかし、雨。

お空を見上げても、

分厚い雲しか見えまてん。

NOAAの予報は、

昨日よりチョッと

規模が小さいくらいで、

道北からは

十分に見えるだろうに。

情報通信研究機構の

宇宙天気の予報は、

今日も(3日連続かな?)

帯電子を除いてマッカッか。

記念にスクショを

貼っときますね。

僕ニワカだから、

ここ数年で、

こんなの初めて見たわ。

9年前にコレを予見したとか。

ロマンだなぁと。

ちなみに、大地震のあと、

帯電子の量がっ!

とか言うひともいますが。

帯電子の量は、

こういう現象が去ってから、

増えていくそうなので。

大きなイベントの終わりを

見てるだけですね。

あれ、

煙草が……

医者に止められ、はや3年。

やめられないまま、

ズルズルと。

昭和の作家の写真、

煙草吸ってるひとが

少なからずいるけど。

こうして自分も

何かしら書くようになって、

あーこれは、

無理もないわと(笑

それでもまあ、

ホープの両切りから、

青→赤→黒、

トルコ葉のキャメルに会って、

今は白箱です。

タールもニコチンも100分の1。

それでも、

葉の甘みを味わえるから好き。

タバコはね、

先が見えてからにしてください。

体には確かによくない。

これからってひとが

吸うもんじゃないです。

などと、

雨の日の午後を、

物憂げに、

過去の写真なんか眺めてました。

データが壊れてしまって、

サムネしか残ってないけど。

好きなホテルを探して歩いた、

このころが一番楽しかったナ。

人生の最後のほうで、

なんとか、

楽しい思い出を持てたのは、

幸運だったと思います。

 


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