仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。
なんだか、おっくうで。
GWの〆に、
どっかへ行きたい気持ちは
あるんですが。
PCの電源を入れてしまうと、
ついつい、前へ座ったままに。

ちょうど1年前の今日、
こんな景色を撮ってました。
市民のみなさん、どこでしょ?(笑
以前はこの正面に、
NHKがありました。
この写真では、正面に、
中央バスターミナルが
バッチリ見えてます。
画面の外ですが、
右にはテレビ塔があります。
去年も、彷徨ってたんだなと(笑
この画面の向こうには、

こんな公園があります。
これは翌週の日曜日の昼。
上の夜景もそうですが、
何しに行ったんだか、サッパリ
記憶にございません(笑
市民のみなさん、
この公園は、どこでしょ?
画面の外ですが、
左に札幌ファクトリーがあります。
こんなにブラリしているってことは、
去年は体、
わりと調子よかったんだなぁ…

26日経過しました。
あと19日です。
で、
昔の中国のひと
(漢人ではなく、中国のひと)が
こう伝えていますよ。
15にして学に志し
30にして立つ
40にして迷わず
50にして天命を知る
60にして耳従い
70にして過ぎたること無し
これが標準的な人生ですけど。
今、早過ぎるよねぇ…
もう20代で何か見たような顔してさ。
うん、まあ、
この世のなかだけなら、
それもありえるわ。
そして他国は安心するんだ。
やっと、
オレらのレベルに落ちてきたな
って。

んー。
空が青いわ。
この時期の札幌特有の空。
地下の食品店街を抜けて、
ノロノロとエスカレーターで
8階のレストラン街へ。
今日はどこで食べようかなぁと、
こうして見上げた空も
青かった思い出…

まさかこの5月まで
残されていようとは。
この建物も、
思ってなかったろうな(笑
閉店セレモニーで、なぜか、
日航123便墜落事件の
「上を向いて歩こう」が流されたのを、
僕はきっと、忘れないわ。
五月晴れとは、これやらん。

支笏カルデラ(左の線の下)まで
はっきりと見通せる。
右から恵庭岳、真ん中に風不死岳、
その奥に樽前山。
これらの山々に囲まれて、
4万数千年ほど前に破局噴火した、
現在の支笏湖があります。
この地もかつては、
数百メートルの厚さの火山灰に覆われた。
それまでの世界は、
焼失してしまいました。
この地における現在の世界は、
始まってからまだ4万数千年です。
それはさて。
今日びはこんなに天気がいいので、
何年ぶりかで、中島公園へ行くことに。
中島公園っていえば、
2018年に中華の首相が来て、
完全閉鎖された公園で安倍さんと
ふたりっきりでお散歩したのを、
みなさんご記憶に
とどめておられるかどうか。
通勤の邪魔なので、
もう二度と来ないでほしいですが(笑
今回はその一隅へ移設せられて久しい、
「豊平館」を、
人生初めて見に行こうと。
「とよひら」ではなく、「ほうへい」ですw

マジでラピスラズリの粉を使った、
淡いスカイブルーが清々しい
札幌初の官製ホテル「豊平館」。
ちなみに、官民協業の初のホテルが、
(初代の)札幌グランドホテルでありました。
今もう見る影もございません…
なんで、急にというか、
ここへ行こうと思ったかというと。
各部屋を
市民に貸し出ししてるのを知ったので。
それも1時間500円からのチョー安値。
どんな部屋なのか、下見をしてこようと。

行って知ったんですが。
さすが官製ホテル。
天皇3代
(明治天皇、皇太子佳仁、皇太子裕仁)が
この角のお部屋へ
お泊まりになったそうで。
この部屋だけ、塗装や建具一式、
当時のままの方法で
あつらえてあるそうな。
明治大正の建物というと、
灯火制限下の部屋のなかみたいに
暗くて重々しい雰囲気かしれないですが。
この部屋を見る限りは、とても明るい。
もちろん電球はなかったし、
タブレットもありませんでしたが(笑
この明るい部屋で
モーニングなど召し上がったのかなと。
まあ、ここへ移設されたのは、
それからもうずっとあとの話ですけど。
残念だったのは、
過去に確か、ホテルモントレ札幌の記事で、
食堂のしつらえが豊平館みたいなとか
書いた思い出があるんですが。
ここ食堂がない(笑
どこの食堂と勘違いしてんだか(笑
知事公館かなぁ…
もう全然自信がない(笑
それで、
行ってみて、これも初めて知ったんですが。
天皇3代が泊まったお部屋、
「梅」って呼ばれてました。
天井の装飾が梅なので。
桜のはずでしょ?
8世紀に古事記と一緒に
大陸から日本へ侵入してきた
んだから天皇。
「天」族を名乗る「白」い「王」です。
それまでは大王でした。
今でも閻魔大王とか言うし(笑
それが実際は梅だと。
そういえば、
皇室の広報を自負してた旧
毎日新聞も、
題字の背景は梅でした。
桜じゃないんです。
桜じゃないんです。
あなたがもしも、
日本の未来を案じつつ、
桜を掲げてきたひとたちに
一目置くのであれば。
それって、おかしくないですか?
これまで桜を掲げてきたひとたちに
お気をつけあそばせ。

歩き疲れて、
「タワー・スリー・エイト」へ。
乳色にたそがれ行く、
札幌の土曜日。

この夕暮れ、
今日もまたこの一隅で、
あったかいものをいただく幸せ。

地上200mだ、400mだと。
だけど地上の大迫力は、
札幌テレビ塔144mが
一番感じられるわ。
それを景色として見渡すならば、
ここ、タワー38の展望室。

札幌テレビ塔は、
ダイナミックな視界を楽しめるんだけど、
地平線までは眺望できないのさ。
ここタワー38は160m。
ご覧のように、
地平線を目の高さで眺望できる。
景色の動きは少なくなるが、
落ち着いた夜景を堪能するには
実によい高さだねぇ。
これより高くなればなるほど、
地上は厚みを失ってペラペラになり、
ただの航空写真になってしまう。
サンシャイン60の展望室から
見下ろした地上のつまらなさ。
東京スカイツリーは
まだ行ってないけど。
そういう理由で
行きたいとも思わないわ。
(以下、
うんちくがお好きなかただけどうぞw)
ちなみに、
この展望室から見下ろす地上が、
だいたい、キングギドラの視界。
ひとなんか見えてない(笑
そして、ステラプレイス屋上の
「空のひろば」から見上げるJRタワーが、
だいたい、ゴジラの大きさです。
ヘブライ語で「ジラ」は「影・陰」。
God-ジラでまあ、主の面影ですか(笑
核実験で誕生したゴジラが
なぜか日本を襲うっていう設定は、
その辺のことを残しておくために
どうしても必要なシナリオでしたが。
それではあまりにも、とばっちりなので(笑
まずアメリカを襲ってからにしてくれという、
そういう前置きが求められもしたわけです。
その辺のことを説明するには、
タケミナカタを持ち出さなきゃならないのですが。
タケミナカタの(ぴー)が(ぴーーー)なのでw
ちょっとここには書けないですw

久々のレポートになります。
札幌駅東側にそびえる、
タワー・スリー・エイト。
前の記事の諸事情から、
( ↑ 掲載を終了しました)
この展望室の記事を再開いたします。

記念撮影用の背景、
まだありました(笑
星空のような札幌の夜景に
なにやら映り込んでいるのは、

今はなきパセオの広場にもあった、
地層をモチーフとしたテラコッタ。
少し離れて見ると、
なんだか水の中にいる気分になります。
この1枚1枚の層には、
どんな世界の面影が
残されているんでしょうかねぇ。

展望室の窓から見下ろす、
札幌エスタの屋上。
今でも賑わいが聞こえてくるようだわ。
あの花壇には、
今年はどんな草が生えるのかな。
はやくバスターミナル再開してほしい。
バス停が散在していてよく分からん(笑
冬も吹きっさらしで、寒いしさ。
車道は狭くなるしで。いいとこあんの?
札幌の夜景を見るなら、
イチ押しは、札幌テレビ塔の展望室。
堂々の2位はココ。
なお、持込飲食はできません。
あと、杵屋さんで知ったんですが、

この写真の右上、「とうまん」の袋の上に、
「モッテコ」とかいうキャンペーンが。
杵屋さんのあるアピアだけかもしれないけど。
自己責任で持ち帰り可っての、
なんか、今さら何?って感じだわ。
まあだけど、あの事件も、
一連の出来事の、一環だったんだろうな。
なんか、久しぶりに、ゆっくりしたわ。
今晩は、騒ぐガキんちょもおらず(笑

おとといの記事を書いていて、
なんだか、かけだしのころが
懐かしくなり。
帰りにぐるっと、
8年間の思い出の場所に
立ってきました。
もし何かあれば、
写真とろうと思ったんだけど。
なにもなく(笑
ANAクラウンプラザ札幌を除いて、
建物や内部は、
あのころとほぼ同じでした。
最後に、駅前で、
この5月から解体が始まるという、
ESTAをぼんやり、見上げてました。
これは2022年当時の、
まだ営業中のころの写真です。
この高さから、
どうやって撮ったんだったか。
歩道橋なんかあったかなぁ(笑
あー、あるわ。
前の年までありましたわ。
ここバスターミナルとか
大型駐車場とかあって、
渡りにくかったんだ。思い出したわw
重宝してた歩道橋も、
すっかり忘れてしまっていた。
なんか。。。
疲れたな、と。
「大番」で冷たぬき食べて
帰ってきました。

この前行ってきた、
駅前の某ラグジュアリー・ホテルの
昔の写真が出てきたので。

いろんな色があってねぇ。
お皿に並べても、華やかでした。

どれも美味しくて、
どれ食べようか迷うくらいで。
右下のは実演コーナーのですけど。
手が込んでる。

これも美味しかったんですよ。
名前忘れたけど(笑
配色もいい感じでしょ?

中華とか、もちろん、
茶色いのもあるんだけど(笑
ほかの色んな色合いのなかの茶色だから、
ねぇ、写真ボケちゃってるけど、
おいしそうでしょ。
今、僕、満腹の状態で見てるんだけど。
食べたくなるわ。
この日のランチだったら、
もう何回かでも、食べに行っていいわ(笑

このころはカクテルも別注できたので
(バーテンダーさんがいる時だけね)。
このモヒートは確かにモヒートだけど、
斬新で面白かったなぁ。
贅沢しに来てるんだから、
そのくらい楽しまないとさ。

ね、落ち着いた華やかさがあるでしょ。
客が適当によそっても、
テーブルはこんな感じになる。
この玉ねぎのスープがまたね、
何の自慢もないけど、
すっごい美味しかったんです。
これか、コブみかんのスープか。
どっちが出るか、楽しみでした。

品数が少ないわけでもないんだけど。
ちなみに当時はコレで、
三千円でおつり出ました。
カクテル飲むと、
+1200~2200円くらいでした。
お任せで作ってもらっても、そのくらい。
僕はジン・ベースが好きなので、
それだけ伝えます。

ここを最初に訪ねたのは、
いつだったかな。
拙著『僕ホテル』の
某高級ホテルが2017年だから、
2020年の春前かな。
時まさに、
コロナが流行ろうとしてましたから。
マネージャーさんも、
何度か代わられたけど。
この楽しさは、変わりませんでした。

自分でこんなふうに、
アレンジしてみたりして(笑
当時は、実演コーナーで、
白飯に合うだろ!ってのが、
けっこう出たので。
これは味噌風味だったかな?
ゴマだったかしら?
白飯で正解でしたわ(笑

カレーには必ず、
色味のいいトッピングがあり。
辛い挽肉のカレーのときに、
初めてサワークリームと出会って。
あれはよかった。

いつかここのを食べたいと思ってた、
エッグベネディクト。
何度かアンケートにも書かせていただいた。
出た時は嬉しくてねぇ。
3回だったか、おかわりしちゃいました。
そのあとも2回は通ったので、
けっこうな数、いただきました(笑
確か、クルトンみたいなのを
パンの代わりにしてたんじゃなかったかなと。
本場に忠実なら、
重たいパンとかなんだろうけど。
そんなの僕は望んでないので(笑
この某ホテルのレストランは、
ほんと、客がうなるくらい、
お客さんファーストでしたわ。
今もう、ね。。。

あの塩コショウの小瓶は、
どれも出なくて笑った。
そのくらい、
よくできた味付けだったわけ。

これがたぶん、当時、
撮ったなかでは、一番茶色いかな?
お料理がね、ひときれ、ひときれが、
センスあるなぁと(笑
だから、これだけ詰めてよそっても、
映像的にグジャーって混じらない。
輪郭がハッキリしてます。
シェフの経験とか工夫なんでしょうけど。
こういうのは、間違いなく美味いです(笑

席も、いくつか種類があって。
丸いのやら、こういう小さいのも、
長いのも。そのどれもが座りやすくて、
食べやすい高さと大きさのテーブルだったわ。
席と料理とを分ける、
会場内の大きな半円のパーテーションが、
ひとの動線をうまくさばいてた印象。
平々凡な四角い会場に比べたら、
レイアウトに動きも出ますし。
そういえば、この工夫、
馴染みの喫茶にもありますわ。
改装して、いや、なんでもないです。。。

当時のロビーの花壇、
勢いあったんだなぁ(笑
同じ春の花壇でもさ。
いや、なんでもないです。。。
写真のなかに入りたい (ρ_;)ぐすん
停滞する経済のなかで、改装が進まずに、
残ってしまっていた昔のひとたちの思い。
ギリギリその片鱗に触れ得たのもまた、
いい経験でした。

Amazon指定の配達業者が、
勝手に置き配していくようになったので、
安いドライブレコーダーを、
防犯カメラ用に購入しまして。
USBで給電するタイプだったので、
スマホの充電器でもO.K.でした。
それで、
古いミニSDカードを空にして
使おうと思い。
なかの写真を取り出すつもりで
見ていたのですが。
何度も撮ってる場所ばかりで(笑
この1枚だけ残すことに。
まあもう、
ここへ載せることもないですし。。。
この絵は、記念写真用の背景。
札幌テレビ塔がちょっとだけ見えてますが、
実際は、2018年開業の、
「札幌創世スクエア」にさえぎられて、
見えません(笑
ここの開業は、2003年。
どっちも札幌市が関わった建物なのになぁ。
あの高層棟を
敷地の逆側に置かない理由が分からん。。。
まあせいぜい、ここは前の上田市長の時ので、
あれは今の秋元市長の時のっていう、
つまんねぇ理由なんだろうと思います(笑
この絵の前に立って、
この黄色い風船に手をやって、
パシャッと撮る趣向。
このブログへお越しのかたのなかに、
フリーメーソンのメンバーがおられれば、
この絵に、おや?と思うかもしれないねぇ。
今もあるのかな?
前に行った時は、気づきませんでした。

札幌の地下街APIAの通りに、
実は名前がつけられているのを、
みなさんご存じでしょうか。
なかでも、この通りは、
小洒落た照明があったりで。

その赤枠で囲んだ通りです。
地図の上(東)へ行くとESTA札幌、
下(西)へ行くと、
とうまん屋さんがあったり、
うどん屋さんがあったりして、
アスティー45とかへと続く、
井げたの地下道になります。

この通りだけにある(残っている?)銘板。
1999年10月のAPIA開店当初から、
この名前はあったようですが。
いきさつなどは、よく分らず。

向かいの銘板は、すりガラス(?)の
スズラン。札幌市のアイコンです。
このブログでも、某ホテルのドアや、
タクシー呼び出しの表示などに、
今でも残されている(た)ことを
紹介してます。
タクシー呼び出しのやつは、
紹介したあと間もなく消えましたけど(笑

スズランを模した照明でしょうか。
今はLEDの白い光になってますが、
当時は白熱電球の
柔らかな光だった記憶があります。
いいね。これ。
どなたのデザインなのかなぁ。。。
要らない北海道新幹線が来ると、
この通りも無くなる予定だそうです。
さて。
馴染みの喫茶で珈琲飲んで、
帰るとしますかぁ。

2023年9月9日に撮った駅前(南口)。
確か、救急車が来て
野次馬根性でつい撮ったもの(笑
札幌ではまだ珍しい風景です。そだ、
初めて名古屋駅に降り立ったとき
パトカーと救急車とでごった返してたの
コレ見て思い出したわ(笑
田舎モノの少年は、
さすが名古屋だ。。。
と思ったものさ(笑
まだまだいろいろと、
ハードディスクに入ったまま、
こちらで紹介してない写真があります。
喫茶店とか飯屋とか菓子処とかも。
出せばまた活気付くんでしょうけど。
何ていうか、
個人的に否定的な印象だったところのは、
なかなか出しにくいねぇ。。。
そこはそこで気に入ってるお客が必ずいる。
そういうの見てきたお陰で、
ここも続けて来れたってのは、あるわ。
そうそう。東洋経済さんが、
ずいぶんとまた思い切った記事を載せてました。
すべては中華のために。
だってあそこは、現存するアーリアの国のなかで
一番古いから。といっても故地ではなくて、
侵略したなかで一番古い。
故地はもう腐りきって、
プライドすらも失ってますからねぇ。。。
ほんと、知らんのは日本人だけです。
30年以上書いてきたけど、
日本人は誰も読みに来なかった。

1年ぶりかで、この席に座ったわ。
もう済んだお話です。
そういえば、177が、
この3月で終了するそうな。
「札幌管区気象台提供による、
午後○時の気象概況をお知らせします。」
みたいなアナウンスで始まるやつ。
かつては仕事柄、たびたび電話してたなと。
2つの鍵、
第177通常国会はもう二度と無く、
そしてこの「177」も終了。
ノストラダムスは全て、
これにて幕というお知らせだなぁ。
なんか、感慨深い。
500年だぜ?
しっかしまあ、相変わらず、
2025年ノストラダムスの大警告!
みたいなの、まだやってんだと(笑
もう終わりましたから。

向かいの食器棚は、撤去されてました。
壁に向かうよりかは、
オブジェに向かったほうが
座り心地はよかったナ。。。

今宵も、札幌の中心部を、
光の帯が静かに流れてゆきます。

すっかり、夜になってしまったなぁ。。。
昼間という時間が存在しているのを
忘れそうです。

誰かがゲリラ的に、雪で、
オブジェでも作っていったのかと。
石製の車止め(?)でした。

駅前(南口)は、まだ冬の名残り。
小さなスペースですが、
老いも若きも、恋人たちが、たたずんでました。

今年はちょっと豪華だなと(笑
丸い光の輪は、ぐるぐると回転して、
その中のひとたちを飾ってくれます。
それにしても、静かだな。
BGMは流れているが。
札幌の夜にはまだ、喧騒というものがないね。

寒くて、体が震えてきたので、
地下街へ。
雪のない冬の風って、冷たいよなぁ。。。
この通路の向こうに、

かつて「PASEO」があったという話は、
これからのひとたちには、
通じないのだろうなぁ。
丸ス・ステーションデパートとか、
青い札幌駅の改札の上にあった喫茶店とか。
この景色もいずれは、
次の世代に通じなくなるかしらん。

どこの写真だったか…
札幌だと思うんだけどね。
フォルダの中身を整理してると、
よく分かんない写真が出てきたりして(笑
記憶容量に限界があるのも、
お掃除のきっかけになっていいかなと(笑
道外(海外も)のは、今の会社のひとたちに
ほぼ身バレするので(笑
旅行で撮った写真なら心配ないですけど。
そんな時間もおカネもないわ(笑
ギリギリ、横浜行けたくらい。
はぁ。。。
なんだかんだで、今年も早かった~。
気づけば年度末ですよ。
今年度はズバリ、僕自身にとり、
マイナスの多かった年でした。
来年度はその分、
プラスの年になって欲しいけど(笑
今年の雪の降りかた見ても、
去年の降りかたと、
足して2で割るなんてことには、
なかなか、ならないご時勢のようで。
根っから、生きかたの違うひとたちと、
もう半世紀近く暮らしてきましたが。
昔のひとたちの残した本や、
ここをたずねてくださる
何人かのかたの存在に励まされもして。
今年度もなんとか乗り越えたかなと。
プロ・ユースな世界の動きは、
来年度、いよいよその真の骨頂に達して、
僕のようなアマチュアには、
本当に生きづらい世の中になるんだろう。
だけど、この混乱が、この世の望まない
若いアマチュアを沢山生み出してもいるし。
そうしたひとたちと、
ここでお目にかかる機会も、増えるだろうし。
まだそれとは分かんないとしてもね。
ま、なんとかなるさ。

ふぅ。。。
このごろ客層が
変わってきたようですが。
今度もまた、
一過性の流行りだろうなぁと。
結局また、
以前からのひとたちが残る。
だから僕は、ここが好き。

客がタバコを吸うという前提。
荒らした銅の板をあしらった
テーブルの天板。
見事としか言いようがないねぇ。。。
誰もがアマチュアだったから、
こういうことが普通に出来ていたのさ。
んー。
ここで飲むコーヒーは、格別だわ。
若いひとたちのなかにも、
こういう場所を好むひとが、
わずかに、いるだろう。
今は少々騒がしいが(笑
それもまた、ここの歴史の
1ページだなぁと。

仕事を終えて(ここは札幌側)。
前にも記事にしたと思うけど、
現場の近くにマシな駐車場がないので、
勝手に公共交通機関を使うわけですが。
なんかもう更に便数が少なくなっ!!!
早く来るときも、遅く来るときもあるので、
かれこれ20分ほど立ち尽くしておりました。
言うまでもないかとは、思いますが。
さぶっ…

あ、来た来た。
定刻でした \(^^)/

あ~~
生き返るぅ(笑