友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

ジョサイア・コンドルとユニテリアン教会・惟一館

2006-09-04 21:50:50 | Weblog
 本稿は、政策研究フォーラム発行の月刊誌「改革者」9月号から転載したものです。ご一読いただければ幸いです。なお、月刊誌「改革者」(定価650円)は、政策研究フォーラム(理事長:堀江湛尚美学園大学学長。学者・文化人・労組役員等で構成)が発行しています。定期購読を希望される方は、03-5445-4575に申し込みをお願いいたします。

友愛労働歴史館から見た社会運動(第5回)

 ジョサイア・コンドルとユニテリアン教会・惟一館
                    (友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄)
 
■友愛会館の前身、ユニテリアン教会・惟一館
 日本の社会運動発祥の地として知られる東京芝のユニテリアン教会・惟一館は、現在、友愛会館・三田会館としてJAM等の組合本部が置かれている。また、「貸会議室の友愛会館、ビジネスホテルの三田会館」としても知られ、多くの人たちに利用されている。
 例年、「友愛会創立を記念する会」が開かれるのも、また横田恵さんら北朝鮮に拉致された人たちを救う会がしばしば会合を開いてきたのも、この友愛会館である。友愛労働歴史館も同館六階にあり、いまでもこの地は社会運動・労働運動の重要な拠点となっている。
 昭和六年発行の「財団法人日本労働会館設立経過報告」は、惟一館について次のように記述している。「惟一館は、自由キリスト教の伝道を目的とし、明治二七年に建設されたものであるが、爾来四〇年間、日本の社会運動に非常な貢献をいたしました。我国の社会思想、社会運動は、この建物より出でたと云うも過言ではないのであります。即ち福沢諭吉、片山潜、安部磯雄、吉野作造の諸氏は、この惟一館と密接な関係を有し、自由主義、社会民主主義、無政府主義、共産主義等々の思想も、この建物を中心に転回いたしました。我国最初の無産政党たる安部磯雄氏等の社会民主党は、明治34年結党直後に解散を命ぜられましたが、その結党準備は此処で行われました。鈴木文治氏により大正元年8月、此処で創立された友愛会は、現在、日本労働総同盟として活動して居りますが、周知の如く我国労働組合の左、右、中間各派の主流は、労働総同盟より分裂したものであり、この各派組合を中心に、各無産政党が対立発生いたしました。この外、農民組合運動、労働者教育運動も、源を此処に発していることは、既に御承知のことと存じます。(以下 略)」
■設計者ジョサイア・コンドル
 ユニテリアン教会・惟一館は、日本の社会運動・労働運動発祥の地として知られているが、設計者であるジョサイア・コンドルもまた、著名な建築家である。彼は鹿鳴館、神田ニコライ堂、岩崎邸などの設計者として、また「日本建築界の母」として知られている。
 中央公論美術出版の「ジョサイア・コンドル建築図面集Ⅰ」は、「唯一館は、我が国に於けるユニテリアン教の神学校及び布教活動の本部として建設された木造二階建の会館」であり、その建築は「既に明治二四年頃から計画されており、土地及び建物に要する資金は、マッコーレイが帰米して寄付を募ったと言われる。明治二六年一月、正式に建設が決定し、同年四月二八日に定礎式を行い、翌二七年三月二三日に開館式を挙行した」としている。また、「和風の概観は、彼の作品の中では特異な存在であるが、それはコンドルだけの意思ではなく、自主性を強調したユニテリアン教そのものの方針に添ったものでもあった。なお、唯一館の建物はその後、友愛会本部、日本労働総同盟の労働会館などに使用され、関東大震災からも免れて昭和初期まで現存していた」と結んでいる。
■総同盟が惟一館を購入
 ユニテリアンが日本から撤退した後、ユニテリアン教会・惟一館は人手に渡り、その後、当時の総同盟が購入している。この点について前記の「日本労働会館設立経過報告」は、「斯くの如き、由緒ある建物でありますし、現に二十年来一貫して、我労働総同盟は此処に本部を持ってきたのでありますから、之を総同盟の所有たらしむる様しばしば奔走いたしました。然し種々なる障害に依ってその実現を見るに至りませんでしたが、今回日本労働会館として、事実上、総同盟の手に収められたのであります」と報告している。
 こうしてユニテリアン教会・惟一館は、総同盟以来の民主的労働運動の総本山として、また日本の社会運動の拠点として、現在の友愛会館・日本労働会館に引き継がれている。