友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

「2009賀川豊彦献身100年」記念の主な事業!

2009-04-21 14:22:53 | Weblog
■主な「賀川豊彦献身100年記念事業」
 賀川豊彦が神戸のスラム街でキリスト教伝道と隣保事業を始めたのが1909年12月24日、これを顕彰するため今年一年をかけて「2009賀川豊彦献身100年」記念事業が行われます。主な事業は下記の通りです(「賀川豊彦献身100年記念事業プログラム」より)。 

2月28日 オープニング「賀川豊彦献身100年記念礼拝&パーティ」 
 ○記念礼拝&記念パーティ:28日16:30~、青山学院大学チャペル&青学会館

3月7日~9日 ESDシンポジウム「共に生きるために」
 ○プレセッション「研究の共有ワークショップ」、7日13:00~・神戸大学六甲ホール
 ○シンポジウム「持続可能な社会づくりとソーシャルワーク」8日12時・神戸国際会議場                    
  基調講演:「持続可能な社会づくりとソーシャルビジネス」、ムハド・ユヌス(ノーベル賞受賞者)
  講  演:「ESD実践の草分けとしての賀川豊彦」、阿部志郎(基督教社会館)
 ○対  談:「神戸大学生とユヌス氏のトークセッション」、9日・神戸大学六甲ホール

4月29日 記念講演会・シンポジウム「賀川豊彦と友愛社会の未来」
 ○プレセッション:28日(火)18:00~・東京都生活協同組合連合会
  テーマ:「賀川豊彦『友愛の政治経済学』-その現代的意義」
  講演者:野尻武敏(神戸大学名誉教授)
 ○基調講演:29日(水)14:00~・明治学院大学
  テーマ:「寛容の再生のために」
  講演者:最上敏樹(国際基督教大学教授)
 ○シンポジウム:29日(水)16:00~・明治学院大学
  テーマ:「平和・人権・共生」
  司会:加山久夫、パネリスト:阿部志郎、野尻武敏、荒川朋子、戒能信生

5月17日 記念講演会・シンポジウム「新時代の<友愛>と公共的知識人」
 ○セッション1 「賀川豊彦と現在」、17日13:00~・キャンパスイノベーションセンター東京
  テーマ:「今なぜ賀川豊彦なのか?資本主義暴走の時代に」
       講演者:伴 武澄(共同通信社ニュースセンター委員)
  テーマ:「新しい賀川豊彦像 賀川とコーワーカーたち」
       講演者:賀川督明(カガワデザインワークショップ代表)
 ○セッション2 「賀川豊彦の思想と宗教観」
  テーマ:「賀川豊彦の宗教思想と友愛」、加山久夫(賀川豊彦記念松沢史料館館長)

5月30日 賀川ハル資料集出版記念講演会
  テーマ:「寛容の再生のために」
  講演者:三原容子 東北公益大学教授

7月13日 「21世紀における社会運動の国際連帯」
 ○テーマ:「阪神・淡路大震災と賀川豊彦の今日的意義」、貝原俊民(前兵庫県知事)
 ○テーマ:「心のケア~100年の時空を超えて」、野田正彰(関西学院大学教授)
 ○シンポジウム 「グローバル化時代が求める社会運動の国際連帯」

                                 以上

賀川豊彦の「自由組合」論とはどのようなものか!

2009-04-16 16:54:09 | Weblog
■労働運動リーダーとしての賀川豊彦
 社会運動家、キリスト教伝道者などとして知れられる賀川豊彦は、一時期労働運動リーダーとしても活躍しています。
 賀川は大正6(1917)年にアメリカ留学から帰国し、その年の秋に神戸で友愛会の活動に参加し、労働運動家として活動をスタートしています。賀川は大阪連合会の西尾末広と協力して大正9(1920)年に関西労働同盟会を結成するなど組織面で大活躍しますが、一方、理論面でも当時の労働運動をリードしました。
 彼の労働運動理論は「賀川イズム」と呼ばれ、自由労働組合主義、漸進主義、合法主義、非暴力主義を柱とし、当時の関西労働運動で大きな影響力を発揮します。
■賀川豊彦の「自由組合主義」とは!
 「賀川イズム」の骨格である自由組合主義とは、どのようなものでしょうか。この点について参考になるのが大正10年に出版された賀川豊彦著『自由組合論』です。
 この本で賀川は、「労働は一個の芸術である。労働は創作であり、創造であり、芸術の芸術である」と述べ、「労働運動の根本目的は、人格の建築運動である」としています。
 また、「労働組合は自由社会の本源」とし、自由組合は「自由と合理と至誠と相互扶助をその本領とする労働組合」と定義しています。
 彼はまた産業民主主義について『自由組合論』の中で、「新しい社会組織は産業民主を基底とする」、「産業民主主義はただ自由組合にのみよつて成立せしめ得るのである」と述べ、「純正な労働組合を主張するのはそれが産業民主の根本義をなすから」と述べています。
 賀川はさらに「労働の自由」と「工場の人間化」にも言及しています。彼は「労働の自由を主張する。労働の自主権即ち労働者の産業管理権を叫ぶ」と述べ、さらに「工場の人間化とは、①生活できる賃金、②工場のデモクラシイ、③工場の立憲化、④工場の組合管理」にあるとしています。これは川崎・三菱争議で打ち出された『工場管理宣言』の、さらには戦後の生産性運動で謳われた「労働の人間化」の先駆的発言と言えましょう。
 『自由組合論』で特に注目されるのは、当時の労働界を席巻していた共産主義思想への批判です。賀川は暗にプロレタリア独裁を「労働軍制」、「無産者専制」と呼び、「資本主義は産業専制主義。この産業専制を倒して無産者の専制をして之に代えしめるならその専制たるに変り無い」と、「個人の自由を束縛する無産者専制」を厳しく批判しています。
 最後に賀川は『自由組合論』を、次のように締め括っています。「産業民主々義はただ自由組合にのみよつて成立せしめ得るものである。そこに始めて、人間本能の三大自由である、交換の自由、職業の自由と移動の自由が保証されるのである。私は産業民主を夢みるものである。ただ自由組合の世界にのみ憧れて居るものである」。
 賀川が「自由組合」論で展開した「人間の自由意志による労働組合」、「産業民主主義」、「合法主義、漸進主義、非暴力主義」、「労働軍政・無産者専制批判」は今日、自由にして民主的な労働運動に引き継がれ、その背骨(はいこつ)となっているのです。
                                  以上