友愛労働歴史館の解説員便り

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『六合雑誌』における作家大橋房子(ささきふさ)!

2008-07-23 09:55:16 | Weblog
◇断髪洋装、昭和モダニズムの女性作家!
 友愛労働歴史館ゆかりのユニテリアン教会が発行していた『六合雑誌』は、単なる教会の会報を超えた明治・大正を代表する社会運動誌の性格を持っていました。
 この『六合雑誌』に大橋房子の名前で作品を発表していた少女が、後に昭和モダニズムの女性作家と呼ばれた「ささきふさ」です。本名は長岡房子(フサコ)で、次姉の嫁ぎ先(横浜)の大橋家の養女になり、大橋房子となります。作家デビューした後、芥川龍之介の媒酌で作家・佐佐木茂索と結婚し、佐佐木房子(筆名・ささきふさ)となり、昭和24年に51歳で亡くなっています。
 この「ささきふさ」について、「時代を拓いた女たち かながわの131人」(江刺昭子+史の会編著)は、「断髪洋装のモダン派作家」と呼び、「モダンガールという言葉がはやった頃、誰もが思い浮かべる作家。モダンファッションが飛び切り似合い、作品も1920年代から30年代のモダン都市文学を代表する」と紹介しています。
 同書によれば大橋房子は、「青山学院英文科在学中に内省的作品を『六合雑誌』などのキリスト教系雑誌に発表。在学中に婦人矯風会が募集した論文に「男女の貞操」が入選。1919年に処女出版として児童向け聖書物語『イスラエル物語』、翌年『葡萄の花』を出版。また大阪朝日新聞の懸賞小説に「恐怖の影」が当選し、作家としての第一歩を踏み出す。1921年に『断髪』を刊行、自らも断髪し洋装になった」とされています。
  大橋房子は大正5年から8年にかけ、『六合雑誌』に6編の作品を発表しています。何れも青山学院英文科在学中のものと思われ、最初の作品は「長岡房子」、他の5編は大橋房子名です。以下に紹介いたします。現在、大橋房子(ささきふさ)の作品を入手するのは困難ですので、関心のある方は図書館などでご一読ください。
 『蟹工船』も復刻されたいま、彼女の作品も復刻されないものでしょうか。戦前昭和を代表するのはプロレタリア文学(プロパガンダ文学?)だけではなく、昭和モダニズム文学もまた然りなのです。
        <『六合雑誌』に掲載された大橋房子の作品>
 「生命の宗教」 長岡房子 『六合雑誌』第431号(大正5年12月発行)
 「波うつもの(感想)」 大橋房子 『六合雑誌』第447号(大正7年4月1日発行)
 「灰色の街」 大橋房子 『六合雑誌』第449号(大正7年6月1日発行)
 「潜流」 大橋房子 『六合雑誌』第451号(大正7年8月1日発行)
 「苦痛の快感」 大橋房子 『六合雑誌』第454号(大正7年11月1日発行)
 「探偵のように出る信次さん」 大橋房子 『六合雑誌』第458号(大正8年3月1日発行)
                                  以上