友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

80年前、ユニテリアン教会・惟一館の買収に動いた総同盟!

2008-06-25 17:11:08 | Weblog
◇カンパ金の46%を集めた知識人らの会館建設後援会
 まもなく7月になりますが、今から80年前の昭和3(1928)年7月5日は友愛労働歴史館にとっても、また財団法人日本労働会館にとっても大きな意義を持つ日でした。この日、総同盟関東同盟会(松岡駒吉会長)は東京・芝の協調会館で第6回大会を開き、「関東同盟会本部会館建設之件」を提案・可決しました。
 当時、総同盟本部や関東同盟会本部があったユニテリアン教会・惟一館は、米国ユニテリアン本部が日本から撤退した時に売却され、人手に渡っていました。このため明治27年に建設されて以来、日本の社会運動の総本山としての惟一館が失われ、総同盟もいつ立ち退きを迫られるかもしれない切迫した状況になっていました。
 総同盟は大会後、直ちに会館建設委員会を設置し、組合員のカンパなどによる惟一館買収へ乗り出しました。また、外部の知識人により会館建設後援会(安部磯雄、賀川豊彦、鈴木文治、新渡戸稲造、吉野作造)が発足しました。
 総同盟関東同盟会は直ちにカンパ活動に着手しましたが、当時は野田醤油争議が終結してまもない時期であり、また翌4年からの金融恐慌が迫っており、経済的に極めて厳しい状況にありました。カンパ活動は昭和3年9月から昭和4年、5年と行われましたが、目標額には達しませんでした。
 この総同盟の苦境を支えたのが会館建設後援会によるカンパ活動でした。最終的にカンパ金総額(昭和6年の第二次募金活動を含む)は当時のお金で3万7358円となり、その内1万7104円(約46%)を会館建設後援会が拠出したのでした。これにより昭和5年8月に土地・建物売買契約を結ぶことができ、昭和6年8月には日本労働会館が完工しました。
 なぜ安部磯雄らは建設後援会を作り、総同盟を支えたのでしょうか。そこには日本労働会館を単なる総同盟本部とするのではなく、明治27年にユニテリアン教会として建設されて以来、日本の社会運動の拠点として機能してきた惟一館を、「日本の社会運動の中心としたい」との強い思いがあったのです。
 今日、友愛労働歴史館が安部磯雄、賀川豊彦、鈴木文治、新渡戸稲造、吉野作造らの写真を常設展示しているのは、その協力に感謝するとともに歴史館を日本の社会運動の発信基地にしたいとの願いを持っているからです。
                                       以上