友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

社会民衆党綱領と漸進主義・反共主義(「改革者」より)

2006-07-07 08:25:59 | Weblog
 本稿は、政策研究フォーラム(理事長:堀江湛尚美学園大学学長)発行の月刊誌「改革者」7月号(定価650円)から転載したものです。定期購読を希望される方は、03-5445-4575に申し込みをお願いいたします。
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 友愛労働歴史館から見た社会運動(第3回)

  社会民衆党綱領と漸進主義・反共主義  友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

■歴史資料が語るもの
 友愛労働歴史館には、民社協会(民社党の継承団体)から寄託を受けた民社党関連資料が数多く保存されている。民社党は既に解散しているが、その歴史は大正十五年結成の社会民衆党まで遡ることができ、歴史館資料室には社会民衆党の旗やバッチ、パンフレットなどが残され、戦前の苦難の無産政党運動を偲ばせている。
 戦前日本は、明治・大正・昭和(戦前)を経て資本主義の勃興期・発展期を迎えたが、歴代政府は労働運動や無産政党運動を敵視しており、労働者や社会主義者にとって過酷な国であり、時代であった。その中で僅かな希望を与えたのが昭和三年実施の第一回普通選挙であり、社会民衆党はその普選へ向け、大正十五年十二月五日に結成されている。
 結成を呼び掛けたのは吉野作造らで、それに応えて集まった総同盟(鈴木文治会長)や独立労働協会(安部磯雄や賀川豊彦らが組織)などのメンバーが中心となり、社会民衆党(委員長:安部磯雄)を結成したのである(以下、無産政党に関する記述は略)。
■綱領が謳う漸進・反共主義
 社会民衆党は、穏健なキリスト教人道主義に立っており、また明治三十四年の社会民主党の流れを汲む政党と言うこともできる。その綱領は、次の三ケ条から成っている。①我等は勤労階級本位の政治経済制度を建設することを以て、健全なる国民生活を樹立することを確信し、これが実現を期す、②我等は資本主義の生産並に分配方法は健全なる国民生活を阻止するものありと認め、合理的手段に依り、これが改革を期す、③我等は特権階級を代表する既成政党並に社会進化の過程を無視する急進主義の政党を排す。
 第一条は勤労者を基本とする政治経済制度の建設を謳い、第二条は合理的手段による資本主義の改革・修正を主張している。また、第三条は既成政党批判を行うとともに、急進主義政党の排除を謳い、共産党勢力と一線を画している。社会民衆党綱領は、括って言えば健全主義・漸進主義・反共主義と言うことができる。
■反共とは人間理性への信頼
 当時、第三インター日本支部として設立された日本共産党(大正十一年)は、無産政党や労働組合、青年やインテリに大きな影響力を持っていた。このため社会民衆党が共産主義勢力排除を謳うことは、労働者の敵とか反共主義と批判されることであった。
 事実、反共を叫び続けた社会民衆党や総同盟、戦後の民社党や同盟などは、歴史の潮流に逆行する「反動」として、一部労働者や知識人から強い批判を浴び続けた。しかし社会民衆党や総同盟は、単純に共産主義の持つ暴力革命・一党独裁・宗教弾圧等を批判していた訳ではない。共産主義を、人間理性への重大な挑戦と受け止めていたのである。
 彼らには、人類が社会進化の過程で獲得した民主主義や普選制度等とそれによる資本主義修正の可能性を、共産党が認識していないとの判断があった。また、彼らは共産主義の実態をきちんと観察していた。例えば大正十三年の赤色労働組合モスクワ国際大会に出席し、共産主義の実態を目の当たりにしてきた西尾末広は、「共産主義はロシアの風土と遅れた文化に根ざしたもの」であり、「日本においては不必要」と断言している。
 今日、ソ連と旧東欧諸国、中国などが市場経済体制を導入したことで、共産主義が資本主義へ至る途方もない回り道であったことが、また多くの労働者・国民に不必要な犠牲を強いた反民主主義な政治システムであったことが明らかになっている。
 結局、社会民衆党の「反共」とは「人間(理性)の尊重」であり、それは「民主主義」の同義語であって、時代を超えた普遍性を持ち続けていたのである。
                               以上