友愛労働歴史館の解説員便り

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福沢諭吉「修身要領」とユニテリアン思想の類似点!

2008-11-25 15:52:17 | Weblog
◇「独立自尊」を説いた福沢諭吉と「人間の尊厳」を謳ったユニテリアン!
 友愛会創立を記念する会(2008年8月1日・友愛会館)で行われた講演「ユニテリアン主義と友愛会の精神」で慶応大学の土屋博政教授は、福沢諭吉の「修身要領」とユニテリアン思想の類似点について述べています。
 講演の中で土屋教授は、「福沢諭吉は明治23年に発布された教育勅語に常日頃から不満を抱いていた」と述べ、福沢諭吉は「国民一人ひとりの下からの道徳」として「修身要領」を作らせたと解説をしています。また、土屋教授は「修身要領とユニテリアン思想に数多くの類似点が見られる」と指摘しています。
 この「修身要領」を以下に掲載いたします。なお、掲載した「修身要領」は当日、土屋博政教授が配布した原文をPDF化し、テキストデータとしたものです。文中に誤字、脱字が有る場合、その責任は友愛労働歴史館にあります。

            「修身要領」(福沢諭吉編)

 凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して、其恩徳を仰がぎるものある可らず。此一事は、満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやと云ふに、古来道徳の教、一にして足らずと雖も、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。

一、人は人たるの品位を進め、智徳を研き、ますます其光輝を発場するを以て、本文と為さざる可らず。吾党の男女は、独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して、人たるの本分を全うす可きものなり。

二、心身の独立を全うし、自ら其身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ。

三、自ら労して自ら食ふは、人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。

四、身体を大切にし健康を保つは、人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を決活にして、かりそめにも健康を害するの不養生を戒む可し。

五、天寿を全うするは人の本分を尽くすものなり。原因事情の如何を問はず、自から生命を害するは、独立自尊の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賎しむ可き所なり。

六、敢為活発堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。

七、独立自尊の人は、一身の進退方向を他に依頼せずして、自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。

八、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。

九、結婚は人生の重大事なれば、配偶の選択は最も慎重ならぎる可らず。一夫一婦終身同室、相敬愛して、互に独立自尊を犯さざるは、人倫の始なり。

十、一夫一婦の間に生るる子女は、其父母の他に父母なく、其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして、之を傷けざるは一家幸福の基なり。

十一、子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては、父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは、父母の訓誨に従て孜々勉励、成長の後、独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。

十二、独立自尊の人たるを期するには、男女共に、成人の後にも、自ら学問を勉め、知識を開発し、徳性を修養するの心掛を怠る可らず。

十三、一家より数家、次第に相集りて、社会の組織を成す。健全なる社会の基は、一人一家の独立自尊に在りと知る可し。

十四、社会共存の道は、人々自から権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重して、苟も之を犯すことなく、以て自他の独立自尊を傷けざるに在り。

十五、怨を構へ仇を報ずるは、野蛮の願習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには、須らく公明の手段を択む可し。

十五、怨を構へ仇を報ずるは、野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには、須らく公明の手段を択む可し。

十六、人は自から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく、苟も責任を怠るものは、独立自尊の人に非ざるなり。

十七、人に交わるには信を以てす可し。己れ人を信じて人も亦己を信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得べし。

十八、礼儀作法は、敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば、苟めにも之を忽にす可らず。只その過不及なきを要するのみ。

十九、己れを愛するの情を拡めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは、博愛の行為にして、人間の美徳なり。

二十、博愛の情は、同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き、人の戒む可き所なり。

二十一、文芸の嗜は、人の品性を高くし精神を娯ましめ、之を大にすれば、社会の平和を助け人生の幸福を増すものなれば、亦是れ人間要務の一なりと知る可し。

二十二、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行ひ、軍備を設け、一国の男女を保護して、其身体、生命、財産、名誉、自由を侵害せしめざるを任務と為す。是を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。

二十三、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。

二十四、日本国民は男女を問はず、国の独立自尊を維持するが為には、生命財産を賭して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。

二十五、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず、進んで其執行を幇助し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。

二十六、地球上立国の数少なからずして、各その宗教、言語、習俗を殊にすと雖も、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交わるには苟も軽重厚薄の別ある可らず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは、独立自尊の旨に反するものなり。

二十七、吾々今代の人民は、先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。

二十八、人の世に生るる、智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を教へて之を躬行実践するの工夫を啓くものなり。

二十九、吾党の男女は、自ら此要領を服膺するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下満衆と共に相率ゐて、最大幸福の城に進むを期するものなり。

  明治三十二年二月紀元節             慶應義塾社中某々誌

                                  以上