友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

新渡戸稲造の「武士道」から「平民道」へ!

2007-02-12 11:32:44 | Weblog
                   友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

■友愛会・総同盟を支援した新渡戸稲造
 友愛労働歴史館は友愛会館(旧惟一館)において3月12日まで、「日本労働運動の父 鈴木文治、没後60年ーその人と生涯ー」展を開催している。展示室の一角にユニテリアン教会・惟一館関連資料が展示してあり、そこに新渡戸稲造著『武士道』が置かれている。
 なぜ新渡戸稲造なのか、なぜ『武士道』を展示するのか、と質問を受けることがあるが、実は新渡戸稲造は友愛会・総同盟の恩人なのである。総同盟は昭和5年、ユニテリアン教会・惟一館を買い取り、翌6年に改築して日本労働会館としたが、このとき買い取りに動いた総同盟関東同盟会を側面から支援し、会館建設後援会を発足させたのが、安倍磯雄・賀川豊彦・鈴木文治・吉野作造、そして新渡戸稲造の5名であった。
 「鈴木文治」展での新渡戸稲造『武士道』の展示は、友愛会・総同盟を支援してくれたことへの感謝の気持ちからなのである。
■新渡戸稲造の「平民道」提唱
 1900年に英文で記述され、アメリカで発行された『BUSHIDO』は、たちまち評判となり、各国語に翻訳された。このため『武士道』の著者である新渡戸稲造は、世界の著名人となり、後の国際連盟事務次長などを務めることとなる。
 このような新渡戸稲造であるが、彼が『武士道』を発行して約20年後、1919年(大正8年)に雑誌「実業之日本」に発表したのが「平民道」である。
 この頃、吉野作造による民本主義が提唱され(大正5年1月)、また、大正7年11月には4年に及んだ第一次世界大戦が終結し、翌8年6月、パリで平和条約が調印され、国際連盟が創設される。貧困を追放して戦争をなくし、平和を護ることを謳った国際労働機構ILOも設置され、国際労働条約が採択された。こうした中、大正デモクラシーが花開き、普選への道が開かれようとしていた。
 新渡戸稲造は「平民道」の中で、「人智の開発とともに武士道は道を平民道に開いた」と述べ、「今後の武士道は平民道」であると主張した。彼は「平民道=民本思想=デモクラシー」を主張し、「デモクラシーとは国家の品性」であると言い切り、「政治の根本にデモクラシーを」と呼びかけていた。
 新渡戸は、階級としての武士が存在しない明治・大正の時代に、武士道の理念を再評価(『武士道』の17の教え)し、それを万民に拡張(平民道)することで、時代を突き抜け、階級の限界を超えた武士道(武士の根本にある、いわゆる常道)とした。
 その意味で新渡戸の武士道は平民道へと拡張・発展することで普遍性を獲得したと言え、それは鈴木文治の友愛会が、「人間の尊厳と人類の進歩発達」を掲げることで、時代を突き抜け、階級(狭い労働者階級意識)を超えた普遍性を獲得したのと同様である。
                                 以上