友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

日本労働会館建設を支えた5名の知識人たち!

2007-12-25 15:54:02 | Weblog
■常設展「日本の労働運動ー友愛会・総同盟」と日本労働会館
 友愛労働歴史館は1月8日から常設展「日本の労働運動(戦前)-友愛会・総同盟」展を開催しますが、今回の常設展のポイントは、日本労働会館の建設とそれを支えた5名の知識人、安部磯雄・賀川豊彦・鈴木文治・新渡戸稲造・吉野作造についてです。展示資料には、次のように記述されています。

<日本労働会館の建設>
 日本労働運動史上に記録される千葉県の野田醤油争議が終結してまもない昭和3(1928)年7月5日、総同盟関東同盟会は東京・芝の協調会館で第6回大会を開き、本部会館建設決議を決定した。
 当時、総同盟本部や関東同盟会の本部があった惟一館はユニテリアン教会の手から他に移り、総同盟はいつ立ち退きを迫られるかの危機的状況にあった。このため惟一館と買取って本部会館にするとともに、日本の社会運動の総本山としての惟一館を守っていくことが急務であった。
 9月13日、関東同盟会第2回建設委員会は、「日本労働会館建設趣意」を決定し、組合員による寄付を募った。昭和恐慌下の困難な情勢のなかで、「タバコ1箱、コーヒー1杯を倹約して我等の会館建設を!」との組合員の熱意が実り、昭和5(1930)年8月6日に惟一館の土地、建物を買取ることができた。翌昭和6年6月から改装に取り掛かり、8月27日に開館式が行われ、日本労働会館が落成した。会館の維持、管理、運営のために財団法人日本労働会館が設立された(昭和6年8月17日認可)。

<労働会館建設を支えた5名の知識人たち>
 関東同盟会による会館建設の取り組みを側面から支援するため、外部の知識人・有識者による日本労働会館建設後援会が発足した。昭和3(1928)年9月のことであり、会館建設後援会の発起人に就任したのは、安部磯雄、賀川豊彦、鈴木文治、新渡戸稲造、吉野作造の各氏であった。
 5名の発起人は、「労働組合運動を単なる階級的反応心乃至闘争的興奮に依るにあらずして、実に国家産業の全局の上より見て、最も妥当にして且つ合理的な運動として発達せしめん為には、労働会館建設の大事業の如きは単なる労働組合の私的事業であるべきではない。此の意味に於いて今度、日本労働総同盟関東労働同盟会において企図しつつある日本労働会館建設の如きは、広く社会の有識者具眼者に訴えてよくその協力を得べきものと確信するものである」との呼びかけを発した。
 労働運動への理解が乏しく、偏見と無知が取り巻いていた戦前期(昭和初期)の日本において、労働組合の会館建設事業に外部の知識人・有識者、特に安部磯雄、賀川豊彦、鈴木文治、新渡戸稲造、吉野作造ら当時の代表的知識人たちが応援したことは、今日なお注目に値するところである。
 それは彼らが、「単に関東同盟会の事務所のみならず幾多の社会施設的な設備をなし、組合員は素より一般労働階級の心身の鍛錬修養の上に貢献せんことを期しつつあるに於いて、尚一層その然るものある事を信ずる」との想い、共感があったからであろう。