友愛労働歴史館の解説員便り

当館は2009年8月で一時休館いたしました。しかし資料の収集・研究、PR活動等は継続します。再開は2012年8月1日!

ユニテリアン教会と社会運動(雑誌「改革者」5月号より転載)

2006-05-02 07:52:39 | Weblog
 現在、友愛労働歴史館のボランティア解説員としてお手伝いしている立場で、雑誌「改革者」に原稿を連載することになりました。5月号からスタートし、当面、6回の連載を予定しています。
 この連載原稿を転載いたしますので、ご一読いただければ幸いです。なお、月刊誌「改革者」(定価650円)は、政策研究フォーラム(理事長:堀江湛尚美学園大学学長。学者・文化人・労組役員等で構成)が発行しています。定期購読を希望される方は、03-5445-4575に申し込みをお願いいたします。

「改革者」5月号転載原稿
 友愛労働歴史館から見た社会運動(第一回)
      ユニテリアン教会と社会運動

                  友愛労働歴史館解説員 間宮悠紀雄

■はじめに
 日本の社会運動(労働運動、政党運動など)の各種資料を保存・公開する友愛労働歴史館が昨年十月、東京港区芝の友愛会館(旧ユニテリアン教会)に仮オープンした。
 友愛労働歴史館は、その名前が示すように友愛会から総同盟、同盟までの戦前・戦後の民主的労働運動関連資料を中心に保管しているが、政党資料等も収集している。特に民社党関連資料は、民社協会(民社党の継承団体)から一括寄託を受けており、豊富である。
 私は現在、友愛労働歴史館解説員として資料目録作成の手伝いをしているが、この特権を利用して本シリーズ「友愛労働歴史館から見た社会運動」を執筆したいと思っている。狙いは、友愛労働歴史館保管資料に言及しつつ、その資料が持つ意味や表現するものについて考察し、またそれらが発信するメッセージを読み取ることにある。第一回はユニテリアン教会(現、友愛会館)そのものについて記述する。
■ユニテリアン教会は社会運動のシンボル
 友愛会館の前身は、キリスト教・プロテスタントのユニテリアン教会(協会)。一八八九年、日本からの要請に応えアメリカユニテリアン協会は七名の使節団(三名は慶應大学の教授兼任)を派遣したが、その中の一人がクレイ・マッコーレイ牧師で、彼は一八九三年、東京・芝にユニテリアン教会(唯一館)を建設した。ユニテリアンはその後、日本から撤退。昭和六年に総同盟がユニテリアン教会を買い取り、財団法人日本労働会館として今日に至っている(教会・会館は戦災で焼失)。
 ユニテリアン教会の名前を今日まで歴史に残しているのは、ここで日本最初の無産政党(社会主義政党)である社会民主党と、今日まで続く民主的労働運動の源流である友愛会が誕生したことによる。
 社会民主党は一九〇一(明治三四)年五月、安部磯雄・木下尚江ら六名によって結成された(幸徳秋水を除き五名がクリスチャン)。厳しい冬の時代に社会主義政党の活動が許されるはずもなく即日、結党禁止となり、歴史から消えていった。しかし、その流れは一九二六(昭和元)年、社会民衆党(安部磯雄らが結成)として再生されるが、一九四〇(昭和一五)年の大政翼賛会発足で終止符を打った。
 一方、一九一二(大正元)年八月に結成された友愛会は、ユニテリアン教会で活動していた青年クリスチャン・鈴木文治が興したもので、これにより日本の労働運動は本格的なスタートを切った。友愛会はその後、総同盟へと発展し、松岡駒吉(後の総同盟第二代会長、クリスチャン)や西尾末広(後の社会党書記長、民社党委員長)らの人材を得て、日本を代表する中央労働団体となったが、一九四〇(昭和一五)年、政府の圧力により解散に追い込まれ、二八年の歴史に幕を閉じた。
■ユニテリアン教会からのメッセージ
 社会民主党と友愛会に代表される戦前日本の無産政党運動と労働運動は、結局、政府の圧力により歴史の表舞台から消えていった。しかし、その流れは戦後、日本社会党や総同盟として再生し、民社党や同盟へと発展した。このためユニテリアン教会は今日なお、日本社会運動発祥の地として人々に記憶され、厳しい冬の時代に社会運動を立ち上げた先駆者の勇気と行動を今日に伝えている。
 明治・大正の一時期にユニテリアン教会が発した「人間の尊厳と人類の進歩発展を増進する」とのメッセージは、戦前は社会民衆党や友愛会・総同盟の中に社会改良主義として取り入れられ、戦後は社会党・民社党や同盟の実践指針として盛り込まれ、そして今日においてなお、民主主義政党や民主的労働組合の基本理念として生き続けているのである。
                                  以上