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オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

第三者委員会とは何だろう

2025年04月01日 | Weblog
第三者とは、「ある事柄について直接関与する以外の者のこと」である。

 何かと言うと「第三者委員会」を持ち出すが、直接関与する者はどうなってるんだろう。自分達ではどうしようもないので、直接関係ない他人に委ねてしまうのはあまりにも無責任である。少なくとも自分達が説明責任を果たして自分達の結論があってそれを公表するところまではやってもらわなければならないと思う。これに対して第三者の意見と評価を乞うのが当然のような気がする。どうしてこのような展開になってしまうのだろう。

「直接関与する者」が最初から信用されていないんだろう。

 と言うよりも、信用を獲得する努力をしていないんだろう。最初からあきらめてしまっている。第三者委員会を持ち出した時点で信用を全面的に放棄しているに等しいと思う。そんな認識があるんだろうか?どこから見ても「直接関与する者」の自己の潔白を表明する姿勢と反対意見に対して説得しようとする態度が感じられない。戦う気概も見えない。情けない限りである。この体たらくは一体何なのだろう。自虐と言うか、自殺行為に近い。自分達自身さえ信用できないようである。

一番事実と真実を知り得るのは「直接関与する者」である。

 「直接関与する者」が調べれば、最も効率的かつ確実に事実と真実を明らかにすることができるはずである。これが信用できないと言うことは、「直接関与する者」が虚偽の報告をしていることになる。自分達で事実と真実を公表することができない組織になっていることになる。これが問題なのだろう。こんなことが許されるような組織になってしまっているのである。こんな組織を信用しろと言うのが無理な話である。組織自体も何を言っても信用されないと自覚している。だから第三者委員会に頼らざるを得ないのだろう。

「直接関与する者」は第三者委員会に何を期待しているのだろう。

 それほどひどい結果は出ないだろうと思っているのだろう。そして、形式上第三者委員会に諮れば世間はその結論を客観的な事実として認めて信用してくれるだろうと思っているのだろう。しかし、「第三者」は直接関与しない者なのだから、「直接関与する者」の聞き取り調査で正確な事実と真実を明らかにすることには限度がある。大雑把で大まかな結論でしかないと思う。警察権も調査権もない任意の調査なのだから当然でもある。「直接関与する者」もその点で安心しているのかもしれない。

そう考えると、第三者委員会の結論は厳格なものではない。

 誰もが納得するような範囲で出された結論でもある。良心的な言い方をすれば、冷静に客観的に判断した結論だともいえる。それじゃあ、本当の事実と真実はどこにあるのだろう。それは「直接関与する者」の中にあるのである。それを知っているのも「直接関与する者」なのである。それを問い質すことのできるのも「直接関与する者」なのである。反対に言うと、「直接関与する者」は既に本当の事実と真実を知っているのである。だから、これを隠すために虚偽に虚偽を重ねて、もはや公表できない状況になってしまっているのである。

政府の行なう有識者会議も同じような気がする。

 参集された有識者よりも、政府の直接関与する現場の担当者のほうが議題についてよっぽど専門家であるはずである。専門家であるべきである。何故、有識者会議を設けなければならないんだろう。これも国が信用されていないことの裏返しであろう。直接関与する現場の担当者が出した結論が信用できないものになってしまっているのだろう。自分達でも信用できなくて、まともに説明・説得することもできなくなっている。よって有識者会議に頼ることになる。有識者のメンバーを選定するのは政府でもある。何か矛盾している。

第三者委員会も有識者会議もあまりに多用するとますます不信感が募る。

 それよりも、直接関与する現場の担当者が必要な情報を提供して問題提起して報告し、これをもとに事実と真実を明らかにし、これをもとに組織の長が納得できる内容で真実を説明し世間に公表し、信用を獲得する努力をすべきなのだろう。そこに虚偽が入り込むからおかしなことになり、説明責任も果たせなくなってしまうのだろう。事実と真実を歪めてしまったのは誰なのだろう。そこを明らかにするのも「直接関与する者」の責任であり、有耶無耶にすることは許されない。

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