贅沢とは何だろうと考えてみる。
必要以上に限度を超えた要求を満たすことではないか?必要以上であるので、結論から言うと贅沢は必要ないすなわち不要なのである。なくてもいいことだともいえる。人間として生きるのに贅沢は必要ないし、贅沢しなくても人間は生きてゆけるのである。何故人間は贅沢をしたがるんだろう?必要以上のもので満たされるのは満足である。必要以上であればあるほど満足感は強くなり、病的であれば際限なく満足感を追い求める。しかしながら、通常は満足が得られれば贅沢はそこで止まる。その限度が問題なのであろう。
贅沢が許されるなら贅沢をしてもいい。
大いに満足感を味わえばいいと思う。しかし、贅沢できなくても何も困らないのである。生命の危機が生じて耐えられない我慢を強いられるのであれば問題ではあるが、通常であれば平穏な生活の中でそのような事態は生じない。贅沢できないことを我慢している人もいるだろうが、そんな我慢は必要ないのである。贅沢そのものが不要なのである。しかしながら、「人はパンのみに生きるにあらず」と言うがごとく、人間はただ生きていればいいだけではない。常に上を目指して努力し、その結果に価値を見出す。
浪費という言葉がある。
「費」がつくから金銭のことなんだろう。贅沢のための費用である。必要を超えた支出のことを浪費と言うのだろう。贅沢とおんなじで、浪費は満足をもたらし、満足すれば浪費は止まる。際限なく浪費が続くことはない。物理的、時間的、心理的に限界に達する。例えば、どんなに食事で浪費しても腹が満杯になればそれ以上は浪費できない。その前に飽きて飽和してしまう。これが浪費であろう。許されるのであれば時々は大いに浪費しても何も問題ない。浪費が悪であるという常識はなんかおかしい。生きる楽しみを奪っている。
何で浪費が悪なのか?
浪費によって支出が嵩み、破産してしまう可能性があるからである。結局は経済的な金銭の問題であり、これさえ解決できれば大いに浪費すればいいと思う。道徳的にこれに自制をかける考え方は何かおかしい。経済的な収支決算をしっかりと管理しなさいというならまだ納得がいく。浪費は人生の楽しみであり、浪費の中に人間的な価値がある。無駄でも不要でも無意味でもいいのである。求めるものは満足感と幸福感であり、どちらかと言うとこの浪費によって文化的な生活が成り立っているといってもいい。
自分の経済的な支出を見直してみたらいい。
生きるために最小限必要な支出とそうでない支出を見比べてみると、ほとんどが後者である。じゃぁ、これが贅沢で浪費だと言えるのだろうか?この贅沢な浪費がなければ人生はみすぼらしい悲しいものになってしまう。ただ、状況が変われば、この贅沢な浪費は真先に削除されてしまうが、その姿が理想だとは思えない。この頃贅沢や浪費を悪として追放しようとする人達がたくさんいるが、考え直す必要がある。私としては大いに贅沢をし浪費をしてもらいたいと思っている。それこそ人生の醍醐味である。
消費という言葉がある。
「費」がつくからこちらも金銭的な経済的な言葉なんだろう。費やして消えるともとれる。浪費には限度があるが、消費には限度がない。消費は怪物でもあり、どこまでも際限がない。その根源は人間の欲望であり、消費することによって欲望が満たされる。欲望はどこまでも拡大拡散し、人間の心をとらえて離さない。テレビのコマーシャルを見ていればよくわかる。全てが人間の欲望に訴えて消費を促すことに躍起である。そして全世界の人間達はせっせせっせと消費にご執心である。世の中は消費で埋め尽くされている。
消費は観念の使い捨てでもある。
消費したという観念が次の消費を生む。次から次に拡大し消費の種は尽きることはない。大量生産大量消費の世界は全世界に広がり、必要のない膨大な消費を生み出し資源を枯渇させ、自然を破壊している。節操がないのである。贅沢や浪費よりも質が悪い。その病理は最終消費者に蔓延っている。いったい誰がこんな世界を現出させたんだろう。経済と言う言葉も魔物である。訳の分からない経済に世の中は振り回されている。私個人としては、そんな世界を冷静に観察して自分なりの常識的な行動に努めたいと思っている。そんな心の在り方が少しずつでも世の中を変えてゆくのだろう。
そんなことを考えながら、自分が何をしているかと言うと、
我が家の郵便箱に突然現れたヤモリの飼育を考えている。家の守り神なのだから、大切にしないと罰が当たる。ヤモリは爬虫類で肉食なので、生餌しか食べない。と言うことで、爬虫類専門店でヨーロッパイエコウロギを買ってきて与えている。こんなこと生きるためには無用なものである。浪費でもある。それじゃぁ、何のためにやっているのかと考えると、自分の喜びのため、楽しみのため、新たな発見のためだと思う。これは贅沢ではない。贅沢だと言っても誰も認めてくれないだろう。ささやかな贅沢と言う言い方があるのなら、そうかもしれないが、それにしても取るに足らない贅沢でもある。
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