オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

つまらぬというは小さき智慧袋

2020年09月20日 | Weblog
つまらないと言っているのは「自分」です。

 その「自分」の知恵袋が小さいためにつまらないと思ってしまうのです。つまらないと思ってしまう根本の原因は自分の知恵袋の小ささなんです。つまらないことにこそ自分が過去に経験したことのない新しい素晴らしいものが発見できる可能性を秘めているのかもしれません。つまらないと思ってしまえばその可能性を最初からつぶしてしまっていることになります。この可能性は「つまらないもの」にしか存在しません。誰が考えても素晴らしいものは新規性のないありふれたものでもあります。

かといって「つまらないもの」ばかり執着しても仕方ない。

 どうすればいいかと言うと、「つまらないこと」でもまずは肯定して受け入れるのである。そして実践して経験してみるのである。そののちに判断して決めればいいのである。最初から拒否して全面否定するから素晴らしいお宝に巡り合える機会を無くしてしまうのである。「智」と「行」があるが、「智」だけで終わらせたのではだめで、具体的に実践してみる「行」が伴わないと本当の真実には近づけないのである。頭で考えただけではだめで、実行が伴わないと本当のことは解らないのである。

「つまらないこと」だけではない。

 世の中にある全てのことに通じると思う。例えば善悪である。悪を悪いことだと決めつけて最初から拒否し全面否定するが、果たしてこれでいいのだろうか。この「つまらぬというは小さき智慧袋」の考えに基づけば、悪であってもまずは肯定して受け入れる必要がある。そのことによって悪の本質を理解することができる。そのことから始めなければならない。できればその悪を実践してみるのである。悪についての「智」と「行」を積んでみるのである。

だからと言って悪を極めなさいと言うわけではない。

 小さな悪を経験して「行」を積むのである。善いことも悪いことも経験して成長してゆくのである。そして目指すところは当然「善」なのである。これは、子供の教育にも通じるところがある。是非善悪兼ね備えた立派な大人になるべく偏りのない教育をお願いしたいものである。悪を最初から拒否し全面否定して悪から隔離したところで教育しても本当の真実を追求する人格は育たないと思う。小さな悪の存在を認めてこれを善導して行くことこそが教育ではないかと思う。

今現在の最たる「悪」はコロナウィルスである。

 諸悪の根源で世の中に害を及ぼすばかりの存在となっているが、実はウィルスの正体は人間の生命活動に欠かせないような機能を保持している。ウィルスのような機能を使って人間の生命活動は維持されているのである。人間の身体自体がウィルスの塊のようなものである。ウィルスを知ることは人間の生命活動を知ることでもある。問題は本来の正常な生命活動ではなく、その間隙をついて異質なウィルスが細胞内に侵入してしまうことである。

ウィルスを撃退しようとすると、

 本来の生命活動に必要なものも同じように撃退されてしまう。これでは生命活動が維持できない。ウィルスを防御するには①体内への侵入を阻止②細胞内への侵略を阻止③侵略された細胞を排除、の三つが考えられるが、最も効果的なのが②ではないかと思う。今回の新型コロナでも、本来の免疫機能で①②の段階で防御できた人は発症しない。③の段階で発症し、新たなウイルスを拡散するが、例のPCR検査では①②の段階でも陽性反応を示す。決してPCR検査の感染者数が全ての指標ではないはずである。どちらかと言うと重症患者と死者数に注目すべきである。

がん細胞も同じである。

 がん細胞は自身の細胞である。ただ細胞分裂の時に遺伝子伝達の異常があり、突然変異で身体に害を及ぼす細胞に変貌してしまっただけである。その確率は極めて低いが、日々大量の細胞分裂を行っている人間の生命活動の中でいずれの日にかがん細胞が発生してしまう。これは自然の摂理でもある。まずはこのことを肯定して受け入れるべきである。がんとは共存しながら治療を続けなければならない。がん治療のために人間の生命活動に重大な影響を及ぼすのは本末転倒な気がする。人間本来の免疫機能を向上させることが最優先であろう。

政治も同じような気がする。

 目の前にはたくさんの「つまらぬこと」が転がっている。しかし、政治家の先生方はその「つまらぬこと」に見向きもしない。大衆の皆さんが何を考えているかに右往左往してそればっかりを追いかけている。実は「つまらぬこと」の中に新しい問題点とそれを解決する知恵が眠っているのである。真実を見抜く知恵がないために「つまらぬこと」に終わってしまっているように見える。河野大臣が慣例的な深夜の新閣僚の就任会見や文部科学省の大勢での職員の出迎えを止めたらいいと一石を投じているが、つまらないことのようだが、この中に重大で本質的な解決すべき問題が含まれていると思う。大いに考えを改めてほしい。「つまらぬというは小さき智慧袋」から思いついたことを思いついたままに記した。

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