本当に人間は「いい加減」だと思う。
いい加減だというと悪い意味に聞こえるが、よい程あい、適当、ほどほど、条理を尽くさない、徹底しないなどの意味がある。よく考えると、そんなに悪い意味ではない。人間の本質は「いい加減」であるかもしれない。「いい加減」であるから柔軟性があり創造的であり新しい環境にも適用できると思う。反対に柔軟性と創造性と適応力を獲得するために「いい加減」であることが必要十分条件であるかもしれない。
「いい加減」であることをよく考えてみると、
決めつける必要がないことは決めないことであろう。未来永劫変わらないこと、万人が認める真実、一生変える必要がないこと、などは決めつけてもいいが、それ以外は開放的にどうにでもなるように設定しているようだ。生物に本来持っている本能であるところの行動の様式や能力はあらかじめ決められた生得的な特有の反応形式である。食欲、生存欲、性欲、種の保存、危険回避、睡眠欲、名誉欲、承認欲求などはたぶん一生変わらないのだろう。だから生まれた時から人間にも備わっている。
「いい加減」でないようにするには、
最初から本能と同じようにすべてを組み込んでいればいいのだろう。そして一生変えることがなければ「いい加減」はなくなる。しかしそれではすべての発展と進化が停止してしまう。どこまでも同じことの繰り返しの無限ループとなってしまう。やはり生物、特に人間はうまくできている。発展、進化させるべきものは「いい加減」なままに未完成で残しているのである。人間は20歳過ぎくらいまで長い間教育されるが、これはいい加減な部分を現在の世界の変化に対応させているのだろう。
人間の進化なんて「いい加減」から始まっている。
偶然といういい加減でもある。人間が二足歩行を始めたのも何かの偶然であり、たぶん樹上生活していた猿人以前の人間が、樹木が何らかの原因ですべて枯れてなくなって地上生活を強いられて、地上の高いところにある食物を取るために立ち上がり、移動手段として地上を歩き始めたのだろう。直立二足歩行のために自由になった手を使い始め、地上から離れて守られた脳が発達し、喉が解放されて多様な音声を得て言語に発達させたのであろう。生物の中で極めて弱い立場であったので危険察知のため視力・聴力を発達させ頭脳を使い様々な工夫をし集団の協調性を育ててきたのだろう。
もし、この偶然の「いい加減」がなければ人間は猿のままである。
そして、さらに人間は「いい加減」なままで進化を続ける。「いい加減」に感謝しなければならない。完璧な人は何にも面白くないし、完璧であることは何にも変化を必要としない。そしてすべての世界中の人間は完璧ではないのである。完璧であると自認する人はある意味で「人間」ではない。AIが完璧だと思う人達は私は間違っていると思う。AIはあくまで過去の膨大な情報を処理して直近を予測するものである。一寸先がどうなるかわからないし、多数のAI同士が瞬時処理すれば一寸先の予測も怪しくなる。
もっと「いい加減」であろうよ。
あちこちで政治家の失言問題が起きているが、もっとおおらかであってもいいと思う。「復興以上に大事なのは高橋さん」「いしまきし」「がっかり」「大震災が東北だからよかった」「忖度しました」などなどであるが、この一言をもって全人格と能力を判断するのはやめようよと思う。全体を見てみると、それほどおかしいことを主張しているように思えないし、ただ一言の失言である。その一言に本心が出ていると言う人もいるが、私にはただの言い間違いにしか見えない。しかもその言い間違いを謝罪し訂正しても絶対許さない人達であふれている。
強いて言えばコミュニケーション能力に少し欠陥があるのかもしれない。
しかしながら、万人が違和感や疑問を持たない発言内容には何も情報価値がないに等しいと思う。お互いの違和感や疑問を埋めるために情報交換がなされるのである。違和感や疑問があると言って発言内容をすべて一方的に拒否するのでは情報交換は成り立たない。情報化社会になって良くても悪くても一つの情報が瞬時に広範囲にしかも大量に拡散される。情報を発信して失言をする人はこの状況にうまく対応できていないのではないかと思う。反対に情報を受け取る側はこのような特性があることを十分理解して拡散されている内容に対して冷静に反応しなければならない。
皆さんが言うように本当に政治家の人格と能力に問題があるなら、
もっと本質的なところで冷静に評価すべきだと思う。言い間違いが全てであっては何も問題点は見えてこない。そして、なぜそんな人が政治家になっているのかと言うもっと本質的な部分が見えなくなってしまう。過去の失言のあった大臣を調べてみると、ほとんどが当選6回以上である。本当に人格と能力に問題があるのならそんな人が何故6回以上も当選しているのだろう。そこが一番の問題ではないかと思う。
このような政治家に投票したのは地元の有権者である。
日本の選挙そのものが機能していないか国民が真剣に考えていない結果であろう。政治を任せられないような人が選挙という制度の下で手続きを経て票さえ獲得すれば選出されている。反対に政治の世界に優秀な人材が登場していない気もする。安倍首相も6回も当選したら大臣を経験させなければならないし、悪習ではあるが派閥の調整もしなければならないのだろう。確かに首相の任命責任ではあるが、民主主義に則れば6回以上も当選した民意は閣僚人事に反映しなければならないのだろう。
失言する人も反省しなければならないが、
これに反応する人ももっとおおらかであってほしいものである。特にメディアはこの失言ネタの取り上げ方を工夫すべきだと思う。ただの一点に集中して攻撃するのではなく、全体を見渡した情報発信が望まれるものである。民衆ももっと冷静にとらえるべきだと思う。政治の場では野党の姿勢も疑問がある。もっと本質的で建設的で前向きの議論に発展させてもらいたいと思う。与党を倒すことが目的ではなくて、日本国をよりよくするためにどうすればいいかを真剣に考えてもらいたいものである。
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