コロナ禍やウクライナ紛争や世界不況や気象変動にかかわらず、
平穏なお正月を迎えています。年の初めに幸福について考えてみようと思う。世の中お金お金と金儲け話ばかりが充満しているが、お金のことを気にしないで暮らせることが幸せだと改めて感じている次第である。お金のために無理に働くこともなく、お金に縛られることもなく、お金に振り回されることもない。なければないで何とかなるものであり、ないなりに工夫することが生き甲斐になっている。
幸福の要素は何だろう。
お金だけではないだろうし、お金で幸福になるとは考えられないし、お金で買えないものもたくさんある。健康、時間、価値、信用などだろうか、お金で買えないにもかかわらずお金のためにこれらを犠牲にしてお金を稼いでいる人がいる。お金は信用の塊ではあるが、信用そのものがお金ではない。信用を一時的に形に変えて、交換可能にしたものがお金かも知れない。交換してくれる人がいなければお金の意味もない。
交換してくれる人がいることを感謝してお金を使わなければならない。
お金に物を言わせて無理難題を押し付けるのは許せないし、やってはいけないだろう。これに応じる人もお金の魔力に取りつかれて、自分の大切な何かを犠牲にしている。お互いがこんなことを止めれば世の中はなんと幸福になれるのではないだろうかと思っている。健康で、豊かな時間を保有し、みんなのために貢献して、信用を得て、その見返りになにがしかのお金を得て、これを消費することによりお金が世の中を回っている。
お金が全てではない。
ほとんどの信用はお金に換算されていない。反対にお金に換算された信用はあまりにも心もとない。信用の大部分は損得勘定では得られないし、損得勘定ばかりしていると信用なんてどこかへ消え失せてしまう。信用は人と人の間で出来上がるものである。信用を得るためにはその人のために献身的に貢献しなければならない。これがお金目的であれば、本来の信用は得られない。お金に換えられない信用をたくさん持っていれば何も困ることはない。
信用のある所には価値が生まれる。
この価値もお金ではない。価値をすぐにお金に換算する人がいるが、心貧しい人であろう。自分で認める価値が本当の価値であり、万人が認める価値が恒久的な価値である。信用と同じようにお金に換算できない価値もたくさんある。自分が認める価値はいくらでも作り出すことができる。どんなくだらないことでも自分で価値を認めることができる。これを万人が認めてくれればさらに価値は高くなる。
資本主義の消費社会ではお金は有用である。
煩わしい人付き合いを省略して目的を達成することも可能である。しかし、大本の本質を考えるとお金だけで済ませてはいけないのである。お金も感謝しながら使わなければならないし、お金を信用に交換してやってくれる人にも感謝しなければならない。人に頼まないで自分でやる気があればお金は使わなくてもいいし、自分でやることも楽しみに変換できる。大金を使わなくても贅沢しなければそれなりに工夫して目的を達成することができる。
人のために貢献するのも楽しみである。
そして、相手が喜んでくれればさらに幸せである。そんな関係から信用も生まれてくる。ここに本来はお金なんて必要ない。お金が関係すると、人間関係はますますドライになっていく。お金でギスギスするし、トラブルも発生する。私は、お金を貸す時は献上するつもりで、返してもらうことを期待しない。また、トラブルが嫌だからお金の貸し借りは努めてしないようにしている。年の初めにこんなことを考えて、今年も幸福に過ごしたいと思っている。
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