オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

生活に密着した健康食品を考える(2)

2008年12月28日 | Weblog

マスコミでグルメと言うと松茸でありフグであり脂ののった肉であり魚である。

 しかし、私の好みはこれとは違う。松茸よりも自生の椎茸やシメジであり、フグよりも新鮮な鰯や鯖であり、松坂牛や大トロよりもホルモン肉やアラである。だいたい松茸やフグがおいしいくて最高だという神話は誰が作ったのだろう。松茸やフグよりもおいしいものはまだたくさんある。私が今までで最もおいしいと思ったものは「寒ブリ」であり、きのこはやっぱり「椎茸」である。本当の自然の椎茸は松茸以上の香りと味がある(最近の松茸はとんと香りがないそうである)。本来「おいしい」と思うものは自分の身体が最も欲しているものである。人に言われておいしいと思うものではない。マスコミでこぞっておいしい、おいしい、と言うと本当かなと疑ってしまう。

この頃は、料理屋でも化学調味料を使わざるを得ないそうである。

 お客が化学調味料に慣れ親しんでいるために、化学調味料で味付けされていないと物足り健康なくて納得しないと言う。料理屋も商売である。お客に合わせざるを得ない。こっそりと化学調味料を使うことになる。お客に種明かしはしない。あくまで看板は一流料理を通す。そして、さらに若者を中心に味覚音痴が増えているそうである。特に、うまみ成分に対する感覚が鈍っていると聞く。自然の素材から出るうまみ成分だけでは物足りなくなっているそうである。そこで、甘いものはさらに甘く、辛いものはさらに辛く、油脂類や人工のうまみ成分である化学調味料もたっぷりにしなければならない。ところが一方で健康志向でもある。健康食品と称して減塩や糖分控えめ、低脂肪、無添加の食品が出回っている。まるで精神分裂状態である。

ジュースやコーラは好きなだけ飲んで、

 塩味や人工調味料の効いたインスタント食品やスナック菓子をたらふく食べて、反対に健康志向の高価な減塩食品を買わされ、糖分控えめ(あとは人工甘味料)のケーキやお菓子を選んで、さらにビタミン剤や栄養剤を飲まされて、あげくは栄養補助食品を買わされてダイエットだ健康だ疲労回復だと騒いでいる。なんともおかしなものである。人間の身体は化学実験の試験管ではない。最終的に摂取したもののバランスが取れていればいいと思うのは間違いである。摂取しても身体が受け付けなければみんな糞尿として排出されるだけである。そして有害な物質だけが体内に蓄積されてゆく。健康な体を維持して新陳代謝を良くして体力を増強しないといくら栄養を摂取しても無駄で意味がない。古いものが出ていかないと新しいものは取り込めないのである。そのためには身体を動かすしかない。精力的に働くのである。

ジュース、コーラ、インスタント食品、スナック菓子などをやめたらいい。

 そして、朝昼晩三食をきちんと自然の素材を使って調理し、少なくとも穀類、タンパク質(魚・肉など)、緑黄色野菜の三つを欠かさずに食べていれば何も問題ないはずである。減塩食品も必要ないし、糖分控えめの食品も必要ない。油脂類は素材に含まれるものだけで十分である(私はこの頃天ぷらやフライはしない)。横着をしないで手間暇かけるつもりならば、化学調味料も殺菌剤も防腐剤も添加物も必要ない。材料が新鮮であれば素材そのもののおいしさで食することができ、糖分や塩分でごまかす必要もない。調理にかかる手間暇は体を動かし精力的に働くことでもあり、体にもいいし、自分のために働きしかも創造の喜びがあり精神衛生上もすこぶるいい。最も重要なことは金がかからないことである。いいことずくめである。

単身赴任で自分で料理を始めたら、

 最初に気づいたのが「脂」である。後片付けをしていて脂べっとりの食器や調理器具が一番やっかいである。しつこくてとても水だけでは洗い落とせない。フライパンについたものなどは物理的にこさぎ落とさないと取れないほどである。この脂を自分の体の中にせっせと取り込んでいるんだと思うと油鬱である。これが体内に入ったら合成洗剤を使うわけにもいかないし、こさぎ落とすわけにも行かない。脂肪がたまるわけだ。この前、台所の流しの排水溝が詰まったので掃除をして驚いた。真っ白な脂がいっぱいこびりついている。「ああこれが動脈硬化か」と自分の身体の血管や心臓の中を具体的に想像できた気がした。そして笑い事ではないと恐ろしくなった。

単身赴任で買い物をするようになったら。

 金のかかるものほど不健康で体に悪いと言うことがわかった。まずは中途半端に安い高級品であり、次に簡単・便利・手軽・手間いらずのものである。本当の高級品はたぶん不健康なものはないであろう。そうでないと健康志向の金持ちに受け入れられるはずがない。中途半端な高級品は値段を安くするために無理をしている。つまり生産効率を上げるために自然界にない環境(人工物質、化学物質、化学薬品など)で動植物を大量に製造することになる。簡単・便利・手軽・手間いらずの加工食品も製造過程でたくさんの人工物質、化学物質、化学薬品を使うことになる。商品化したら歩留まりを良くするために殺菌剤、消毒剤、防腐剤を使う。いずれも健康にいいはずがない。しかも値段は高いのである。

健康にいいものは、基本的には自然界にあるものである。

 自然が汚染されたら自然界のものも油断できないが、自然界が信頼できなくなったら世も終わりである。そのための地球環境問題であり、世が終わるかどうかの瀬戸際にあることを認識しなければならない。自然界にあるものとは、中途半端に安い高級品や簡単・便利・手軽・手間いらずのものではない。自然の土地に生息し生育している動植物であり、自然の海に泳いでいる動植物である。食糧問題もこれあり、牧場や畑、養殖場も含めざるを得ないが、考えなければいけないのは牧場や畑、養殖場は中途半端な高級品を作るためにあるわけではないことである。

食糧問題のために牧場や畑、養殖場は必要であるが、

 ここで中途半端な高級品を作られると、食糧問題はますます悪化する。例えば、養殖のハマチを1匹育てるためには大量の動植物の犠牲(餌)を必要とする。この犠牲になった動植物そのものを食料に振り向ければもっとたくさんの人の食料を確保できる。試算したことはないが、養殖ハマチ100グラムはイワシ1キロくらいに相当するのではないか。そうであればハマチの代わりにイワシを食べれば10倍の人の食料が確保できることになる。しかもハマチは養殖だがイワシは天然である。有機食品で栄養価が高く健康にいいのはどう考えてもイワシである。こんなイワシがもったいないことに肥料や飼料にされている。

私はスーパーで買い物をするときに自然界にあるものを見つけている。

 鯛やハマチがいかに安くても養殖物は避ける。鯖、鰺、イワシ、サケなどは大量に獲れるため養殖する必要はなく自然の海から陸揚げされてくるもので、これこそ自然食品である。野菜は旬のものである。旬のものは露地栽培されあまり人工の手間をかけないでも自然に育つのである。変に時季はずれの珍しいものを食べようとすると人工の手間のかかった自然に反したものを選ぶことになる。次には、人工の手間をかけて加工されたものでなく素材そのものを買うことである。自分で加工する分には変な添加物が入ることもない。日持ちは悪くなるが早めに食べきるか、冷凍保存することになる。その日暮らしというわけでもなく、明日の命が危ないというわけでもない。時間はたっぷりあるし、明日のために蓄え準備することもできるし、初物を今すぐ手に入れないと近々食べる機会がなくなるわけでもない。気長に気楽にゆとりを持って生活すると見えないものが見えてきて本来の豊かで健康な暮らしができるようになる。

ここまで書いてきて、読者に誤解を生んでいるのではないかと心配になる。

 私は料理の達人ではない。あくまでも自然で健康な食材を選んでいるだけであり、その食材で料理されたものが最終的に美味であることとは別である。申し訳ないが料理の方は人様に食べさせることのできるしろものとは到底思えないと自分でも納得している。しかし、腹の中に入ってしまえば栄養としては同じである。この頃、料理の奥が深いことを痛感している。化学の実験とは違うのである。こればっかしは試行錯誤によるしかなく最終的には経験と勘であるようだ。しかし、一流の高級な味と、三流の低級な味とどれほどの差があるのであろうか。五感を駆使してやっと区別できるくらいの味の差であれば何も「一流の高級」を目指す必要はない。それよりも栄養面や健康面や費用対効果(金と労力)を優先したい。

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