オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

駆けつけ警護の不思議

2016年10月23日 | Weblog
駆けつけ警護」の用語自体がおかしい。

 これを英語でなんと訳すのだろうか?だいたい警護するために駆けつけるのは当然で、駆けつけない警護があるのだろうか?そうであれば、用語の定義をしっかりしなければならないと思う。たぶん、偶然遭遇した事象に緊急に対応するためという意味で「駆けつけ」と言っているのだろうが、いろいろと条件や手順を細かく決める前に本質的な部分をはっきりさせる必要があると思う。私的には(諸外国から非難されないために)偶然遭遇した武装集団などに襲われた民間活動団体に対し最低限の限定的な警護を行うことだと理解している。あまりにも実用的でなく、本当に実行可能なのか疑問に思ってしまう。

目の前に生命の危機にさらされている人を助けるのは当然のことである。

 それが軍人であろうと民間人であろうと基本的には人間としては同じである。助けようとしている人が軍人であっても民間人であってもやることは同じである。その手段はさておき、そのまま見過ごすことは許せないことでもある。そして、その前に自分の命を守ることがより重視される。したがって、状況によっては助けようとしても助けられない場合もある。たとえば相手が武装集団で自分が武装していない場合は直接対決することは困難である。力関係が対等であれば直接対決の可能性も追求できる。直接対決しないで警護対象を防護して避難させる方法もあると思う。このことは「駆けつけ警護」の用語に関係なく全世界的な認識であろう。

目の前の警護対象を救援すると決心した場合、どのようにやるかは現場の判断に任せるしかない。

 目的が緊急の人命救助であれば何も問題ないはずである。それなのにいろいろな条件や手順でがんじがらめにしては、現場の人は何にもできなくなる。しかも、それに結果として客観的な判断を要求し妥当性を検証されるのでは神様でない限り「駆けつけ警護」はできないことになる。現場の人は、その時の状況に応じて最適と思われる判断をし直ちに行動しているだけで、その自分を落ち着いて客観視している暇はないはずである。何が客観的判断かは知る由もなく、ましてやその結果がどうなるか、どのような判定が下されるかなど思いもよらないのが実態だと思う。結果の良し悪しは実に現場の人達の知識と能力によるが、だからと言って結果論で非難されたり、やる前から細かく行動を制限したりでは現場の人が困ってしまう。

「駆けつけ警護」なるものをよく検証してみると、

 ①武装集団に襲われていること②警護対象が民間活動団体であること、③自衛隊が武器を持って救援できること、④正当防衛や緊急避難以外では射撃などで危害は与えられないこと、⑤国連からの指示があること、⑥治安当局や国連部隊よりも自衛隊が早く到着できること、などとなっているが、果たしてこのような状況が生起するのかも疑問だし、このような条件確認をしている間にすでに実行の機会を失して手遅れとなってしまい、結局見過ごしてしまうことになってしまいそうである。このような中途半端な新任務を与えられた現場の人達は大いに戸惑っていることだろう。世界的な常識からはずれた日本国内の事情はあるだろうが、世界的な場で情報発信するのなら、少なくとも最低限の世界的常識が通用する内容にすべきであろう。

いっそのこと中途半端なことはやめたほうがいい。

 日本の事情として、自衛隊は軍隊でも警察でもなく①軍隊ではない武装集団の襲撃にしか対応できない、②軍隊に対しては戦争に加担することになるので「民間活動団体?」しか警護できない、③武器は自己の正当防衛や緊急避難のために所持する、④たとえ警護であっても正当防衛や緊急避難以外で射撃など危害は与えられない、⑤自国の判断や現場の判断ではできないので国連の指示を必要とする、⑥治安当局や国連部隊での対応を優先し自衛隊が早く到着する場合だけ対応する、と言い換えてみると、いかにいい加減で無責任で他人任せであるかがわかる。安全保障関連法で定められたそうであるが、こんなもの安全保障とは程遠い。諸外国から見ると、こんな国に対して相互に安全を保障してやろうとは思わないだろう。

たぶん、今の現状でできることをやろうとしているのだろうが、

 きわめて中途半端であることは肝に銘じておきたい。妥協の産物で使い物にならない。自然権や当然の義務と思われることでさえ実行できないのでは最初から間違っているし、そんな法律を定めるような国では世界からの信用を失ってしまう。グローバル化とは多数の国による多様化でもあるが、各国のアイデンティティーのせめぎ合いでもある。そのアイデンティティーが不安定であっては諸外国と競争することはできない。グローバル化という前に、もっと自分の足元を見て地歩を固めなければならないと思う。今さら鎖国からの開国や文明開化じゃあるまいし、国内事情だけを振り回している時代ではないだろう。



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1 コメント

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駆けつけ警護の英訳 (ugotn)
2016-10-25 20:41:08
ネットで調べたら、
Japan Newsに"so-called “kaketsuke keigo,” which translates as “rush to the rescue” missions, sources said"だそうです。何かいい加減な感じで、国際的に理解されていないことを再認識しますね。
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