オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

悪いことをする奴

2007年10月31日 | Weblog

組織の中で悪いことをする奴がいる。

 悪いことがバレて世間の知るところになると村八分のように張本人だけを責め立てて極悪人に仕立てて社会から葬り去って良しとしている場面をたくさん見かける。その前に、そんな悪いことを許していた組織そのものは頬被りしたままで、悪いのは張本人だけで自分達とは関係ないといった風情である。これもおかしなものである。

組織からそんな人が出るのは組織が弱体化しているからである。

 悪いことでも平然と実行できるような環境ができあがっているし、周囲の人がそんな常識はずれの強権発動に対しても意見できないような体質を持っている。結局その他大勢ではできないようなことを悪いことをする奴は強烈な意志力を持って実行できる能力と権限を持っている。その意志力の根源は悪巧みであり、権限の根源は金である。これに対して正義の戦いをする人がいない。

この頃は、正義のために戦う人が少なくなっている。

 正義のために戦う人はマンガか映画やテレビドラマの主人公くらいだと思っている。正義のために戦うなんて馬鹿馬鹿しいし、骨折り損のくたびれ儲だと思っている。それよりも実利を得て金儲けをした方がいいし、少々悪いことでも金さえ儲ければ目をつぶるという人達ばかりである。そんな世の中だから日本国から正義が消えつつある。困ったものである。

正義に目をつぶる人達ばかりになると、

 善悪は別として実行力のある人が幅を利かすようになる。昔は正義を唱えるだけで信望を得られたが、昨今は具体的な実利が得られないと誰も見向きもしない。名誉や尊厳や世間体や義理・人情や沽券、情念なんて言葉が死語になりつつある。しかし、大きな目で見て見ると、こんな昔の考え方の欠落が最終的には壮大なしっぺ返しとして自分自身に降りかかっている。

正義に背く人は最後は正義に裁かれる。

 そんな考え方をみんなが行えば、最初から正義に背く人はいないし、正義に背く人は自然と周囲から排斥される。正直者が馬鹿を見る社会は最初からおかしいと思わなければならない。また、一時的には馬鹿を見てもいずれかは報われるという確信を持たなければならない。そのためには、刹那的な生き方をしてはならない。長い目で将来を見据えて、また、遠大な過去を振り返り反省しつつ現在を生きなければならないと思う。

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