オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

日本国のアイデンティティー

2011年10月03日 | Weblog

円高ドル安のメリット

 円高ドル安だと輸出に不利で、輸入に有利だと単純に考えていたが、良く考えてみると、対日本として外国から見ると輸出に有利で輸入に不利になる。外国からすると日本に製品を輸出するのが有利で、日本の製品を輸入するのには不利になる。日本にとって日本製品は輸出しにくくなって外国製品は輸入しやすくなる。反対に外国にとって日本製品を輸入しにくくなって自国製品は輸出しやすくなる。と言うことで、日本としては輸出が不振不良で輸入が好調になると考えられる。

ところが、現実はどうだろう。

 日本としては円高で輸入が有利だから大いに輸入するのだろうが、輸入するものは原材料から完成品まである。通常日本は原材料を輸入してこれを加工して日本国内もしくは外国に完成品を売ることになる。円高であれば円高の効果を発揮して有利に輸入を促進するのであろうが、輸入品は原材料だけでなく完成品もある。日本で原材料を安く輸入して加工して販売するよりも、外国から完成品を輸入したほうが安い現象が発生する。円高のメリットは日本国内も外国も同じである。ところが、この競争に日本は外国に負けそうである。

日本と外国はどこが違うんだろう。

 単に円高ドル安の円高差益ではない。これは国内生産でも外国生産でも条件は同じである。違うのは生産の工賃(人件費)であるようだ。結局は日本の人件費が高すぎるため競争に負けているようである。円高ドル安が悪いのではなく、競争に負けるのは日本の産業構造、とりわけ日本の人件費の高騰と、効率化合理化による人件費の削減努力の不足である。これを克服するのは制度の改革と科学技術力を駆使した徹底した効率化・合理化であろう。今の日本は外国の安い人件費で製造した商品を精力的に外国から輸入し、生産の空洞化が生じている。日本で製造しても商売にならないのである。

円高で国内の原材料の輸入金額を抑えても、

 国内の工賃が高くては、円高のメリットを生かすことはできない。結局、国内で生産したものはコストが高く、さらにこれを輸出するためには円高のデメリットを克服した輸出価格を設定しなければならないという、二重苦を負っている。円高だドル安だと騒いでいるが、その実態は海外との価格競争に負けて八方塞になっているだけではないかと危惧する。円高ドル安とは直接は関係なさそうである。冷静に客観的に考えると、円高、ドル安の環境は日本国内も外国も条件は同じはずである。時間軸で見れば、円とドルの関係はその場その場で変化しているし、その変化に迅速に対応するのが重要であって、例えば、円高ドル安が悪いわけではないし、国内外とも条件は同じだと思わなければならない。円高ドル安のせいにしても問題点は一向に解決しない。

結局は日本の国としての対策が不十分なのである。

 対策に当たっての公正性と国民参加の欠如のような気がする。現実に生起している事実に対して適切な対応ができていないことと、日本の国にとってたとえリスクであっても前向きに解決する姿勢が足りないようである。これでは制度の非効率がいつまで経っても解消できない。当然そこには日本国民を説得できる力量もないし、必要な情報公開さえも怠っている。日本国民が一丸となって努力を結集できるスローガンさえないのである。いくらめまぐるしく変わる状況の変化に適切に対応できても、自国の存在感は欠如するばかりである。自国のアイデンティティーなしにいくら必死に努力しても無駄に終わる。日本の国のアイデンティティーとは一体なんだろう。それは日本が地道に作り上げていくものだし、過去の実績の積み上げだし、周囲に流されない姿勢の中で創造されるものである。要は毅然とした背筋を伸ばした姿勢にあるようだ。

日本には日本国の「国」とは別の「国」が昔からある。

 江戸時代は国は藩のことだった。薩摩国、長州国、会津国、武蔵国、上総国などである。この国ともいえる藩が日本国中に存在した。四方を海に囲まれているので、国境問題もあまりなかった。これが日本の歴史なのである。幕末になってアメリカから開国を迫られ、初めて周辺諸国に目を向け、外交上の警戒心を持ち交渉を始めたのである。それまでは鎖国政策を展開していた。この辺からが本当の日本国の誕生なんだろう。しかしながら、その実態は日本の民衆は依然として国と称した藩を中心とした中で暮らしていたし、民衆が市民革命と言われるような国民的な意識が芽生えたわけではない。よって、戦後民主主義を強要されたが、中身は江戸時代のままで、日本国全体の民主主義とは異なる小集団的民主主義に落ち着いていると言えるのではないだろうか?そういう意味で、本格的な「日本国のアイデンティティー」はこれから作り上げていかなければならない途中経過の段階にあるのではないかと思っている。まぁ、これが日本のアイデンティティーかもしれないが・・・。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不安、恐怖、怒りの状態で盲... | トップ | 覗きつつ覗かれる関係 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事