やまびこ打線が甲子園に帰ってくる!

池田センバツ手中も0-10大敗/高校野球(日刊スポーツ) - goo ニュース

 来春の選抜高校野球の予選である秋季大会がたけなわだが今日は四国大会の
決勝が行なわれ、昨日 生光学園に勝って決勝に進出していた池田は今治西に
0-10で敗れて準優勝に
終わったものの四国の枠は最低でも2なので来年の
選抜出場を ほぼ当確にした。


 やはり92年夏以来の甲子園に21世紀枠ではなく一般枠からの出場は嬉しい
ものである。


‘ムヒが丘に痒みを止めて池田、池田模範堂’と藤田まことが「池田」と書かれた
ユニフォームを着て校歌を歌うムヒのCMが今から80年代に流されていたの
だが、これは あからさまに当時の池田人気にあやかり夏=高校野球の人気
チーム+会社の名前が池田だった事から こういうCMが作られたのだろうと思う
ぐらい池田の人気は凄まじかった。


 30年前の池田は前年夏から夏春連覇を果たし3季連続優勝が期待されていた
ものの強さだけなら その年に池田の甲子園3連覇を阻み全盛期を築いた桑田&
清原のPL学園の方が上だったと思っていたし、それ以降も池田を上回るスー
パーチームは登場していたが池田ほどの全国的な人気を得たチームは珍しい
だろう。


 やはり地方の公立普通校が独自のスタイルをあみ出して一時代を築いたという
事が日本人の琴線に触れたのだろうと思ってしまう。


 そのチームを作り上げたのが名物監督だった故・蔦文也監督で氏が提唱した
パワー野球が高校野球どころか日本の野球に多大な影響を与えて大いにレベル
アップさせる事になったのだから功績は大だし、それを地方の公立普通校がやって
のけたのだから価値がある。


 その池田も蔦監督が退き79年夏準優勝時の主将だった岡田康志監督が後を
引き継いだものの92年夏にベスト8で1-0とリードした9回表に逆転2ランを
浴びて拓大紅陵に敗れたのを最後に甲子園から遠ざかっていた。


 池田の復活は高校野球ファンには素晴らしい朗報だし池田が甲子園で最初に
名を上げたのが11人で戦って準優勝し‘池田イレブン’と呼ばれた74年選抜
から40年目というのも歴史の偶然か。


 偶然ついでに選抜では同姓の岡田龍生監督率いる履正社との対戦が見て
みたい。


 実は35年前の79年選抜ベスト8の第4試合で両岡田主将が率いる池田と
東洋大姫路が対戦し雨で田んぼのようになった中での壮絶な試合の末8-7で
東洋大姫路が逃げ切った伝説の一戦があったので、当時の両主将が監督として
甲子園に戻って再戦するというのもこれまた甲子園の歴史の1ページを彩るの
ではないかと思うのだ。

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