超一流に なれなかった井上康生

 昨日行われた北京五輪の、最終選考となる全日本柔道選手権で
井上康生はQファイナルで敗れ代表入りがならず引退を表明した。
 4年前のアテネ五輪から始まった苦闘を考えると‘お疲れ様’と言って
やりたい。
 ただし私的には心に引っかかるものがあるのが否めない。
 それは巷で言われる‘きれいな一本を取りに行く柔道’ に拘り過ぎて、
100㌔超級に上げてからは特にその傾向が顕著になり過ぎた。
 芸術的な内股が彼の代名詞だ。
 それぐらいきれいな内股をかける‘芸術家’であって、どんな事をしても
勝ちに拘る ‘勝負師’にはなれなかった感が強い。
 ケガ明けの戦いでスタミナに不安があった状態で、技ありと有効のポイ
ントをリードして、終盤に追い上げられると警告まで反則を繰り返しながら
逃げ切った石井慧とは対照的だ。

 00シドニーでは全試合を一本勝ちしての金メダルを取った井上は、
04アテネの前年まで無敵状態だった。
 しかしアテネの本番では調整に失敗してメダルなしに終わる。
 その後、100㌔超級に上げたのは25歳を過ぎると体重も落ちにくくなる
ので賢明な事だと思っていた。
 05年1月の嘉納杯で見事に優勝したのと引き換えに、右大胸筋断裂で
ブランクを作る。

 ここから井上の迷走が始まる。 
‘苦しいときは原点に帰る’とは言うが、井上にとっての原点は内股。
ただし、あまりにも内股に拘りすぎた。
 事実上プロ化している欧米の柔道家達は、これを見逃さない。
‘潔いスタイル’とは言うものの、オプションがなさ過ぎた。 

 現ヘッドコーチの斉藤仁は、88ソウルでは慢性的な膝のケガのために
‘押し相撲’と酷評されても勝つための柔道に徹していた。
 井上にも‘勝つための柔道’を勧めたが、結局‘一本を取るスタイル’
に拘わったので受け入れなかったらしい。

 格闘技通の梶原一騎が、よく言っていたのが‘超一流の要素は、力と
技と反則に代表される狡猾さ’
 前記した斉藤仁には、これがあったからこそ日本人初の五輪連覇が
できたのだ。
 井上の柔道は力と技には優れていた。
 しかし‘どんな事をやっても勝ちに拘る狡猾さ’が、決定的に不足して
いた。
 これではプロ化した柔道では、全盛を過ぎた今では通じないだろう。

 やはり‘どんな手を使っても勝ちに拘る’スタイルで優勝した石井慧こそ、
代表に相応しかったのだ。  

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
そうなんですよね (NEXUS(偽))
2008-04-30 23:01:36
絵に描いたような内股を使えるただ一人の人間と言っても過言では無いような気がしますが、井上が内股以外の技を使っているのを見た事が無い気がするのもまた事実です。
160キロの剛速球を投げられるピッチャーも、変化球が無いといずれ打ちまくられる事になるのは目に見えてますからね。
 
 
 
いい例えですね (こーじ)
2008-05-01 23:20:25
>NEXUS(偽)様
 いやいや、いい例えですよ。
 ストレートしか投げなければ、いくら早くても通じませんよね。
 それと似たような感じです。
 
 
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