仮に三原正が王者を保持し続けたら

 今から40年前の今日82年2月2日に東京体育館で行われたWBA:
Jミドル級タイトルマッチで王者の三原正は、10位のデビー・ムー
アに6RKO負けで初防衛に失敗した。

 前年11月7日にロチェスターでシュガー・レイ・レナードが返上
したタイトルの決定戦に出場した三原は2位のロッキー・フラット
から4Rに右ストレートでダウンを奪い、中盤反撃を許すも終盤に
ポイントを積み上げて2-0の判定でタイトルを奪取していたのだ。

 その初防衛戦で迎えた10位のデビー・ムーアはプロ入り8戦の
キャリアという事から防衛は固いと思われていたが、1年1ヵ月ぶ
りの日本での試合に初防衛戦のプレッシャーもあってガチガチの
状態で前半から若い挑戦者にペースを握られる。

 途中ボディブローを効かせてペースを取り返したかに思われた
が、6Rに右のカウンターをモロにもらってダウンし結果3度のダウ
ンを奪われKO負けとなったのだ。

 仮に初防衛に成功していれば4月に南アフリカでチャーリー・ウ
ェア相手に2度目の防衛戦を行い、夏に元王者のアユブ・カルレに
勝てば秋に統一ウエルター級王者のレナードとノンタイトルで対戦
するという計画が吹き飛んだのだった。

 ムーアなら再戦で取り返せるのでは?と思っていたのだが2度目
の防衛戦で三原でも勝てるか分からないカルレをストップしたのだ
から‘再戦しても勝てないだろう’に変わり、そのムーアに勝ったの
が石の拳と言われたロベルト・デュランだったので以後はJミドル
も手が届かないクラスになった。

 昨年暮れにWOWOWが黄金の中量級特集をやっていたが、仮に
三原がカルレ戦までクリアしたとしてもトニー・アヤラJrのよう
な強豪相手では厳しいだろうと思う次第。

 ムーアと同じ対戦相手で戦ったならWBC王者はウィルフレド・
ベニテスに敗れたデュランが挑戦してきただろうから、アメリカ
でデュランと防衛戦を行えていた可能性もある。

 ただし勝てるかどうかは厳しく実際に83年ぐらいから持病の腰
痛に悩まされ始めていたので、WBC王者がベニテスからトーマス
・ハーンズに移った事もあり返り咲きは厳しかっただろう。

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