ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

頑張ってほしい。

2008年01月20日 11時33分21秒 | Daily Life
1月19日(土)朝、9時から事務所。校正やらFAX送信やらであっという間にお昼。金曜日までの連日のスタジオワークで、腰のあたりに疲労がたまっているようだったので、隣のミナミ鍼灸整骨院に行ってみたけど中にはまだ何人かの人が待っていた。寒いし、みんな身体をほぐしてもらいたいのだ。時間がいっぱいだったので退散。何か大事な「儀式」をやり残したような気がする(笑)。午後から朝日カルチャーセンターで姜尚中さんのレクチャー「世界を正しくとらえるための10冊Ⅱ」。この講座はすでに満員なのだが、受講生のほどんどは女性。姜さんの人気はなかなか根強く、すごい。昨日テキストとしてとりあげたのは久野収・鶴見俊輔・藤田省三という戦後を代表する知識人による鼎談「 戦後日本の思想」。この本は1958年1月から「中央公論」誌に掲載されたもので、ほぼひと月おきに6回にわたって行われたものである。最初はもちろん中央公論社から出版されたのだが、 1961年12月、「思想の科学」の天皇制特集号に際して、中央公論社が編集者である思想の科学研究会に無断で雑誌を断裁してしまう事件が起こり、それにこの「戦後日本の思想」の著者たちが抗議する形で本書が中央公論社のカタログから消え去るという事態に発展した。いわくつきの本である。その後は勁草書房から復刊され、また講談社によって文庫化もされた。現在は絶版であるが、僕は文庫本を入手した。本のコンセプトは60年安保前夜、いまだ戦争の影を落とし、戦争によって混迷している日本の思想をどのように復権するか-ということにある。それを当時彼らのまわりにあったいつくかの思想的状況をモチーフに語り合っていく(というか抉り込んでいく)手法をとっている。その思想的モチーフとは「近代文学研究グループ」「民主主義科学者協会」「心 グループ」「大塚久雄・清水幾太郎・丸山真男」「知識人と大衆」の六つである。昨日の姜尚中さんのレクチャーはこの大きな本の全体を俯瞰するにも時間がなさすぎたが、それでも若き姜さんがどんな心もちで、この本に向かったかを知ることができた。姜さんがいった言葉「保守には急激な進歩に対する健全な懐疑主義がある」が心に突き刺さる。■午後、新宿のジュンク堂書店へ。エスカレーターを上がったところで「草思社応援フェア」を見つけた。草思社が昨年末、東京地裁に民事再生法の適用を申請したことは知っていた。実は、草思社のビルがビクタースタジオの近くにあり、時々だが本を直接買いに行ったり、新刊のディスプレイを見たりしていた。あの近くには河出書房新社もあり、僕にとってはとてもいい環境だったのだ。あの「声に出して読みたい日本語」や「平気でうそをつく人たち」などヒットを飛ばした出版社だけに本当に驚いた。最近では「地図で読む世界情勢」などを買った。そういえば先日、スタジオに録音に行った時、草思社ビルの近くを通ったのだが、日曜日とはいえ妙に閑散としていた。よくよく見ると12月17日で移転したという。草思社といえばタイトリングに定評があった。とにかく一冊の本にタイトルをつける際、みんなで議論をして30個ほどの中からひとつを選び出すという話を聞いたことがある。それをまねて、僕もよくひとりでたくさんのタイトルを書き出しては、苦闘していたこともある。負債は22億円。とても大変だろうが頑張って復活して欲しい。

あんさんぶる1月号 できました。

2008年01月19日 00時21分40秒 | Daily Life
あんさんぶる 1月号 No.488 ができました。


教育についてゆるやかにかんがえる 苅谷剛彦(東大教授)
山口敦/音楽のある街(5) 仙台クラシックフェスティバル
小原孝/“音楽はいつも心に優しい・・・”(59)
若尾裕/音楽は生きている(68)
鶴我裕子/オーケストラのあいうえお(5)
大谷惠美+扇谷一穂/Poemy 詩のような うたのような
横井雅子/人はみな歌い、踊る(13)
鈴木大介/Ensembleリレーエッセイ“Over the rainbow”(2)
イベント・トピックス/カワイ80周年記念コンサート
クローズアップ/青島広志 ほか

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発行:カワイ音楽教育研究会本部
編集:あんさんぶる編集室

昨日は、就活ばなしで終わってしまった。

2008年01月18日 01時06分57秒 | Daily Life
そうそう、一昨日の話の続きをしなくてはね。僕が大学に入ったのが昭和56年(1981年)。ちょうど1980年代に突入した年だった。浪人をしていたからよく覚えているのだけど、1980年から81年は本当にいろんなことが地殻変動のように動いた年だった。歌謡界の大スター山口百恵が引退し、松田聖子が彗星のようにデビューし、世界の王貞治が静かにバットを置き、戦後のスター街道を驀進した越路吹雪が亡くなった。なんといっても衝撃的だったのがジョン・レノンが死んだこと。僕は当時、福岡の予備校の寮で生活をしていたのだが、僕と同じ鹿児島の出身で数学が抜群にできた山口敦さんが悲嘆にくれていた姿が眼に焼きついている。もちろん、彼はジョン・レノンの音楽をこよなく愛していたのだ。また、同じ年に現役の首相であった大平正芳が突然死をした。■僕はその大激震の翌年、東京に出てきたわけで、そこから話は一昨日の石神井公園での下宿生活へと続く。あとになって知ったのだが、僕たちが大学で学び始めた頃、ニューアカと呼ばれる潮流が思想界に押し寄せていたのだった。僕たちの大学の書店でも浅田彰の「構造と力」が平積みでドンと置かれ、またたく間になくなっていった。本屋のオヤジさんはいつもそこに出入りする学生にむかって「どうして、この本が売れるんでしょうねぇ」と尋ねていた。僕も質問されたひとりだが、<そんなこと言ったってオジさん、聞く相手を間違っていますよ。よりによってテツガク科で一番不勉強な学生を捕まえて…>と思ってはみても、顔ではエヘヘと、したり顔で微笑むのであった。■西武のリブロは、当時、そういったニューアカデミズムの流れをキャッチし、それを書店という空間の中で、大きくプレゼンテーションしていた本屋であったというわけだ。糸井重里さんが「おいしい生活」というキャッチコピーを書き、セゾングループのトレンドを作り上げたのが1982年らしいから、本当に僕たちはその渦の中にいたわけだ。■さてさて、そのリブロに僕には一生忘れることができない店員さんがいた。その人はタダさんという女性なのだが、とにかくこの人、商品知識がすごいのだ。西武デパートの本屋が10階から地階に下りてきた時、さすがに僕も今まで蓄積した本の配列や棚の傾向など、すべてが無に帰してしまった。なので勢いわからないことがあると、このタダさんに聞きまくった。「あのー、この本探しています」「すみません」…しかし、このタダさん僕が質問をし終わらいうちにサクサクと歩き出し、1分もしないうちにあの巨大な本屋から、欲しかった本を探してきてくれるのだ。もちろん、本の中には僕が探しきれなくてお願いしたものもあったのだが、時には版元から卸に下りたばかりのようなピカピカの新刊もあった。それでもタダさんは、「あっ、ハイ」といっていつもと同じように1分たたないうちに、僕の手元に持ってきてくれるのであった。検索用のコンピュータなどなかったといってもいい時代の話である。■なんで僕はこんなことをズラズラと書き続けているのかというと、数日前、渋谷の本屋で新刊を探していた時、目の前にその新刊があるにもかかわらず(もちろん、それに気づかない僕も悪いけど)、若い男性店員さんがタイトルを聞くが早いか、パソコンにそれを入力し始める姿を見たからである。客である僕にしてみたら、最終的には本が見つかればいいのだけど…。なんだか迷宮のようなブックストアで、人と人とが醸し出す摩擦やら、空気感やら、その店独特のにおいのようなものが失われていることに軽い失望感を抱かずにはいられないのだけれど、どうなんだろう、これって。

スタジオでのエキサイティングな日々。

2008年01月17日 07時34分42秒 | Daily Life
蜷川幸雄と「さいたまゴールド・シアター」の500日―平均年齢67歳の挑戦 (平凡社新書 400)
橋田 欣典
平凡社

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1月16日(水)定例のミーティング。せっちゃんはまだヘルシンキ。昨日はピロコと愛ちゃんといろいろ話す。今週は毎日、午後の時間帯はスタジオなので、朝は始発バスに乗って事務所でデスクワーク。だいたい朝7時10分には事務所に到着して、午前はメールを書いたり、校正をしたりしていると時間いっぱいになる。昨日のテーマはレコーディングの進捗とそろそろ佳境を迎える編集作業のこと、あと愛ちゃんの就職活動についてのアレコレ。■愛ちゃんと話していて、なんといっても驚いたのが、今、学生が就職するには、就活ナビとかいうものに登録をして、そこからエントリーをするということ。で、そこに出したシートでまず第一段階の選抜があり、次のステップ(筆記試験、面接)に移っていくらしい。「ゲッ、就職活動って直接会社に申し込むんじゃないの?えっ、就活って10月まで、しちゃいけないんでしょ??」ここで坂元を笑ったあなた、あなたはちゃんと時代についていっています。「えっ、ウソ。そうなの」と坂元と同じ反応をされた方、まだまだ20世紀を坂元とともに生きていらっしゃいます。「坂元さん、就活スタートの時期って私たちが学生の頃に変わったんですよ」とピロコ。かなり前か(汗)。しかし、僕たちの頃(といっても一度も就職のための試験を受けたことはないのだけど)とは隔世の感がある。仕事を得るのにも、いろいろと時代のスタイルがあるんだなぁ。■愛ちゃんもそんな中で、いくつかエントリーシートを出す時期となったらしく、かなり焦っているらしい。ま、そんな風には見えないけど。「いくつ受けるの」と聞くと、「10社くらいです」と愛ちゃん。ただ愛ちゃんの目下の悩みは、自分がやりたい仕事が、つまり興味が多岐にわたっていて、いまひとつ「これっ!」と定められないところだという。まぁ、でもそれは仕方ないと思う。だいたい僕たちが学生の頃よりも、職種自体が多様化され、細分化されているだろうし、仕事をするというスタンス自体も変化を遂げている。きっと僕も今、学生だったら迷うだろう。だから迷えるうちは迷った方がいい。それが学生の特権だからね。でも今では就活そのものの時期が半年も早まっているわけだから、その時間的余裕も失われているわけか、学生もツラいね。■大学の入学式の時、もうすぐなくなる「ピラミッド校舎」で、後に僕の指導教官をして下さった加藤泰義先生が「大学というところは、学校の中での勉強が半分、外での勉強が半分です」とおっしゃったことを思い出す。テツガク科なんてところに身を置いたためでもあろうが、先生はちゃんと自分の眼と足で世の中の空気をつかみなさい、と言われたのではないだろうか。この法則はもちろん現在の学生にも当てはまるのだろうが、今ではその「外での活動」が、入学と同時に「出口=就職」を意識したものになっているような気がしてきて、ちょっと考え込んだ。

*写真の本は昨日コメントを下さった共同通信の記者、橋田欣典さんが書かれた本。「2年近く取材していて思ったのは「芸術は効率ではないけれど、なぜか生き残る」と橋田さん。


そういえば、忘れてた。

2008年01月16日 05時53分26秒 | Daily Life
書店風雲録 (ちくま文庫 た 53-1)
田口 久美子
筑摩書房

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いけない、ビクタースタジオに忘れたストップウォッチを取りに行っていない。この場を借りてなんですが、奥ちゃん、ごめんなさい。■昨日の「本屋」の記事つながりでひとつ。本屋で僕が一番思い出すのは、なんといっても池袋の西武百貨店の中にある「リブロ」である。いや、《かつてあったリブロ》と書いたほうがピンとくる。ご存知の方も多いと思うが、僕は鹿児島から出てきた「田舎もの」である。時に昭和56年(1981年)。最初の下宿は石神井公園駅から20分ほど歩く、練馬の三原台というところであった。大家さんは書道教室を営む方で、そこには当時大人気を博していた「おしん」の小林綾子さんが通って来ていた。ある日、庭に向かったガラスをトントン叩く音がしたので開けてみるとなんとそこに、大家さんと「おしん」ちゃんが立っていた。「こんばんは~」「こ、こんばんは」…どうも、大家さんはテレビを見ない僕が、おしんちゃんのことをよく知らなかったので教えてやろうと思ったのだと思う。今でもあの時の愛らしい姿は眼に焼きついている。(もちろん、大家さんではなく、おしんちゃんの)■で、そんなわけで僕が東京の本屋として認識したのが、そのリブロであった。確か当時はまだ現在のように地下ではなくって、10Fあたりにあったはず。田舎ものの僕としてはそれはそれはカルチャーショックもいいところで、広さ、本の品揃えにとにかく舌を巻いた。残念ながら学生の身であるので金はない(今もない)。でも、僕はとにかく通いに通って、いろんな棚にある本を睨み続けた。するとだいたいであるが、どの棚にどんな本があるか、がわかってくる。最初は、とにかく本を探すのだけでも一苦労し、帰る頃にはたいてい疲れ果てていた。しかし、それも慣れてくるととにかく本を探すという行為自体が楽しくて仕方なくなる。「よ~し、リブロをほぼ征服したぞ!」と思った矢先にリブロは丸ごと地下に引っ越してしまった。■本当はこのあとのことを書きたかったのだけど、長くなるといろんな方に「長い!」「もっと簡潔に!」と叱られるので、また明日。ところで写真の本はまさに当時のリブロに勤められ、現在は向かいにある巨大な書店「ジュンク堂」で活躍されている田口久美子さんの本。あの頃のリブロを知っている方には落涙の一冊である。

フィンランドとつながりました。

2008年01月15日 05時41分34秒 | Daily Life
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
森達也
朝日出版社

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1月14日(月)フィンランドからメール開通の知らせ。「メール、開通しました!結局、有線LANのセットを借りることができ、接続させました。」な、なんと、だったら最初からLANケーブルを使えばよかったんジャン。あの3時間はなんだったんだ~!この件でいろいろ教えてくださった皆さん、本当に有難うございました。■フィンランドからの報告によると、今、ヘルシンキは雪のない状態らしい。もちろんこれは温暖化の影響。会う人会う人がこの数年の気候の変化について語り、この状態をストップさせるためにどうしたらいいか、ということを語り出すという。北の国で実感する「温暖化」、その深刻さが身にしみてくる。とはいえ、この問題についてはあまり勉強をしていない。少しまとめて考える時間を作ってみたいと思う。■あと、実感といえば「ユーロ高」。せっちゃんのメールによるとカフェで菓子パンとコーヒーで1,000円。ほぉ、それは高い。一昨年行ったノルウェーはもともと物価の高い国だったが、あそこはクローネ。僕が2001年にフィンランドに行った時とはいろんな状況も変化しているようだ。ちょっと前まで円が高くて、みんなが海外にホイホイ行っていた時、隣の国韓国から来た友だちは本当に財布の紐が堅かった。誰もがどこに旅行しても、あなり物価の高低を感じずに旅行できる世の中になればいい、僕はそう思う。でも現実として今の日本を覆い始めている世界の波は、そんな単純なものではないような気もしてきた。これについては少し経済の勉強も必要だわね。■今度の土曜日にトークセッションに行く予定もあり、一昨日、森達也さんの新刊「死刑」(朝日出版社)を買いに渋谷へ。「あのー、森達也さんが新刊を出されましたよね」「ちょっと待ってください」とパソコンをパチパチ店員さん。す、すると「あっ、その本ならあそこにありますよ」と一人の青年が教えてくれた。入り口の新刊コーナーにドカッと置いてあるのだった。「せんきう」とお礼を言い、なんといい気分。本屋で人に話しかけるってなかなかできないのだが、僕より随分若い人がそれをサラリとやってのける。こういう本はまた価値がある(と思う)。それはそーと、店員さん、せめて目の前の新刊くらいは覚ておいてね。■と書いてる間にふたたびフィンランドからメール。取材の報告が舞い込む。いろいろと面白いところ、重要な人たちに会っているようだ。フィンランドの音楽教育について、何か「鍵」が見つかるかもしれない。

青山界隈で。

2008年01月14日 00時51分54秒 | Daily Life
1月13日(日)。朝9:30、表参道 KAWAIのパウゼへ。今年で3回目を迎えるMiyoshi Net ピアノコンクール本選。ピアノを習ったこともない僕が、ピアノのコンクールを聴き、ここに書くのもなんだが、このコンクールには思い出がある。Miyoshi Netとは作曲家の三善晃先生が20年の歳月をかけて完成したMiyoshi ピアノメソッドを普及し、新しいピアノ教育の可能性を追求するために組織された「場」である。僕はこのNetに直接関わってはいないが、メソッドの楽譜が出版された時に、8巻の楽譜の全曲録音に携わり、企画の担当をさせてもらった。もう10年以上も前の話だ。この時に知り合ったデザイナー 塚本昌都さんとの出会いが、僕にとってデザインや文字というものを考えるきっかけとなったし、また演奏を担当してくれた浅井道子さんとの出会いが僕に音楽における「集中力」ということを教えてくれた。浅井さんは当時すでにアンサンブルを主体とするジャンルで素晴らしい仕事を重ねていた。だから三善先生から「浅井さんで録音をお願いします」との希望を伺ったものの、ちょっと電話するのは怖かった。だからチョー緊張して、かつ虚勢を張って「ビクターで録音の仕事をしています坂元で~す」とちょっと低い声で電話をかけてみた。それが最初。あとでみっちゃんに聞いた話によると「あなた、あの時は、もう頼みました。あなたはやるしかありません。いいですね、やるんですよ、どんなにつらくても!という態度だったわよ」「だから私、あ、はいって言ったんじゃない」ということであった。なーんだ僕の方が脅迫してたんじゃん(笑)。今日、子どもたちが弾く三善先生の作品を聞きながら、そんなことも含めて、あの頃のことをたくさん思い出した。僕にとって「転機」となったたくさんの出会いが次々に去来してくる。そして何より、あの新潟・小出郷で三善先生と長い時間一緒の時を過ごし、録音の後は居酒屋や蕎麦屋で先生を囲んでたくさんの話を聞かせていただいたことが、僕にとっての最大の財産となった。今日残念だったのはこの場に先生が欠席されていること。昨年末、杉並公会堂で開催されたコンサートに車椅子に乗っていらっしゃったお姿を拝見したが、昨日はいらっしゃらなかった。是非、またいつの日か先生と蕎麦を食べながら、あの宝物のようなお話を伺う時間を作ることができたらどんなに幸せだろうか、そう思う。午後からビクタースタジオで録音。合唱団はNHK東京児童合唱団。とても順調にいいレコーディングができた。夕方から再びパウゼ。コンクールの審査発表。自分は受けてもいないのになぜかドキドキ。皆さんお疲れ様でした。で、ふたたびビクタースタジオへ。録音が終わったハードディスクを抱え、インターンのアイちゃんと渋谷・松涛へ。タカギクラヴィアさんにHDを預け、本日のギョーム終了と思いきや、スタジオの奥ちゃんから電話「坂もっちゃん、ストップウオッチ忘れてるよ」あ~ん、もー!

PCはよーわからん。

2008年01月13日 08時16分18秒 | Daily Life
1月12日(土)早速、フィンランドから電話。持参したVAIOがどうも接続できないらしい。今回はLANではなく無線を使って接続する予定だったらしいが、途中までは難なくいくのだが、最後の段階で認証が必要となる表示が出るという。ホテルのスタッフに聞くと、普通はその認証をしなくても自動的にインターネットへと入れるらしいのだが、時折、このような状況になるゲストがいると言っている(らしい)。実際、スタッフはそんなことだから認証の「暗号」は知らない。それはそうだろうな、きっと世界中の人たちが宿泊するわけで、それぞれがいろんなメーカーのPCを持って来るわけだから。で、SONYのサービスセンターに聞いてみたのだが、「さぁー、それはホテル側でその<暗号>を入れていただかないと…」。あ、こりゃいつもの堂々巡りになると思ったので、フィンランドに電話を入れ「すぐにはわからん、用事はFAXにせよ」と伝える。ここまで3時間、ウーム、やっぱりパソコンの世界はわからん。午後からは地元玉川区民会館で行われたコンサート「谷川俊太郎と林光の詩ってなんだろう、歌ってなんだろう」へ。雨まじりの天気にもかかわらず会場はほぼいっぱい。1931年生まれのお二人の軽妙で、ディープなトークと歌の交換に会場は終始和やかなムードに包まれた。まぁ、それにしても人というのはあの領域にまで達すると、舞台の上でも本当に自然体でいられるのだな、ということを実感。去年僕が、10代の頃からの友人で今、国立国語研究所に勤務する野山広君と話した「国語と日本語」と差異について、お二人が話されていた。このことは是非、直接お話を伺いたいと思う。それにしても谷川俊太郎さんの師、三好達治の言葉「詩人は言葉の特攻隊です」には痺れたねぇ。

*写真は会場で販売していた林さんの本「世界の国歌を訪ねて」(東京民研)。私家版で書店にはないらしい。これから読む。

忘れ物にご注意。

2008年01月12日 08時49分32秒 | Daily Life
オッリぺッカ・ヘイノネン「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言)
オッリペッカ・ヘイノネン,佐藤 学
日本放送出版協会

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1月11日(金) 昨日訪問して下さった方が70名、PVは364だった。どなたが見て下さっているのかわからないが、本当に有難いことだ。正月からなんとか継続しているためかもしれない。「継続はチカラなり」とはよく言ったものだ。気分を引き締めてやんなくっちゃ。昨日から一緒に仕事をしているせっちゃんが取材でフィンランドに旅立った。「地球の歩き方」を10日に渡すのを忘れたぱっかりに、早朝から池袋駅に向かい、手渡す。今回はフィンランドの学校を取材するものだが、フィンランドはご存知の通り、いわゆるPISAといわれる「OECD生徒の学習到達度調査」にてここのところトップを取り続けている国である。そんな国の音楽教育の現場はどんなことをやっているか、一度は見てみたいと思っていた。僕が関わってる合唱の世界ではフィンランドをはじめとする北欧諸国は今もってひとつのトレンドを形成しており、人気が高い。僕も2001年にフィンランドのユバスキュラという町に子どもたちのコーラスの録音に指揮者の松原千振さんにコーディネートしていただいて赴いたことがある。その時はペッカ・コスティアンネンさんの指揮による「ヴォクス・アウレア」というコーラスで、彼の自作を録音した。子どもたちがとても自由で(日本風に言えば、てんでバラバラ)、ちゃんと立ってんだか寛いでいるんだかわからないのに、歌いだすとそのままの雰囲気から素晴らしい歌声が生まれ出てくることに感嘆した。そのころはまだPISAのことなんか何にも知らなかったけど、こりゃきっと教育というか、子どもたちと先生の関係が全然日本とは違うんだろうな、と感じたことを思い出す。さて、今回のせっちゃんの取材、どこまでそこに迫れるか、楽しみだ。

追記:2001年の録音の際、街はずれの現代建築の教会で録音したのだが、録音会場費を支払おうとしたところ「へ?それは何??」という反応。どうも教会を使用することで、そんな習慣がないらしい。思案した挙句、松原さんからのアドバイスで献金箱にあるだけのコインを入れてきたことを思い出す。しかし、とはいえコイン…、きっと数千円、いや数百円だったような気がする(笑)。

ハーモニー できました。

2008年01月11日 05時44分59秒 | Daily Life
ハーモニーNo.143[冬号]ができました。(まだ届いてないけど)

ゆ~たん音楽堂、参議院議員・鈴木寛さんへ突撃インタビューを敢行しました!鈴木さんは東大コールアカデミーのご出身です、ハイ。

*◆ジョイフルトークVol.6 鈴木寛「地域の力で学校を変えよう」
学力低下、いじめ、安全の確保…学校をめぐるさまざまな問題が日々報道されています。先生方はあまりにも忙しく、部活動も厳しい状況。私たちは指をくわえて見ているしかないのでしょうか。最前線で教育政策に取り組む参議院議員・鈴木寛さんに聞きました。(HPより)

会報ですので一般書店では販売しておりません。(すみません)

ご希望の方はハーモニー編集部まで。
harmony@jcanet.or.jp