ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

インターン生 M.Nの日記(その8)

2018年10月01日 06時25分37秒 | Daily Life
9/29(土)

最終日。泣いても笑っても今日が最後である。
本日は夜から「異国の丘」という講義イベントが行われた。
集合が午後だったので、ならば時間を有効活用しようと、
午前の時間は昨日の分の実習ノートを記入しながら過ごした。

まず事務所に立ち寄って、必要なCDとカメラを運んだ。
会場に入って、坂元さんが到着されるまでの間にできることはないか?と考え、
まずプロジェクターと音響機材の電源を入れ、マイクの回線チェックを行った。
こういうとき、音響の勉強をしていて本当に良かったなと思う。
少しして戸ノ下さんがいらっしゃったので、
早速プロジェクターと接続しようと思ったのだが、
普段使わないケーブルだったのもあり、使えるはずのものを見落としてしまった。
最終日に初歩的すぎるミスをしてしまうとはなんとも情けない。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そのあと講義開演まで時間があったので、
担当させて頂くカメラ操作のレクチャーを受けたり、
CDをかける順番を事前にお聞きしたりなどして過ごした。

ところで「異国の丘」という曲は、
シベリア抑留中の日本人が故郷(日本)に思いを馳せる気持ちを
メロディーに綴った曲である。
シベリア抑留させられた日本兵たちは「飢餓」「極寒」「重労働」という
三重苦に耐え忍びながら必死に生き延びようとした。
今回の講義では、お話しされていた白井さんの先生である
吉田正(よしだ・ただし)さんによる体験談を交え、
「異国の丘」やシベリア抑留の内容について語られた。

吉田さんはとても運の強い方で、
人生で3つのラッキーを体験されたそうだ。
1:盲腸が破裂してしまい、
  当時の日本の医療制度により治療が遅れるが、一命を取り留める
2:盲腸の手術後、病院で療養中に所属していた隊が全滅(運良く生き延びた)
3:ソ連との迎撃戦により被弾するも致命傷はなく、
  息があるのに気づいた人が助けてくれた
この情報だけでも、どれだけ凄惨な戦いの中で人生を歩まれて来たのか、
そして吉田さん自身の運の良さが伺える。

抑留中、吉田さんはロシア兵に頼まれて、
当時モスクワで流行していた曲をアコーディオンで演奏した。
(ロシアの人は教会音楽で育っていたため、その場で直ぐにハーモニーを作れたそうだ。
音楽、バレエ、文学などに強かったとのこと)。
それから吉田さんは抑留兵の中で音楽担当となった。
その最中に作曲されたのが後の「異国の丘」である。
このときの歌詞は現在とは異なるもので、
抑留地の人々に広まって歌われるうちに詩が変化していったそうだ。
そして何年かのち、この曲が「のど自慢」の番組内で歌われて一躍話題になり、
「異国の丘」として発表される運びとなった。

イントロ部分は編曲家に委ねる作曲家が多い中、
吉田さんは自身の手でイントロの作曲も手がけていた。
「異国の丘」もそのうちの1曲で、イントロを作るのに非常に苦労したという。
吉田さん曰く「イントロとメロディーは作曲家が作るべきであり、
イントロが良ければ、その後に続く主題も活きる」とのことだ。
このお言葉は現代にもそのまま通ずるように思う。

最終日は今までのどの日程とも違う経験をさせて頂いた。
普通に過ごしていたら絶対に聞けないような貴重なお話も、
たっぷりと聞かせてもらった。
始まる前は「淡々とした講義なのだろうか」「私にも理解できるだろうか」
などというネガティブな考えが浮かんでいたのだが、そんな心配は杞憂に終わった。
なせなら白井さんの話し方は、聞き手に語りかけるような優しいものだったからである。

8日間のインターンシップ期間を通して、大学内では絶対にできない経験、
そしてプロの現場をたくさん見せて頂いた。
どの日の記憶も私の中に色濃く刻まれている。
期間中に出会った方はどなたも異なる角度・視点から音楽を見つめて、
それぞれの形で音楽と向き合っていらした。これからの音楽の未来を見据えて、
いい音楽を残すにはどうしたら良いかを考えていらっしゃった。
皆さんの姿勢を見て、私自身もそうでなくてはならないと思った。
いっときの流行に身を任せる音楽ではなくて、

長く世に残るようなメッセージ性のある音楽を
作っていかなくてはならないと、強く感じた。
音楽の世界で生きていく厳しさは、
これまでの経験や今回のインターンシップでも痛いほど伝わって来たが、
私はそれでもこの中に飛び込んで生きていきたいと思う。
そして現場で感じたような「本当にいい音楽」を、私自身の手で発信できるようになりたい。

最後に、ユージンプランニングの皆様、今泉さんと奥さま、
フリーキックスタジオの時枝さんと橋下さん、
そして期間中に関わってくださった全ての皆様に。
大変お世話になりました。貴重な経験とお話を本当にありがとうございました。
またどこかでお会いすることがありましたら、
その時はまた、どうぞよろしくお願いいたします!