ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

ちょっと嬉しい(?)ニュース。

2005年08月29日 17時24分28秒 | Daily Life
僕はまだ愛知万博に行っていない。
多分、この調子では行けないだろう。

しかし、あの作曲家・指揮者として八面六臂の活躍を続けるコウさんこと松下耕さんはしっかりと行っていた。
(あんなに忙しいはずなのに…)

何故わかったかというと、今日インタビューで会った藤井宏樹さんが教えてくれたから。

もし、あの「かわりばんこ日記」が続いていたら、きっとしばらくこの話題でもちきりだっただろうなぁ…。

とにかく、コウさんおめでとう!?

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トヨタグループ館の入館者が23日、目標の200万人を達成した。
200万人目は、作曲家や合唱指揮者として活躍する東京都八王子市の松下耕さん(42)。
記念品を贈呈されたほか、特典として同館のショーに登場する未来の乗り物「アイユニット」に、一般の人としては初めて試乗した。

松下さんは今年、ドイツの合唱作曲家ロバート・エドラーを記念した賞を受賞するなど国際的に知られている。
この日は、家族4人で初めて万博会場を訪れ、「長男の第一希望だったので、(同館に)走ってきました」。
試乗は、小雨のため走行こそ出来なかったものの、座席に座った松下さんは「人なのか車なのか分からない、新しい乗り物。
これで走れたらいいね」と感激していた。
[MSN-Mainichi INTERRACTIVE 地域ニュース より]

台風を待つ!!

2005年08月26日 07時32分16秒 | Daily Life
けろけろころろ

福音館書店

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8月25日(木)
台風が近づいてくるということでなんとなく忙しい一日。

午前中の長谷川冴子さんとの仕事が延期となり、新百合ヶ丘へ。
昨年、縁あってご一緒させて頂いた「ゆりがおか児童合唱団」のリハーサル。
ドキュメンタリージャパンの方にお願いして記録用の映像を撮ってもらうこととなる。

会場の麻生文化センターに着くとすでにリハが開始されていた。
今回のコンサートの目玉でもある委嘱作品、高橋悠治作曲・シアターピース「ふしぎの国から」の稽古の
真っ最中。
当日ピアノを弾く高橋悠治さん、演出・振り付けを担当される石井かほるさんなど、すでに緊張感がみなぎる。

詩は藤井貞和。

休憩時間に高橋さんに挨拶。
昨年、福音館書店との仕事で「けろけろころろ」を一緒に録音させていただいて以来。

「けろけろころろ」は画家の富山妙子さんが切り絵で蛙の姿を描いた絵本に高橋さんが音楽をつけた
絵本+CDのコラボレーション。

スタジオで富山妙子さんから伺った、そしてそれが後の富山さんの作品のモチーフとなっていく
日本統治下での朝鮮人、中国人たちの悲しみ、戦前の旧満州での生活についての話は心に残る。
高橋さんとは70年代からすでに協働をされており、スタジオで流石の「呼吸」を醸し出していたことを思い出す。
是非、機会があったらCDを聞きながら絵本を開いていただきたい。

午後、新百合ヶ丘を後に神保町へ。
最近溜まりつつあるデスクワークをこなす。
今日は台風接近ということもあり、なんだか時間がそわそわ動いているように感じる。
ZEROキッズのCDブックレットの打ち合わせを、同じビルの「友楽舎」の宮本さんと済ませ、そそくさと帰宅。

ゆりがおか児童合唱団のコンサートは27日土曜日。

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ゆりがおか児童合唱団
第29回定期演奏会(創立35周年記念)麻生音楽祭協賛イヴェント

とき:2005.8.27(Sat) 16:00開演
ところ:麻生文化センター大ホール (小田急線「新百合ヶ丘」駅北口より徒歩1分)

【プログラム】
1.H.パーセル Sound the Trumpet
  J.S.バッハ Wir eilen mit schwachen
  W.A.モーツァルト Alleluja
2.林光 「世界のなぞなぞ」から
3.柴田南雄 「秋来ぬと」
4.高橋悠治 シアターピース「ふしぎの国から」委嘱初演
        [ピアノ:高橋悠治/演出・振り付け:石井かほる]

合唱:ゆりがおか児童合唱団 / コール・リーリエ
ピアノ:和田良枝
琴:西陽子 指揮:山田榮子

あらあら、もう秋風が…。

2005年08月25日 08時40分53秒 | Daily Life
8月24日(水)
京都での怒涛の10日間から帰ってきてからも目まぐるしい日々が続いた。
8月5日~8日 東京で秋からのプロジェクトの準備、
9日~13日 「あなたのうたはわたしのうた」ソウル公演、
14日~16日 「あなたのうたはわたしのうた」東京公演、
17日~19日 ZEROキッズ録音、
21日 カラオケ大会審査員(たま~にやります)、
22日からは断続的に打ち合わせ…。

そんなこんなしているうちに、もう8月ももう後半。
ずいぶん充実した毎日だったが、過ぎ去ってみると本当にあっけないものだ。

今となっては、こうすればよかった、ああすればよかった…なんていう反省ばかり。
もう少し、ぼく個人の問題として思考するための「プリプロ」(準備)の時間をもっととるべきで
あったことを強烈に感じる。

これはぼくの仕事のやり方自体に問題がある。
どちらかというとぼくはかなり大量の仕事を平行させて、一気に突き進むタイプ。

それにはいろんな事情があって、これまで多種多様な作品をリリースする仕事をしていたことや、
ある意味タイトル数をどれだけ出せるかが勝負、みたいなところもあったりして、
それが仕事のスタンスに影響したこともある。

しかし、それよりも何よりもぼく自身の〝せっかちな〟性格が最大の原因であることは議論の余地がない。
とにかく、すぐ決めて、すぐ実行して、すぐ形にすることが好きなのである。

ある時期まで、それは一種の「売り」であった。
でも今、時代の空気は少しずつ、しかも確実に変わってきている。

その新しいスタイルの見出すために、毎日苦慮している。まださっぱりわからない状態。

ここで時折報告している「勉強会」を若い世代の人たちと始めたのも、それに対する答えを
見出したいと思ってはじめた気持ちの表われのひとつ。
なんとかこういう「ものづくり」の型というものを見つけてみたい、ソフトを「制作」することの道筋をある程度まで、
方法論としてつくってみたいという想いがある。

まだまだスタートしたばかりだが、少しずつ生活の中に「異化作用」のように、そんなものを入れ始めている。
結果が出るのには最低二年はかかる。
でも、決してせっかちにならぬ様、じっくりゆっくり取り組んでいきたい。


午後から日本女子大学。
来月録音する「シング・ウォーク・ダンス」(音楽之友社刊)のリハーサル。

この録音は日本女子大学で音楽を教えている先生方が、模範演奏者として参加する方式をとる。
随分たくさんの数になるために、事前に確認をしようというはからい。

昨日は、今泉がシンプルなシステムを持ってきてくれたため、一人ずつの「現状」を録音してお渡しした。

会場は大学構内の教室。
女子大の教室に入るのは初めてゆえ、かなりドキドキであったが、考えてみると先生には男性が
いっぱいるいるわけだから、なんてことはないことに気づく。
我ながら、かなり単純なことがわかっていない。

おひとりずつの演奏対して、楽譜のチェックとともに先生方と一緒に寸評。
これがなかなのヘビーな仕事。
しかも今泉は自分では言わないで、ぼくに「あのここさ、こういってあげたらいいんじゃないの」と耳元で囁く。
ズルい男である。
「オメーナ、自分で言えよ、自分で!」と思いながらも、ついニコニコとそれを代弁してしまうぼくって何??

つくづく人様の演奏に対してアーだ、コーだといえるような実力を持っていないことを自覚。

それでも久しぶりに教室というところに入って、ワイワイと楽しく過ごすことができた。
もしかしてぼくは結構、学校が好きだったのかも、しれない。

録音は来月の22日と23日。

夕方に予定していた「ハーモニー」のインタビューが延期。
指揮者の藤井宏樹さんが体調を崩したとのこと。
僕なんかよりもずっと過酷なスケジュールを精力的にこなしているだけに疲れもピークだったんだと思う。
早い回復を祈り、来週の「再会」を心待ちにしたいと思う。

【寄稿】道場日誌6(by J.Mさん)

2005年08月23日 23時08分37秒 | Daily Life
久々の道場日記。今週も早朝稽古が始まる。…とその前にちょっとご報告。
先日私たちは坂元さんのプロデュースした「あなたのうたはわたしのうた」コンサートへ行ってきた。
「舞台裏」を見せてもらいに。

今まで、コンサートに関わるというと出演者か観客だった。
高校時代は音楽科に通っていて学内の演奏会は自分たちで運営していたが、
機材に関することやなんかはなぜか数少ない男子生徒が全てやっていて、
私は舞台裏はリハーサルくらいしか知らない。

音大時代も特にそういった機会はなく、今回は初めての経験だ。
みな、バタバタと忙しそうに動いている。

M.A.さんは合唱団で舞台慣れしていてテキパキと働いていた。
私は何をしたらよいのかわからず、金魚のフンみたいにM.A.さんにくっついてまわっているだけ…。

それでもこういった視点からコンサートを見ることはとても勉強になった。
坂元さんは指をならしながら舞台の上を歩き念入りに響きの良い場所をさがしていた。
こういう細かいこだわりが良いものを作り出すのだろう。

さて、前置きが長くなったがじつはこのコンサートが今日のお題。
「先日サポートしてもらった日韓コンサートを図解しなさい。仕組み、役割、目的、などできるだけ詳細に。
さらにもし貴方があのコンサートのプロデュースを担当したとしたら、何を加え、何を削りますか。
その理由も書いて下さい」

なるほど…。そうきたか。
そりゃあせっかくの現場体験、そのまま終わらせるはずないですよねぇ…。
ということで早速とりかかる。

図解の方はわりとすぐに書くことができた。
日韓二つの合唱団が共に歌うことによってできた絆。
そしてその演奏が聴衆に与えたもの。
聴衆から帰ってくるもの。
このコンサートを支えている人たち、根底にあるもの…そういったものを図にした。

これはまずまずの評価をいただいた。
問題はお題の後半の部分。プロである坂元さんが作った、ある意味もう完成している
プログラムをどういじればいいのだ…。

ここは聴衆の視点になって考えた。

プログラムを見て感じた違和感。
それはソウルレディースシンガーズの選曲だった。

プログラムの構成を見ると、
1.韓国、日本で昔から歌われている共通の曲(峠の我が家、など外国から入ってきたもの)を二つの国の
ことばで歌う
2.韓国の童話に日本語の歌がつけられた音楽童話「こいぬのうんち」
3.それぞれの合唱団のステージ
4.韓国、日本それぞれで今人気のある歌
…となっている。

ここに3のソウルレディースシンガーズの選曲がビバルディなど韓国のものでないというのは
少し不思議に思った。M.A.さんもこのことを挙げていた。

しかし、M.A.さんは「最初これを不思議に思ったが、よくよく考えると自分も海外で合唱をする際、
必ずしも日本の音楽をやるわけではない。合唱団として一番魅せられる選曲がこれだったのではないか」
という意見だった。

なるほど…、と思った。
観客からも同じ意見は出ていたようだがコンサート全体の構成と、演奏家として聴かせたいもの、
何を優先するかはとても難しいことだと思った。

加えるものに関しては二人とも似たような意見で会場と一帯になれるような音楽遊びを入れることだった。

最近とても多い会場参加型。
ただ、「その先に何がある?」という坂元さんの質問に詰まってしまった。

韓国の手遊び歌を日本の会場で、日本の手遊び歌を韓国の会場でやったらお互いに親近感がわき、
心に残るのでは…、と思ったがどうだろう。

そんなに簡単なものでもないかなぁ。

今回もいろいろと考えさせられる道場だった。

是非、読んでください。

2005年08月21日 20時27分02秒 | Daily Life
<あなたのうたはわたしのうた>コンサートにクォン・ジョンセンさんが寄せて下さったメッセージです。

少しでも多くの方に読んでいただきたく、プログラムからぼくのブログに転載します。
クォンさんの暖かな「眼差し」を受けとめていただけたら嬉しいです。

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月の光のように美しくなりますように

一ばん星みつけた
二ばん星みつけた
三ばん星みつけた

お月様いくつ?
十三 ななつ
まだとしゃ若いな
あの子を生んで、この子を抱かんしょ

一ばん星ごろごろ
ひょうたんほっくりに
二ばん星ごろごろ

1944年、夏、東京渋谷区幡ヶ谷本町3丁目の空き地で子どもたちが遊んでいました。
空襲のない月夜でした。そんな日、子どもたちは空き地で夜遅くまで遊びました。
あの頃、東京の空もまだ公害で汚れていませんでしたので、夜空の星が美しく輝いていました。

空き地では朝鮮の子ども、日本の子どもがお互いに仲よく列をつくっていました。
そして、みんなが前の子の腰を抱え込んでしゃがむと一匹の長い蛇のような形になりました。
年長の男の子たちは、この「月さまあそび」を幼稚だとかなんとかいい、
自分たちだけで「さむらいごっこ」をしにどこかに行ってしまいましたので、
残った女の子たちだけが列を作りました。
その中に私たち小さな男の子も入れてもらい、私ともう一人の朝鮮の子どものエイボオちゃんも
「一ばん星みつけた」とうたいながら遊びました。

あの日、私たちが月さまあそびをしていたあの時、遠く海の彼方の朝鮮でも子どもたちが
月の光の下で元気よく遊んでいたことでしょう。
もっと遠くは中国の子どもたちも、ビエトナム、タイ、インドの子どもたちも、そして
ヨーロッパの子どもたち、アメリカの子どもたちもそうやって遊んでいたでしょう。
世界中の大人たちがお互いに殴りあい、壊しあい、殺しあう戦争で夢中になっている間、
子どもたちは月の光の下で楽しく遊びました。
 
60年が過ぎました。
大人たちはいまだに終りのない戦争をしています。
今日もイラクの子どもたちがどれほど死んでいったのでしょうか。
パレスティナの子どもは何人死んだのでしょうか。
国を失い遠くインドまで行ったチベットの子どもたち、内戦に恐怖するネパールの子どもたち、
アフリカのたくさんの国の子どもたち…。

子どもたちはこんなに美しい世界で、どうして飢えと恐怖に慄かなくてはならないのでしょうか。

今年の夏に韓国と日本の音楽家たちが一緒に演奏会を開くと聞いて、
60年前の月の夜に朝鮮の子ども、日本の子どもが一緒に仲よくあそんだことを思い出しました。
たとえ一回だけの演奏会でも、この素朴な音楽が世の光となり、平和につながることをお祈りします。

時々芸術が権力の操り人形になることもありますが、これまで芸術は世の暴力に拮抗し戦ってきました。
音楽は平和と愛と良心を守る武器なのです。

うつのみやレディーシンガーズ晶とソウルレディースシンガーズが、これからもずっと〝隣国の輪〟をひろげ、
いつかあの遠いアフリカの国の女性たちとも一緒に演奏ができるように頑張ってほしいのです。
音楽をもって愛を伝え、苦しみを取りのぞくことって、思うだけでもうきうきすることです。
寺嶋陸也先生の作曲で「こいぬのうんち」が素敵な音楽会でご一緒させていただくことは
私にとっては大きな喜びとなります。
 
月の光のように美しい音楽会になりますように
                                                        The end


クォン・ジョンセン
[訳:パク・スンエ]

クォン・ジョンセンさんの新しい本

2005年08月20日 18時58分57秒 | Daily Life
悲しい下駄

岩崎書店

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「こいぬのうんち」(平凡社)の作者であるクォン・ジョンセンさんの新しい本が出版されました。

実はクォン・ジョンセンさんは戦前・戦中を日本で過ごした経験を持っていらっしゃいます。
この本はその当時の日本人と朝鮮人の交流を書いた「自伝的児童文学」です。

翻訳は「こいぬのうんち」を出版するために奔走されたピョン・キジャさんがされています。

尚、今クォン ジョンセンさんは韓国の安東というところに住んでいらっしゃいます。
「静かな村が騒がしくなりますから」と、取材や訪問を受けない静謐なる生活を頑なに貫きながら…。


色濃厚の一九四四年、東京・渋谷。配給による貧しい食事、ぼろ布のような衣服、
空襲の恐怖と防空壕の夜…。朝鮮人と日本人の子どもが同居する長屋を舞台に、
子どもたちの目で見た戦争の悲惨さ、貧しさやひもじさ、そして差別への深い悲しみを情感豊かに描く。
韓国を代表する児童文学作家、クォン・ジョンセンが日本での戦争体験をふりかえり、
韓国で発表した自伝的小説の初の翻訳。



*クォン ジョンセン
1937年、東京で生まれる。1946年、10歳で帰国。
『朝鮮日報』新春文芸賞の受賞をきっかけに作家活動を始める。

1969年、第1回キリスト教児童文学賞を『こいぬのうんち』が受賞後、創作活動に専念。
韓国を代表する児童文学作家となる。

長年の闘病生活の苦痛さえも作品の中で幼い生命に対する限りない愛に昇華している。

チッタ de ZEROキッズ!!

2005年08月19日 08時03分02秒 | Daily Life
8月18日(木)
京都、ソウル、東京と続いた夏のプロジェクトが終った。

「世界合唱シンポジウム」では、合唱音楽の粋と差異を、日韓共同企画では差異の中の融合を楽しんだ。
これからのぼくに多くの刺激を与えてくれる2週間だった。

そろそろいつものモードに戻ることになる。

復帰、第一弾はZEROキッズ「そらのふ・し・ぎ」のレコーディング。
17日、コンサートの打ち上げに3:30amまでいたため、相当朦朧としたが、中野ZEROホール「音楽室」へ。
ついさっきまでの飲み屋とは別世界だ(あたりまえだけど)。

子どもたちの歌声で本格的に目が覚める。今回の録音は全部で20曲弱。
前回の録音からすでに2年が過ぎていたり、子どもたちの入れ替えもあったりして少し不安は残るが、
とにかく現場で乗ってうたってもらえる様、心がけるつもり。

エンジニアの吉岡恵一郎、音楽監督の谷川賢作さんと連絡をとりあいながら、最終チェック。

明けた昨日、録音初日を迎えた。録音スタジオはなぜか、あの川崎・クラブチッタ!

とにかく子どもたちは集中力が第一。
しかもZEROの子どもたちは小学校低学年のこどもたちが20人以上いるため、特にそれを維持できるように
心がけなくてはならない。加えてZEROキッズは合唱団ではないので、歌についてのケアが
どれくらいできるかも出来不出来の分かれ目となる。

12:00pm、レコーディング開始。指揮はもちろん谷川さん。

「空の工場」…思ったより声がマイクによく乗っている。「思わずいいぞ!」と心の中で叫ぶ。

子どもたちとのセッションでいつも思うのだが、本当に子どもたちは何をしでかしてくれるかわからない。
その不思議、楽しさがたまらない。

たとえ練習でできなかったことでも、何かの拍子に録音の現場でできたりすることがある。

潜在能力がなせる業なのか、それとも突然別の天賦の才能が花開くのか、それはわからないが、
ディレクションをしながらドキッとさせられることは一度や二度ではない。

だから子どもたちとの仕事は、たとえそれがどんなにむつかしい条件を抱えていてもやめられない。

6:00pm子どもたちの録音分、無事終了。
子どもたち50人、本当によく頑張ってくれた。

また明日ね。

やっぱりいいな、お隣さんは。

2005年08月18日 08時46分39秒 | Daily Life
8月16日(火)
「あなたのうたはわたしのうた」コンサート。

<あなたのうたはわたしのうた>というコピーをコンサートのタイトルにしたいと提案した時、
「そんな、坂元さんちょっと強引な感じがしませんか?」といわれた。

いわれてみると、なるほどそうかも、と一度は思ったが、なんとか無理を通してもらった。

やっぱり、それでよかった、とコンサートを終えた今は感じている。

日本と韓国、不思議な隣国。
ことば、思考、行動様式、そして生き様…どこかが確かに似ていて、どこか決定的に違う。
それを自分の中でコンファームしきれない、つらさ、切なさ。

そして、それはある意味の〝もどかしさ〟。
ぼくたち自身が「共有する」ものを持ちえていない「あせり」のようなもの、そういえるかもしれない。

でも音楽が、その複層的な「ひだ」に自然に入り込み、ふたつの国を柔和に結びつける
力を持っている…このコンサートはそんなことを教えてくれた。

「坂元さん、音楽には不思議な力があると思うんです。だから、小さい時から隣の国の
美しい歌を、それぞれうたい合うことができれば、きっと子どもたちの心に陸国を
最初から嫌悪するようなイメージはできないはずですね」

そう教えてくれたミン・キョンチャンさんの言葉の大きさを改めて感じた。

別にそれは子どもたちだけの問題ではない。
むしろ、ぼくたち大人が問題なのだ。

「こいぬのうんち」を日本に紹介するために奔走し、訳をされたピョン・キジャさんも顔を出して下さった。
久しぶりにお会いして、お元気な顔を見ることができてよかった。

コンサート後、いつもの打ち上げ。
もうだれが日本人でだれが韓国人かわからないこの喧騒と熱狂。

これもまた、いい。

いちばん〝熱い〟夏の日に。

2005年08月16日 06時20分29秒 | Daily Life
8月15日(月)

午前、神保町に着いて驚いた。
街宣車からの爆音、海外メディアのカメラクルー、おびただしい数の警察官…。

終戦記念日の昨日、靖国神社が1年で一番熱い日を迎えた。

軍人を輩出した一家に生まれたぼくは、叔父たちの戦争中の武勇とともに、
「あんなことはもう二度とやってはいけない」と繰り返す祖母の言葉を枕に育った。
妙に軍歌に詳しかったりするのもその影響である。

その祖母がぼくが上京する時に、たったひとつだけ頼みがあるといい
「東京に行ったら靖国神社にお参りに行ってきなさい。叔父さんが祀られているから、頼んだね」
…と託した。

〝叔父さん〟とは戦争末期にルソン島で砲弾を浴びて死んだ、母の長兄のことである。
(ぼくの勇仁の〝勇〟は、この叔父の名前・勇からとられた)

もちろんぼくは祖母の思いに応えたく、上京後すぐに市ヶ谷からてくてくと歩き、靖国に向かった。
静謐の佇まいと穏やかな空気に包まれながら、ここに叔父が眠っているんだな…
と感じたことを思い出す。

あれから25年、あの頃と靖国は別の佇まいを見せている。

今ではほとんど靖国に足を向けることもなくなってしまったが、
こうして近くに事務所を持ち、遠景ながら毎日靖国の姿を見るようになり、
ぼくは改めてあの神社の持つ意味合いの複合性、重層性に思いを馳せている。

ソウルレディースシンガーズ来日。
8月12日にソウルで開いた「ジョイントコンサート」の引越し公演である。

今回のプロジェクトの間に立って下さったパク・スンエさんが
「今日は8月15日ですね、日本では敗戦記念日、韓国では開放記念日といいますね。
でも、こんな歴史的な日に日韓が一緒にコンサートの準備をしているっていいことですね」
と言って下さったことに深く感謝。

このコンサートのコピーを〝あなたのうたはわたしのうた〟とぼくは書いた。

これは「音楽は平和をつくるインフラ」であることを教えてくれた
韓国芸術総合学校 ミン・キョンチャン教授の言葉をぼくなりに書き直したものである。

「こいぬのうんち」の原作者であり、韓国の著名な児童文学者 クォン・ジョンセンさんは
「音楽は平和と友好をつくりだす武器なのです」と公演プログラムにメッセージを下さった。

語り口は違うが、根底の思いは同じである。

ぼくは今夜のコンサートをきっかけとして、本当に音楽が「平和のインフラ」であり「平和への武器」と
なりうるためにぼくが何ができるか…ゆっくり、しっかり考えてみたいと思っている。

日韓フレンドシップコンサートのご案内

2005年08月14日 20時37分18秒 | Daily Life
うつのみやレディーシンガーズ晶<AKIRA>&ソウルレディースシンガーズ
Joint Concert 2005 ~あなたのうたはわたしのうた~
[日韓友情年2005 ・日韓国交正常化40周年記念公演]


2005年8月16日(火)  18:30開場 19:00開演
国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール [小田急線・参宮橋駅下車]

入場料: 全席自由 一般¥3,000 大学生以下¥1,000

出 演: うつのみやレディーシンガーズ晶<AKIRA> 指揮:栗山文昭
    ソウルレディースシンガーズ 指揮:尹 義重(ユン・ウィジュン)
    寺嶋陸也[ピアノ・作曲・編曲]ほか     

演奏曲目:[合同演奏]
●「日本と韓国で愛唱された名歌たち」(編曲・寺嶋陸也)
  海に来たれ/才女/ロンドンデリーの歌/ブラームスの子守歌/峠の我が家/夢見る人
●*特別ステージ*「朗読、合唱とピアノのための音楽童話〝こいぬのうんち〟」
 (原作・クォンジョンセン/作曲・寺嶋陸也) 
●Sing together! ~J-POP&K-POP(編曲:信長貴富)
 冬のソナタ主題歌「最初から今まで」/Way Back(K-POP)/花/上を向いて歩こう(J-POP)
       
その他、合唱団単独ステージなど

主 催: 栗友会
後 援: 駐日韓国大使館 韓国文化院、21世紀の合唱を考える会 合唱人集団 「音楽樹」

お問い合わせ:栗友会 事務局 TEL;03-3985-5356/FAX;03-3985-5357
Email ritsuyukai@yahoo.co.jp