ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

おぉ、高木さん!

2008年01月30日 18時55分46秒 | Daily Life
Esquire (エスクァイア) 日本版 2008年 03月号 [雑誌]

エスクァイア マガジン ジャパン

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山手線の中刷り広告で目に飛び込んできた雑誌「Esquire (エスクァイア) 日本版」2008年 03月号を購入。何しろ「ピアノ300年 音楽の真相。」とある。そりゃ買わなきゃなるまい。で、パラパラめくっていたら、な、なんと「タカギ・クラヴィアの挑戦」と銘打ったページに高木裕さんが載っているではありませんか!高木さん、ストライプのネクタイをしているし、別人のようである。実は、明日から録音で3日間、高木さんと一緒なので、挨拶がてら電話を入れる。やっぱし、関係各位からの反応がすぐさまあったそうだ。「ところで、もう売ってんの?」-高木さん、売ってるから買ってるんですってば!明日から宜しくお願いしま~す。

フィレンツェのクリストフォリが、ハンマーで弦を打つ楽器を生み出して約300年。以来同様のメカニズムを持つ鍵盤楽器は「ピアノ」として、世界のすみずみにまで行き渡り、そのサウンドは、ある時は傍らで、ある時はステージ上から、私たちを魅了してきた。いまだ音楽にとって最重要の器機であるピアノ。「こころ」を動かす何かが、そこにある。(エスクァイア マガジン ジャパン HPより)

高木さんの半生-格闘の日々を書いた「スタインウェイ戦争」はこちらから

http://www.yosensha.co.jp/products/cat22/4862480632

なかなかむつかしい。

2008年01月29日 06時31分12秒 | Daily Life
著作権法
中山 信弘
有斐閣

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1月28日(月)ドーン、と買ってしまった。「著作権法」、4,420円也(税別)。実は、仕事をしていく上でドーしてもぶつかってしまうのである、この著作権法というものが。この週末も一件、とある問題が噴出し、いろいろと考えをめぐらせた。しかし、ブレるのである。なぜブレるか。それはちゃんと基本を学んでいないということではないか、それが現段階での結論。であれば、しっかり勉強せい!…ということで、清水の舞台から飛び降りるつもりで、大枚をはたいて渋谷のブックファーストで購入。■僕がぶつかってしまうというのは、著作権というものがなぜ存在し、何を目的とし、何がどのようにプロテクトされているのか、ということである。そんなこと、基本中の基本でしょ。とほとんどの方がおっしゃると思うが、これがなかなか堅物であり、僕はこれらをちゃんと語ることはできない。実際、仕事でさまざまな案件に遭遇するが、そのたびに一緒に仕事をしている人や、担当の人たちが言うことが異なることも多々ある。結果として、異なるのは致し方ない、そうは思う。だって「解釈」というものは法律にはつきものだから。でも、きっとこの法律がまず基本として目指しているものには、明確なものがあるはずだ、そう思うのである。なきゃ困る。■合唱連盟の会報「ハーモニー」誌で、一年以上にわたって著作権問題を取り扱ってきた。座談会もしたり、研修会にも出かけた。しかし、まだ何か釈然としないものが残っているのである。それは個々の事例がどうというのではないし、それが間違っているということでもない。では何か。きっとそれは著作権を保持するクリエーターとそれを使用し、享受するユーザーとの間にちゃんとした約束事が確立され、それが履行されていないこと、そしてその「不履行」の根底に存在する何かモヤモヤしたものである。なかなかうまく書けない。みんな、ある意味の「グレイゾーン」や「ブラックボックス」の中をさ迷い、折々の解釈や方法論に導かれて進んできたのではないか、そう思えて仕方がないのである。■さあ、果たして僕の勉強がそれを払拭するに値するか、どうかはわからないが、僕自身、本心を言うとこの問題から自分自身を遠ざけてきたという思いもある。その後ろめたさが、この迷いにつながっているということもわかっている。だからこの著作権法については、さらに一年をかけてある試みをしてみよう、今そう思っている。カタチになってきたらまたお知らせしたいと思うが、とにかく今はキチンと勉強をすることが肝要だ。■昨日は一日、打ち合わせ三昧。夕方久しぶりに日本ギロック協会の安田裕子さんと会う。安田さんはかつては京都に住んでいらしたが、現在はカナダのケベックにいる。だから、年数回しか帰国されない。今回も講習会をメインとした帰国。話を伺うと今、現地でもピアノ教室に勤務し、さらにパワーを増大させているようだ。昨日もとてもお元気。いろいろと意見交換し、次期のプロジェクトにつなげられたらと思う。「あんさんぶる」のゲラもあがった。今週はその編集作業やらパップ晶子さんとのバルトーク「ミクロコスモス」の録音などいろいろある。

NHKラジオ深夜便 出演のお知らせ。

2008年01月28日 21時22分54秒 | Daily Life
もちろん、僕が出演するわけではございません。m(__)m m(__)m

出演されるのは書籍「よくわかる音楽用語のはなし」でおなじみの
ピアニスト 関孝弘さんです。

『NHKラジオ深夜便』
<人生私流>イタリア万歳~芸術の神髄にふれる国
とき:2月2日(土) 23:10~24:30

土曜夜のトーク生番組です。どうぞお聞き逃しなく! 
http://www.nhk.or.jp/radiodir/pro/shinya.html

働くって。

2008年01月27日 22時26分09秒 | Daily Life
仕事の裏切り なぜ、私たちは働くのか
ジョアン・キウーラ,中嶋 愛,金井 壽宏
翔泳社

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愛ちゃんが事務所に来てから、僕もいろいろと考えるようになった。それは「働くってどんなこと?」というモンダイである。僕みたいな(周囲がそう言っているから、そんなのだろうけど)ワーカーホリックに、みんな疑問を投げかけても無駄だと思うのだけど、たしかに今、ちょっと前と比較しても働くことの意味が変わってきているような気がする。たとえば、この前も書いたけどこれから就職しようとする学生のほとんどが「転職」を最初から意識しているということ。昨日、思わず愛ちゃんに聞いてみた。「その話、ホント?」「はい、そうみたいです」と愛ちゃん。げっ、ホントなんだ。それって一体どういう意味なんだろう。それがいまひとつわからない。就職=仕事を得る、ということなんだろうけど、ホントのところ、学生や若い世代の人たちにとって働くってどんな意味を持っているのだろうか。最初につく仕事って、自分の本意ではない行為を行うことなのだろうか?だって、途中で転職することが最初から青写真に描かれているのだから。じゃあ、自分の「目標」というのは、どうやって設定して、そこへはどのような方法やプロセスを経て到達するのだろうか?う~ん。■最近はあまりないが、かつてよく「好きなことが毎日できていいですね」と言われたことがある。「えっ?」と僕は聞き返したが、相手は「いや、好きなことが仕事になってイイなと思いますよ」と繰り返す。その時、僕はその質問の真意を図りかねたが、おそらくは仕事=自分の本意ではない営み、いった図式が存在していたのではないかと、今になって思う。確かに僕たちが就職する時、(僕が社会に出たのは、ずっと後なので、この仲間には入らない)あれは昭和60年前後だったが、あまり景気のいい時ではなかった。文学部に通っていた僕たちは、ただでさえ就職口かなかった。ましてやテツガク科と独文科は悲惨だった(らしい)。そんなことだから、みんな何か仕事にあつりければ喜んでいた。まさに働くこと=生活することの図式がまだまだ残っていた。起業なんて言葉も、ベンチャーなんていう言葉もなかった。昨日、話していて思い出したのだけど、僕より2、3歳年上のお姉さんたちは、就活から帰ってクラブに来ると「結婚までの2,3年で辞めてくださいね、お願いしますよ」と言われたと言っていた。今考えたらひどい話しだ。まだ「男女機会均等」とか「総合職」という言葉もなかった。そして、あの頃はわずか20年の間に働くということの意味がこんなにも変化するなんて考えてみたこともなかった。僕がワーカーホリックになっている間に、世の中の仕事観はずいぶんと変わってしまったようだ。少しアタマを冷やして、僕なりの「働く観」をせっかくの機会だから言葉にしてみたいと思う、今日この頃である。■写真の本は愛ちゃんが紹介してくれたもの。ゼミで読んでいるらしい。これから読む。「仕事の裏切り」かっ、うう。

やっぱり美しい東京タワー。

2008年01月26日 18時32分42秒 | Daily Life
1月25日(金)。朝8時、神谷町。僕は編集している雑誌で何枚か写真を撮っているだが、昨日は朝と夜、その撮影。東京タワーをずっと撮りたいと思っていたのだが、そう思った日からずっと天気が悪かった。やっとのことで晴天、しかも昨日は雲ひとつない青空が広がった。早朝に時枝さんのスタジオ「フリーキックスタジオ」に出向く。なにしろ時枝さんはこの神谷町の住人で、毎日のように芝公園でジョギングをされている(らしい)。早速、東京タワーを撮影するためのグッドなスポットを教えてもらう。さすがによくご存知だ。2ヶ所から狙いを定め撮影。実は時枝さんのスタジオのある屋上からの東京タワーも気持ちがいい。まわりに何も視界を遮断するものもなく、360度パノラマ状態である。今回は果たしてどのカットなるかは塚本師匠のご判断に任せるが、いい感じになるといいと思う。■撮影後、夜まで今度は「フリーキック」で録音。終了したのが午後7時だったから、時枝さんとはなんと11時間も一緒にいたことになる。朝の撮影後は、ご自宅の朝食にまでお邪魔していまい、申し訳ないことをしてしまった。でも、おかげで無事にずっとココロに引っかかっていた仕事をひとつ終えることができた。感謝感謝。■録音の最中もメールや電話が入ってくる。こんな時はひとつひとつにすぐ対応できなくて申し訳ないのだが、何とか休み時間を利用して、ヒイヒイいいながら連絡を入れる。来週は後半、録音でしばらく離れるのでやれることをしっかりとやっておかないと後が大変だ。週末に再度チェックをしなくちゃ。■録音後、渋谷で韓国人留学生ジャン・ソンヒさんと会う。作業を進めている楽譜のネイティヴチェックを受けるためだった。その作業自体はそんなに時間がかからずに終了。ジャンさんの近況を聞くと、2月に大学院の入試があり、今その願書書きで忙しいという。ジャンさんの専門というか、自分自身のライフワークとして彼女が抱えているのは、童謡を通した日韓の文化交流。まさに僕とミン・キョンチャンさんがK&J KidsのCD制作を通して夢見ていたものである。こうやって若い世代の人たちに、こんな機運が生まれてきていることはとても嬉しいことだ。「あのね坂元さん、小さい時からお互いの国の美しい歌を歌っていたら、美しい想い出かできるでしょ。そうしたら、みんな仲良くなれるんです、私はそう思います。童謡は平和つくるインフラですから」そうかつて語ってくれたミンさんの言葉を思いだす。■ジャンさんとのミーティング後、東横線にゆられて馬車道。もう一枚の写真を撮るためだ。これまた、いいスポットを見つけた!これは内緒。

音は身体の深きところに宿る。

2008年01月25日 07時14分48秒 | Daily Life
失敗学のすすめ (講談社文庫)
畑村 洋太郎
講談社

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1月24日(木)僕は「ハーモニー」誌の編集委員を拝命しているが、巻頭に10頁のインタビューのコーナーを持っていて、慢性的にお話を伺う人を探している。もちろん会いたい人はいくらでもいる。問題はその人に「コーラス」というフックがどこかにあるかどうかだ。ある意味専門誌であり、そのあたりがないとかなりキツい。■今から2年ほど前の冬、文藝春秋の特別企画の雑誌をめくっていた僕の手が止まった。「合唱が大好き、どんなに忙しくても火曜日の夜は必ず練習に行きます」とある、なんとあの失敗学の畑村洋太郎さん。-これはすぐコンタクトをとらなくっちゃ!でもなぁ、忙しそうだなぁ-果たして、インタビューは即座にOK。当日、当時まだオペラシティの高層階にあった畑村さんの事務所を訪ねた僕たちは、腰を抜かした。「いゃー、待ってたよ。合唱の話ができるなんて嬉しいよ。普通はインタビューは一時間なんだけど、今日は午前中いっぱい空けてあるからね!」「は、はぁ」それから約2時間、畑村さんの失敗学ではなく、合唱における「サクセスストーリー」が炸裂した。今まで、いろんな方にインタビューしてきたが、あんなに終始ニコニコしながら話して下さる方は多くない。とても印象深い一日だった。■さて、その畑村さんが小学校の先生方を前に合唱について講演をされるということで、行ってきた。世田谷区立代田小学校。小田急線の世田谷代田駅からすぐのところにある。テーマはズバリ「歌うこと・合唱することのすばらしさ」。畑村さんがどれほど合唱することに対して生きがいを感じ、そして実践しているのか。そしてその背景には子ども時代のどんな体験が生かされているのか、などなど、約一時間の講演であった。畑村さんは実は東大の先生を退官される直前に「合唱」に出会われた。つまりそれまでの数十年間、合唱活動に趣味としても参加されたことすらなかったという。でも「あー、いいな、合唱やりたいな」という思いはご自身の大学時代から東大退官まで、ずっと一貫して抱いた来た願いでもあったのだ。では、そう思わせた原動力は何であったのか?それは小中学校を通しての音楽の授業や、昼休みに楽しんだコーラスだったという。■畑村さんは言う。「子どもときに体験した音は、いつまでも脳の中に残る。そしてその思い出が突然湧き出ることがある。それは僕が長い間、合唱から遠ざかっていても、合唱への憧れをいつも抱いてきたことや、あの当時うたった歌を今でも歌えるということからも証明できるかもしれない。だから、先生方の仕事は大切なんです」2年前と同じ、いや益々パワーアップされている。ご自身の失敗談や、求める指導者像などをユーモアたっぷりに話して下さった。その中で僕が特に大事だと思ったのは、高齢者層に対する<新しい合唱活動のさざ波>がどこからともなく起こり始めているのではないか、ということである。いわゆる団塊の世代を中心として、ますます趣味は多様化し、ソフト提供やさまざまな事業提供との面で大きなうねりが生まれていくことは間違いない。ただ、それをただ単に中高年層に向けた商品を開発するだけではことの本質を見誤るのではないかということである。ここには需要と供給というバランスを超えた大切なもの-運動体としての音楽文化-を作り出すモチベーションがある。講演後、来賓室の畑村さんを訪問。「僕の合唱、変化してるでしょ!」楽屋に戻っても本当に楽しげな畑村さんであった。そんな笑顔を見ていると提唱されている「失敗」という概念を忘れてしまうのだ。■夜、杉並公会堂で行われた竹下景子さんのリーディング・ドラマ「ジョルジュ」を鑑賞。斎藤憐さんの本による。昨年、竹下さんとは2度お仕事を一緒にさせていただいた。ショパンとジョルジュ=サンド、あまりにも有名なふたりの出会いと別れを、関本昌平さんの奏でるショパンの音楽が絡めながら、2時間たっぷりと堪能させてくれるドラマであった。お恥ずかしながら、なんだか初めてショパンの音楽の核の部分に触れたような気がした。今までほとんど知らなかったショパンの生涯だけど、一度ちゃんと勉強しようと感じながら帰途に着いたのだ。きっとこれは僕の「失敗」だろう。

雪の東京は寒かった(フツーか…)。

2008年01月24日 08時25分28秒 | Daily Life
愛ちゃんの就職戦線がはじまったらしい。今週はまだ事務所に来ていないので、詳しいことはわからないが、どうやら寝ないで就職活動をしているようだ。というのもこの前書いてきた僕と愛ちゃんとの秘密の「交換日記」に、<先日、朝4時に送信された会社説明会案内のメールを朝10時にチェックして、説明会の予約をしようとサイトにアクセスしたらすでに満席でした>と書いてあったからだ。AM4:00に情報送信されたものをAM10:00に出して、却下される??またまた僕にしてみると常識破りである。ということは、その受けたい学生がどんな資質を持っていても、フツーの生活をしていては、説明会を受けるところにまでたどり着けないということになるのかしら。もちろんどんなものにも「限度」というものはある。締め切りだってある。だが、しかしだ、人が寝ている時間に時々刻々と就職戦線が行われているというのは、どんなものだろう。あっ「坂元さん、甘いですねぇ」という声が聞こえてきた!■しかもですね、今年は売り手市場ということで、数年前よりかなり状況は改善されていると聞く。この前見た電車の中刷り広告では、わずか一年で10万人の採用数が増えたという。一年の違いが一生を左右する…といわけだ。しかしその一方で就職の時点で「転職」をすでに考えている学生が相当な%をしめるという報道。これは一体どうなっているのか、おじさんにはよくわからない。就職するために会社に直接ではなく、まずは「ナビ」に登録して、夜通しパソコンに向かって説明会への切符を手にして、そこからいざ「就職試験」を受け、難関を突破して無事就職はするものの、すでにその志向は「転職」へ。う~ん、これは一体。しかも現在大学でも、入口(入学)時に、すでに出口(卒業)のことを問い合わせる父兄も多いらしい。だが、実際。大学の授業では高校の「補習」の時間が設けられているともいうし。あー、もうわからん、わかりまへん。きっと愛ちゃんもそんなこんなヒズミの中で毎日を送っているんだろうなぁ。と、おじさんは考えるのであった。■若松歓さんから、ご自身がプロデュースした渡辺かおりさんの新しいアルバム「奇跡」をいただく。これでかおりさんのアルバムは4枚目。タイトルとなった「奇跡」が歌う-生きる歓びも 生きる悲しみも この世界に存在できたかけがえのない 証だから 限りある道のりをふみしめて歩こう- 今、力を振り絞って就活を戦っている愛ちゃん、そしていろんな人の顔が心に浮かんだ。

九州大学の取り組み-感性の大学院-

2008年01月23日 07時33分12秒 | Daily Life
学校がチルドレンズ・ミュージアムに生まれ変わる―地域と教育の再生の物語
目黒 実
ブロンズ新社

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先週土曜日の朝日カルチャーセンターでのレクチャーで姜尚中さんが「今度、九州大学に感性の大学院ができるそうです」とおっしゃていた。「へぇ~」と思っていたのだが、調べてみたらやっぱり目黒実さんにつながった。目黒さんには、かつてずいぶんお世話になった。福岡にいらっしゃる前は出版社の代表として、感性豊かな本を出版されたり、各地に「チルドレンズミュージアム」作ったり、「絵本カーニバル」をプロデュースされたりと、クリエーターとして大きな仕事をされていた。まだビクターにいる頃、一時期、毎週のように原宿の目黒さんの事務所でミーティングをしたり、いろいろなお話を伺ったりと、とても充実した時間を過ごさせていただいた。ものすごく感謝している。だが、とあることで、僕が目黒さんにご迷惑をおかけすることがあって、それ以来お目にかかっていないのだが、あの「一時期」、目黒さんとの対話に、時間を忘れて没頭した時の<興奮>を忘れることはできない。以下、姜尚中さんが参加されるプログラムをご紹介したい。もちろん目黒さんとの対話もある。あ~、時間があったら行きたい!

子ども学連続講座 vol.09 
「くにのゆくえ・子どものゆくえ」− 子どもとともに政治学 −
講演と対談:政治学者 姜尚中氏を囲んで

開催日時:2008年01月26日(土)
時間:14:00~16:00(開場13:30)

会場:アクロス福岡1F 円形ホール(福岡市中央区天神1-1-1)

■プログラム
第1部:姜尚中氏 レクチャー
第2部:対談 姜尚中 氏×目黒 実(九州大学USI特任教授)

九州大学ユーザーサイエンス機構
http://www.usi.kyushu-u.ac.jp/index.php
九州大学ユーザーサイエンス機構 こどもプロジェクト
http://www.kodomo-project.org/

椅子に座りすぎて腰が…。

2008年01月22日 08時40分47秒 | Daily Life
1月21日(月)午後、中野富士見町。(社)日本印刷技術協会が開催した「クロスメディア研究会」に行ってきた。このセミナーはジャーナリストの津田大介さんのサイトで知って申し込んだもの。この前ご案内した合唱連盟の「ハーモニー」で、約1年にわたって僕たちは著作権のことを特集し、いろんな側面から著作権の考え方、そこにあるトラブルや障害、またユーザーの悩みなどを組んできたのであるが、どうやらこれはやればやるほど迷宮に入っていく、そんな感じがしてきた。特にこれまでと状況が異なってくるのは単に演奏をしたり、楽譜やCDを買ったりという行為によって発生する「著作権」だけでなく、インターネット環境下において音楽や映像・画像、あるいはテキストが自由に送信・受信されるという状態が生じてきたということだ。このマルチメディアというか、インターネット時代での著作権処理のあり方、あるいはもっというと著作権の概念はある意味飛躍的に複雑化し、また「深く」なって行っていると思う。ハーモニーで特集したものは、基本的に楽譜(出版社)とユーザー(合唱団メンバー)との関係にフォーカスをあてたものであったが、実は、合唱の世界にもダウンロードによる頒布・販売といった行為が徐々にであるが進んでいるわけだ。そんなとこもあり、一度はこのインターネット環境下における著作権について勉強しなくてはならないと感じ、昨日のセミナーに向かったわけだ。昨日の講師とテーマは以下の通り。


「コンテンツビジネスと著作権問題の概況」
東洋大学  経済学部 教授 山田肇氏

「著作権法改正の動きとビジネスへの影響」
~ダウンロード違法化の議論から見えてきたこと~
文化庁 私的録音録画小委員会 専門委員 ジャーナリスト
インターネット先進ユーザーの会MiAU発起人 
津田大介氏

「ビジネスのための著作権管理技術の実際」
早稲田大学セキュアリーガル・ディジタル流通研究所
株式会社メロディーズ&メモリーズ グローバル取締役・客員研究員 
中西康浩氏
ディレクター・客員研究員 木下信幸氏

「メディア制作業務に関わる権利処理の留意点」
凸版印刷株式会社 法務本部法務部 係長 大野郁英氏

それぞれの立場から今、インターネット環境下におけるコンテンツビジネスがどのような問題をかかえ、どのようにシフトしているのかを説明するもので、それぞれ1時間という枠組みであったが、とても参考になった。特に山田さんからは、現在、政府が推し進めようとしている「国立国会図書館」の蔵書3000万冊のデータ化の問題から見えてくる日本の諸問題と海外の現状を、津田さんからは今、政治の世界で「著作権」にからんでどんなことが議論されているのか、あるいは置き去りにされているのか、を論じていただき参考とするところが多々あった。また後半のレクチャーでは現在起きている訴訟にはどんなものがあり、それは何がポイントかということ、また新しい「許諾コード方式」という潮流についても学んだ。基本的に昨日の方たちはダウンロードを促進することで、よりコンテンツビジネスの発展につながるという立場の方である。仕事をする中では、まだその流れに反対の立場を取っている方たちもいる。その議論の双方を聞くことが多々あるが、問題は現在、このグローバル化と呼ばれる状況の中で、どこにその「着地点」を見出すのか、ということではないだろうか。とても難しい。(果たして着地点なるものはあるのだろうか?)いずれにしてもこの仕事をしている以上、著作権のことを学ばないといけない。もっと勉強しなきゃと奮い立つ一日であった。

時代に翻弄されるということ。

2008年01月21日 08時40分21秒 | Daily Life
「李香蘭」を生きて (私の履歴書)
山口 淑子
日本経済新聞社

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昨日も日曜日だというのに70名近い方が、このブログを見て下さっている。いつものことながら有難いことと思う。■僕の祖母は大阪の出だった。たしか「ミナミ」に住んでいたということを聞いたことがある。大阪の地理に僕は詳しくないので、それがどのあたりかわからない。当時はいわゆるお嬢様で、かなり裕福な生活をしていたらしい。そしてどんな理由か、それがいつ頃かも知らないが、突然、鹿児島に嫁入りする。おぼろげながら聞いた記憶をたどると実家が倒産したか、なにか経済的なトラブルがあったためではなかったか。このへんは、実に曖昧。今度母に尋ねてみたいと思っている。根っからのお嬢さんだった祖母は一通りの芸事には通じていた。親戚筋には歌舞伎の下座音楽を職業とする人もいたと聞く。だから僕が中学や高校でコーラスをやっている時にも必ず聞きに来ていたし、僕が音楽の道に進む時もとても喜んでいた。◎そんな祖母が幼い僕に語ってくれた言葉で、いつくか今でも耳に残っているものがあるのだけれど、そのひとつが「リコーランという人は大変な人で、テイゲキが7回り半するくらいお客さんが来る人じゃったとよ」というもの。もちろんその当時僕にしてみたら「は?」というくらいのものだったが、それにしても劇場を7回り半もする人を集める人ってどんな人だろう?と訝しく思ったものだ。今考えてみると、ちょうどその頃、山口淑子さんがテレビのワイドショーの司会を始めた頃(昭和44年~)ではなかったかと推測する。きっと祖母はテレビを見ながら、僕にそう語ったのだ。その後、長じて僕はテレビに出ているおば様が「李香蘭」その人であったことを知る。おそらく当時はすでに国会議員をされていた頃だと思うのだが、まだまだ女性議員にスポットが当てられることのなかった頃でもあり、鮮明にその姿を覚えている。◎今回、昭和の歴史をいろいろと考える中でこの本を読んでみた。もともと日経新聞に連載されていた記事をまとめたものなので、とてもコンパクトに仕上がっているが、行間から読み取れる苦悩や生き様には深い感銘を受けた。今、僕たちの時代にあって、山口さんが経験したような<時代に翻弄される>生き方とはどんなものなんだろうか、とずっと考えたが、なかなか思い浮かばない。もちろん人の一生なんて時代の大きな流れに抗うことなんかできやしない。でも、それでも山口さん、いや李香蘭やその周囲の人たちが辿った道はあまりにも険しい。◎山口さんは女優であり、歌手である。そんな山口さんが昭和17年の夏、黄河のほとりの日本軍駐屯地で歌った際の思い出をこう書いている。「ステージ衣装も着ずお化粧もしていない。伴奏があるわけでもない。そこには月と星と歌しかなかった。なのにその歌は戦場にある人々の傷のような渇きを癒している実感があった。それまでで一番豪華な舞台に立った思いがした」もちろん「戦争の真っ只中にいた」という状況を忘れてはいけない。だが、山口さんのこの言葉には音楽に関わる僕たちが今、忘れてしまった(いや、忘れざるを得なくなった)大切なメッセージがあるように思えてならない。