ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

昨日は、就活ばなしで終わってしまった。

2008年01月18日 01時06分57秒 | Daily Life
そうそう、一昨日の話の続きをしなくてはね。僕が大学に入ったのが昭和56年(1981年)。ちょうど1980年代に突入した年だった。浪人をしていたからよく覚えているのだけど、1980年から81年は本当にいろんなことが地殻変動のように動いた年だった。歌謡界の大スター山口百恵が引退し、松田聖子が彗星のようにデビューし、世界の王貞治が静かにバットを置き、戦後のスター街道を驀進した越路吹雪が亡くなった。なんといっても衝撃的だったのがジョン・レノンが死んだこと。僕は当時、福岡の予備校の寮で生活をしていたのだが、僕と同じ鹿児島の出身で数学が抜群にできた山口敦さんが悲嘆にくれていた姿が眼に焼きついている。もちろん、彼はジョン・レノンの音楽をこよなく愛していたのだ。また、同じ年に現役の首相であった大平正芳が突然死をした。■僕はその大激震の翌年、東京に出てきたわけで、そこから話は一昨日の石神井公園での下宿生活へと続く。あとになって知ったのだが、僕たちが大学で学び始めた頃、ニューアカと呼ばれる潮流が思想界に押し寄せていたのだった。僕たちの大学の書店でも浅田彰の「構造と力」が平積みでドンと置かれ、またたく間になくなっていった。本屋のオヤジさんはいつもそこに出入りする学生にむかって「どうして、この本が売れるんでしょうねぇ」と尋ねていた。僕も質問されたひとりだが、<そんなこと言ったってオジさん、聞く相手を間違っていますよ。よりによってテツガク科で一番不勉強な学生を捕まえて…>と思ってはみても、顔ではエヘヘと、したり顔で微笑むのであった。■西武のリブロは、当時、そういったニューアカデミズムの流れをキャッチし、それを書店という空間の中で、大きくプレゼンテーションしていた本屋であったというわけだ。糸井重里さんが「おいしい生活」というキャッチコピーを書き、セゾングループのトレンドを作り上げたのが1982年らしいから、本当に僕たちはその渦の中にいたわけだ。■さてさて、そのリブロに僕には一生忘れることができない店員さんがいた。その人はタダさんという女性なのだが、とにかくこの人、商品知識がすごいのだ。西武デパートの本屋が10階から地階に下りてきた時、さすがに僕も今まで蓄積した本の配列や棚の傾向など、すべてが無に帰してしまった。なので勢いわからないことがあると、このタダさんに聞きまくった。「あのー、この本探しています」「すみません」…しかし、このタダさん僕が質問をし終わらいうちにサクサクと歩き出し、1分もしないうちにあの巨大な本屋から、欲しかった本を探してきてくれるのだ。もちろん、本の中には僕が探しきれなくてお願いしたものもあったのだが、時には版元から卸に下りたばかりのようなピカピカの新刊もあった。それでもタダさんは、「あっ、ハイ」といっていつもと同じように1分たたないうちに、僕の手元に持ってきてくれるのであった。検索用のコンピュータなどなかったといってもいい時代の話である。■なんで僕はこんなことをズラズラと書き続けているのかというと、数日前、渋谷の本屋で新刊を探していた時、目の前にその新刊があるにもかかわらず(もちろん、それに気づかない僕も悪いけど)、若い男性店員さんがタイトルを聞くが早いか、パソコンにそれを入力し始める姿を見たからである。客である僕にしてみたら、最終的には本が見つかればいいのだけど…。なんだか迷宮のようなブックストアで、人と人とが醸し出す摩擦やら、空気感やら、その店独特のにおいのようなものが失われていることに軽い失望感を抱かずにはいられないのだけれど、どうなんだろう、これって。