著作権法中山 信弘有斐閣このアイテムの詳細を見る |
1月28日(月)ドーン、と買ってしまった。「著作権法」、4,420円也(税別)。実は、仕事をしていく上でドーしてもぶつかってしまうのである、この著作権法というものが。この週末も一件、とある問題が噴出し、いろいろと考えをめぐらせた。しかし、ブレるのである。なぜブレるか。それはちゃんと基本を学んでいないということではないか、それが現段階での結論。であれば、しっかり勉強せい!…ということで、清水の舞台から飛び降りるつもりで、大枚をはたいて渋谷のブックファーストで購入。■僕がぶつかってしまうというのは、著作権というものがなぜ存在し、何を目的とし、何がどのようにプロテクトされているのか、ということである。そんなこと、基本中の基本でしょ。とほとんどの方がおっしゃると思うが、これがなかなか堅物であり、僕はこれらをちゃんと語ることはできない。実際、仕事でさまざまな案件に遭遇するが、そのたびに一緒に仕事をしている人や、担当の人たちが言うことが異なることも多々ある。結果として、異なるのは致し方ない、そうは思う。だって「解釈」というものは法律にはつきものだから。でも、きっとこの法律がまず基本として目指しているものには、明確なものがあるはずだ、そう思うのである。なきゃ困る。■合唱連盟の会報「ハーモニー」誌で、一年以上にわたって著作権問題を取り扱ってきた。座談会もしたり、研修会にも出かけた。しかし、まだ何か釈然としないものが残っているのである。それは個々の事例がどうというのではないし、それが間違っているということでもない。では何か。きっとそれは著作権を保持するクリエーターとそれを使用し、享受するユーザーとの間にちゃんとした約束事が確立され、それが履行されていないこと、そしてその「不履行」の根底に存在する何かモヤモヤしたものである。なかなかうまく書けない。みんな、ある意味の「グレイゾーン」や「ブラックボックス」の中をさ迷い、折々の解釈や方法論に導かれて進んできたのではないか、そう思えて仕方がないのである。■さあ、果たして僕の勉強がそれを払拭するに値するか、どうかはわからないが、僕自身、本心を言うとこの問題から自分自身を遠ざけてきたという思いもある。その後ろめたさが、この迷いにつながっているということもわかっている。だからこの著作権法については、さらに一年をかけてある試みをしてみよう、今そう思っている。カタチになってきたらまたお知らせしたいと思うが、とにかく今はキチンと勉強をすることが肝要だ。■昨日は一日、打ち合わせ三昧。夕方久しぶりに日本ギロック協会の安田裕子さんと会う。安田さんはかつては京都に住んでいらしたが、現在はカナダのケベックにいる。だから、年数回しか帰国されない。今回も講習会をメインとした帰国。話を伺うと今、現地でもピアノ教室に勤務し、さらにパワーを増大させているようだ。昨日もとてもお元気。いろいろと意見交換し、次期のプロジェクトにつなげられたらと思う。「あんさんぶる」のゲラもあがった。今週はその編集作業やらパップ晶子さんとのバルトーク「ミクロコスモス」の録音などいろいろある。