節分も終わって、今年もあっという間に2月ですよ。
寒い寒いと言ってるが、その内暖かくなってすぐに夏がやってくる。
歳を取ると時間が経つのが速いですな、ホントそう実感する。
そういえば今年も豆まきはしなかったな。
何もない部屋にマメを撒くなら掃除も楽だけど、ソファーやら何やらある所でマメなんか撒く気がしないもの。
掃除が楽なように、小袋入りにしたり、落花生か何かの違うマメで代用する手もあるみたいだが、それでは感じが出ないし、そうまでしてやるイベントとも思えない。
サザエさんのように実際に撒いてる家庭が多いんだろうか。
いつも疑問に思っている。
そもそも、こういう季節を彩る行事が私は苦手だ。
息子も娘もいるけれど、雛祭りや端午の節句も皆無だったし、七夕も無ければ正月行事もないといった有様だ。
おせち料理だけは頑張って続けてきたが、来年はやめちゃおうかなとも思っている。
自分の生活のリズムやサイクルと古き日本の伝統、どちらを優先するべきなのか。
時々考えてしまう。
私やカミさんだけならやめちゃって何ら差し支えないが、子供達がそういった日本の習慣を知らずに育つのは親としても心苦しい。
伝えるべきを伝えるのが親の義務かなとも思うからだ。
子供がそういう事を知らずに成長して、世間で常識知らずの人間と思われてもどうかなと思う親心も一応あって、ずっと葛藤してきてはいたのだ。
これじゃマズイんだろうけど、結局ズルズルとこれで来てしまった。
さすがにクリスマスはツリーを飾って、ケーキ食べてプレゼントを仕込むという事はやってたが、昨年、小学校3年の娘にサンタがいないとバレてからはプレゼントは一緒にトイザラスへ買物へ行くようになった。
「夢がないねー」と突っ込まれそうだが、サンタの存在がバレちゃった今、家族全員がそれぞれのプレゼントを考えてツリーの下に置くみたいなアメリカの習慣を真似する気にもなれない。
自分が欲しいプレゼントを予算の範囲内で直接買ってもらう方がよっぽど嬉しいので、自然にこうなっちゃったのだ。
ひとえに土日・祭日も無く、いわんや盆も正月も関係なく働いてきた航空会社の仕事のせいにしたいのだが、違ういい訳もある。
二人の子供を預けた保育園で、こうした行事はきっちりとやってくれてたので、あえて家で同じ事をやらなくてもいいだろうという甘えもあったのだ。
夫婦で働く家庭を応援してくれる保育園のありがたさは身に染みている。
保育園無しでは今日の”こだわり家”は無かっただろう。
そうした家庭の事情も考えてきちんと季節の行事をやってくれていたんだろうと想像に難くない。
まさに保育園さまさまである。
今年の春、いよいよその保育園との縁も切れてしまう。
娘はとっくに卒園しているのだが、学童保育ということで継続して放課後お世話になっていた。
その期限は小学校3年生までとなっていて、4年生となる今年は行きたくても、もう通うことはできない。
4月の新学期から文字通り、”かぎっ子”になってしまう娘。
学校で部活も始まって、帰宅も遅くなるだろうし、習い事もあるので両親のどちらかの帰宅まで一人でいる時間もそんなにないだろうと楽観しているものの、日によっては午後8時まで一人ということもあり得る。
チョッと心配だ。