tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

商都の趣都

2005年03月20日 23時48分00秒 | Weblog
課題制作が一応の完成を見た。おとついの夜完成し、昨日、家にあるインクジェットプリンタで出力してみたが、これでは色校正が出来ないくらい色が悪い。おまけに、A3で出したいのに、最大でA4だ。、最近では町の印刷屋が、パソコンプリンタに仕事を取られたという嘆きを聞いて既に久しいが、家庭用プリンタはきれいに出せるように見えて、そのじつ、きれいに見えるために我慢させられているのが現状だろう。だから、印刷屋の水準にはかなわないのだが、これを実体験として持っている人は少ないかも知れない。もちろん、印刷屋の印刷に匹敵するくらいのプリンタが個人でも買えないことはない。しかし、今回改めて『DTP WORLD』の新製品紹介を見返してみると、20万とか50万とかの数値が出ている。50万はともかく、20万は考えてもいいくらいの値段である。というのも、10万円以内のプリンタもワードやエクセルのビジネスユーズとか家庭用としては充分なのかも知れないが、最近ではすごく物足りないように思えてきた。

というわけで、A3対応のまともな印刷機を求めて、町の出力センターへ出向くことになる。奈良でも個人経営みたいな形で営業しているみたいだが、勝手が分からないから、結局、大阪まで出てきた。往復で700円以上かかっている。印刷(出力)だけで出て行くには、少し痛い出費だ。それであまり気乗りではなかった。

何か他にも目的はないかと思った。
まあ、古本屋をはしごする方法もある。

なんか日本橋の電気屋街でイベントがあるそうだ。アニメやゲーム系のコスプレも出来るようなイベントらしい。あの日本橋の道路を封鎖して、歩行者天国みたいにするらしい。

そこで行ってみた。確かにすごい人だが、もともと休日の日本橋は人が多い場所だと思う。自動車が通る両サイドのアーケードの付いた歩行者道路は今日もすごい人だった。そこへ、歩行者天国を作るために警備員を配置して整理させるから、もっと歩きにくくなる。早く進みたい人は車道へ出て歩くことも出来る場所だから、改めて歩道だけを歩いてくださいと言われると、かえって進まず、いらついてくる。ようやく歩行者天国として区切られた場所で、いつもは車が走る道を歩いてみると、これまた落ち着かない。歩道を歩くと言っても、その流れには一定の秩序があるから、歩きやすいが、こうして道いっぱいに歩くことが許容されると、てんでバラバラに歩く。これが歩きにくくなる原因でもある。

ロボットの格好や、ゲームキャラクタのコスプレ女性が歩いていて、結構、ケータイのデジカメのモデルになんかなっている。町の主催者に言わせれば、これも人を呼ぶ一つの方法だという。呼ぶ人間が限定される可能性もあるが、日本橋がすっかり変わってきたことも一つの要因だ。
この日本橋の変貌に先んじる形式として、東京の秋葉原が挙げられる。電気屋街の性格がすっかり廃れて、アニメとゲームの町に変わってきているのである。このあたりは、『趣都の誕生』に詳しい。

こうしたビルの建ち並ぶ町の真ん中に、アニメショップやケーム、模型の専門店が入ってくることは、少なくとも1990年代初頭では非常に珍しいことだった。かの有名な海洋堂も1990年代終盤からの進出である。私が初めて(そして最後の訪問となったが)海洋堂の本社へ行ったのは1995年くらいだったと思う。今や有名人となった宮脇専務が店番と模型制作を行っていた。ホントに倉庫みたいな場所だったことを覚えている。その後、こうした都市部へショールームを持つようになって、あの門真市にあった本社の店はたたんで、事務所だけになったという。折しも、家電業界の不振により、店を畳むところも増えたし、業種転換したところもあった。日本橋でがんばっている家電販売業も増えたが、東京からの家電販売業の進出で、やはり苦しいみたいだ。

梅田の再開発で出来た電気屋もそれなりの良さがある。でも、1970年代の大阪万博の映像を見るような、古ぼけた画面の持つ、素朴な色合いを日本橋で少し感じることがある。これが好きなのだ。

日本橋も相当変わったと思う。街は変わるものだ。変わって、人通りが少なくなった場所も多いが、日本橋の人通りはまだ多いと、個人的には思っている。

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