tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

もう少しどうにかならんのか、日本経済新聞の見出し

2005年04月29日 12時25分17秒 | ニュース
昨日、大阪で地下鉄に乗っていると、人が持っていた新聞の内容が目に飛び込んできた。
日本経済新聞である。3面記事だったと思うが、やはり尼崎の列車脱線事故の見出しが乗っている。昨日の朝刊だから、また犠牲者の数は、100人には達していない。だから、新聞の見出しは、
「脱線死者、97名に」
となっている。だが、その隣に経営者へのインタビュー記事かなんかがのっていて、同じだけのポイント数(文字の大きさ)、フォントで、見出しが書かれている。その見出しとは、
「危機は好機の出発点だ」
と書かれていた。

確かに今回の事故は、JR西日本の経営体質が問題点としてあげられている面もある。会社にとっての危機があると同時に、今回の犠牲となった方々の家族にとっても、すごい危機に見舞われているはずだ。そういった人々が、事故の記事を見て、その記事が脱線事故の関連でなくとも、その目を横に向けたとき、このフレーズは勇気付けるものであるよりも、気分を逆なでるものであるはずだ。

いや、それ以上にただ「客観的な」情報を伝えればそれでいいという新聞報道の姿勢は、たとえば、とりあえず世間の関心のたかまりから犯罪犠牲者の遺族への配慮だけをしておけばいいという姿勢を見せて、それ以外の記事の取り扱いはウチラの勝手だという傲慢さを見ることが出来るのである。

新聞報道の犠牲者(記事によって見に覚えのない中傷を受けたとか、それ以外の被害を受けたとか)は、しばしばそれが事件の当事者だけに焦点が絞られるが、それ以外の人々、すなわちここでは読み手の側の精神的な被害もあるはずだ。

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