tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

それほど大きな被害じゃないと思ったのに

2005年04月28日 00時39分51秒 | Weblog
1995年の阪神淡路大地震の日、私は翌日の期末試験の勉強をしていた。夜中の3時くらいまでがんばって、まあいいだろうと思って、寝たら2時間くらいでグラグラゆれた。それからも余震が起こり、寝ていられない。試験は夕方だったから、少し遅くまで寝ていられたが、ゆれるたびに目を覚ます。テレビをつけると長田で火事が起こっている。地震が起これば火事も起こるだろうと思ってみていた。それは人々が逃げて大丈夫くらいに考えていたからだと思う。時間が経つごとに増えていく犠牲者の数は、メディアを通じて見る被害以上に心に突き刺さってきた。

現場にいない私には、その苦しみの声が最初聞こえなかったのだ。

最初、大きな地震があったという程度の私の認識は、多くの犠牲者が数え上げれることで重大だという認識に塗り替えていったのである。

これほど情けないことがあろうか。

今度の列車脱線事故もまた、時間が経つにつれ犠牲者の数が増えていった。最初、私は電車が脱線したという事故程度に捉えていたが、これほど大きな犠牲と悲しみにつながるとは思っていなかった。
同じことの繰り返しである。再び自分を情けなく思う。

事故でなくなられた方々のご冥福を祈る

最新の画像もっと見る