tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ある漫画家の現在 ーすがやみつる氏の今ー

2005年12月18日 23時43分49秒 | ニュース
今でこそ、文字ばかりの本を読む事が多くなったが、小学生の頃は、『ドラえもん』や藤子不二雄作品を中心としたマンガが大好きだった。歴史好きになったのも、小学館から出ていた『まんが日本の歴史』をずっと講読していたからだ。今の子どもは、既に生まれた時から、こうしたマンガの全集が完結した状態であったが、私が小学生の頃は、月イチのペースで刊行されていたから、ペースメーカーとしては非常に良かった。毎月楽しみにしていたからだ。そのうち、学年も上がり、本格的な冒険小説(小学校高学年から中学生を相手にしたような要約版ではない本物のハードカバー本として)を読んだのが、ポプラ社から出ていた、『十五少年漂流記』であった。あとは同じポプラ社の『名探偵ホームズ』や『アルセーヌ・ルパン全集』などを読んだ。

こうした活字本に移行する以前に読んでいたのが、実は『コロコロコミック』であり、『てんとう虫コミックス』の『ドラえもん』であったわけだ。
両親の教育方針によっては、こうしたマンガの購入を禁止したりするパターンもあるが、うちの両親は寛大であった。

時折、古いマンガなどを取り扱う「まんだらけ」などの店に入って、ガラス越しに昔のマンガ本を見ると、すごい値段に驚くと同時に、「あれ、あの漫画家どうしたんだろう」と思う事がある。

現実的な話として、漫画家ほど浮き沈みの早い職業もない。一世を風靡しても、10年もすれば人々の話題から消えていく人は多い。一作だけ良かったけど、その後が鳴かず飛ばずだというパターンも非常に多く。芸能人ならば、長くやっているともう一度這い上がるようなシステムも存在するのだが、漫画家は、一度沈むともう浮かばないというのも多い。
特にギャグ漫画だけで身を立てている人は消えやすい。藤子不二雄や赤塚不二夫といったいわば、手塚治虫の弟分に当たるような人々は、歳を重ねるごとに、よく勉強していると思わせる内容になっていった。もはや感性のみを頼りにはしていないのだ。

私がコロコロを読んでいた1980年代初頭、ゲームを題材とした『ゲームセンターあらし』という作品があった。私はあまり注目していなかったが、私の当時の友人に熱狂的なファンがいた。二人で雑文集みたいなものを作っていたが、今で言うところの「同人誌」のはしりだ。同作品はアニメ化が望まれたが、最初に登場したのは朝の小学館のCMの中で、20秒ほど動いていただけだ。これでも当時は感動ものだった。そのうちにアニメ化されたが、これをずっと見ていた記憶が無い。大分と時間が経ってからのことであろう。コロコロもそのうち読まなくなったから、一体いつまで連載が続いたのかわからない。

ところで作者、すがやみつる氏はその後どうしたのか?

たいていの場合、わからない事が多いが、今日新聞の書評を見ていると[作者にインタビュー]の記事で登場していた。なんと、最近は漫画よりも小説家として活躍しているとか。ただ今回出した本は、『マンガでわかる小説入門』という本。あの一世を風靡した『ゲームセンターあらし』の後は、株や金融の入門マンガを書いていたそうだ。もう年齢が55歳。若かった当時の写真を何となく私も記憶しているが、あの頃とは打って変わって、落ち着いた雰囲気になっている。氏は最近、専門学校や大学といった教育機関からの講師要請も多く、人に教える技術を勉強したいと、早稲田大学に入学し、心理学や教育工学を勉強しているとか。元気そうで何よりだ。

結局、ギャグだけでマンガを書くには、長く続かないという意味での限界というのが存在する。内容に深みを持たせるためには、デザインとか、効果以上に教養的な部分を勉強する事が必要なのだろう。

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