tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

フィンランドの大統領

2006年02月01日 01時09分29秒 | ニュース
フィンランド ハロネン大統領が再選 (産経新聞) - goo ニュース

衛星放送や、インターネットの普及に伴い、私たちは、瞬時に世界中の情報を手に入れる事が出来るようになった。だが、その反面、日本や、その周辺国、あるいは西ヨーロッパの先進国の首相や大統領の顔や名前がわかる我々でも、東ヨーロッパや北欧、あるいは東南アジアやアフリカの元首の名前となるとわからない事の方が多いのではないかと思う。

昨日今日と仕事が落ち着いて、割と早く帰宅する事が出来るようになった、火曜日は「アンフェア」というドラマを見る事が多い。でも昨日月曜日は、結局何も見る(見たい)番組がなくて、ボーっとBSのニュースを見ていた。時間的に世界中のニュースを行う時間帯だったが、ただ、事件や情報のみを延々垂れ流しているのでなく、特集というのが組まれる。じっと見ていると、時間的制限やインタビューや内容を充実させたいばかりに「広く浅く」型の制作が行われていて、内容に不満が出てくる。ニュース番組にありがちなのだが、インタビューをした人々も、実際には偏った内容になっているのではないかと考えてしまうのである。

それでも、ある特定の国の状況が断片的に入ってくるから、まあ面白い。

ところで、昨日の特集はフィンランドの大統領選の内容であった。

北欧の中立国フィンランド。この国の言葉で書かれた家電製品のマニュアルを何度か校正したが、完全に北欧圏やヨーロッパ全体と比較しても言語体系が異なる。戦前より、隣国のソ連(ロシア)の侵略を受けており、西側にも東側にも属さない中立化は国家としての独立を維持するのにやむ得ない判断であった。資本主義国でこそあるが、自動小銃などの火器類の内容を見る限り、ロシアに傾いた装備となっている。

冷戦後、この国は、EU(ヨーロッパ連合)に加入する道を選んだ。しかし、中立は維持されたままである。

この国の現在の大統領は女性である。今回の選挙で二期目となった。EUへの加盟も熱心で、中立も行う事を公言している。対立候補は男性だった。NATOへの加盟を推進しているが、EUからは外れる姿勢を示している。ヨーロッパのどこの国も同じように、この国も失業率が高いが、雇用の確保を公言していた。

実はこの国の零細農家や労働者の間では、EUに加盟する事で失ったものが多いと言う意見が根強い。これが対立候補の支持基盤となっている。一方、二期目の大統領となった情勢候補は、老人や福祉関係の支持基盤が非常に強い。だが、これも短い時間でまとめあげられた内容であり、本当に議論がかみ合っているのかどうかも不明瞭な部分が多い

選挙の結果は、男性候補対女性候補で、48対52という接戦であった。ほとんどこの国の国民が二つに割れていると見ても過言ではない。

日本でも、昨年衆議院選挙があったが、ほとんどの有権者が自民に傾いた事を念頭に置けば、この数字がいかにすごいものであったかがわかるであろう。同時に私にしてみれば、小泉さんに対抗できる本当に明確な政策を打ち出せる人間がいないのである。いや、それ以前に本当に政策議論を行い、対立候補との明確な差別化を行えるほど、「単純な」政策課題があるのかどうかもまた疑問ではある。

Nikonが一眼レフフィルムカメラの生産を終了

2006年01月15日 23時58分11秒 | ニュース
おとつい13日の朝日新聞に掲載。

とはいっても、私はNikonのカメラを持っていないが。それでもフィルムカメラの技術の終焉に立ち会うのは、あまり気持ちのいい事ではない。しかもいま、デジカメの販売も頭打ちになってきている。かくいう私も、ここで使う写真は富士フィルムのFinePix601を用いる。暗い場所できれいに撮るにはすごく技術がいるが、逆に明るい場所では、非常にきれいに撮れる。

バブルが崩壊する寸前の1990年、父が一眼レフカメラの購入を考えた。それまで、小型のカメラを使っていたから、なかなか大型の企画となった。私の小学生時代は、父は会社の同僚から、大型のマニュアルカメラを借りていた。勿論望遠レンズ付きで借りて、さして運動神経の良くない息子の運動会の写真を遠くから撮っていた。

話は変わって、近所に住む一学年下の友人の家にパーティーかなんかで、両親と夜訪れたとき、8ミリカメラで撮った映像を上映して見せてもらったことがある。大型のカメラも、8ミリの撮影用カメラも、一般の家庭の機材として購入するには高価だった時代の話だ。父達も若かったから、それほど多くの給料をもらっていない。みんな苦労して、こうした記録用の機材を購入したり、借りたりするという苦労が、私の子どもの頃には存在した。

だから、本格的な一眼レフオートフォーカスのカメラを購入すると言い出した時は、少し驚いた。

当時、父はCanonのAFを念頭に置いていた。それに対して私は一時期Nikonを押していた。というのも月刊Gunで当時、アメリカのシューティングマッチのレポートをしていた上坂光さんが、Nikonを愛用しており、折しもNikonのF801を用いて、8000分の一秒の世界を捉えて、レポートとして載せていたからだ。いわゆる瞬間を捉えるカメラとしては非常に有名だった。少し年をとられた方ならば、当時、Nikonはこのカメラの宣伝に、ブーメランの選手を起用し、彼の頭にリンゴを載せ、彼自身がブーメランを投げ、その反転して帰ってきたブーメランが、頭の上のリンゴを砕く。その瞬間を写真で(F801を利用して)撮るように見せたCMをご記憶の方もいるかも知れない。

残念ながら、Nikonのこのカメラは、購入対象からはずれ、父が買ったカメラはCanon EOS630であった。しかし、この選択は間違いではなかった。というのも、当時Niconのオートフォーカスの技術はそれほど高いものではなく、Canonのそれに遥かに劣るものであった。したがって、一瞬でピントをあわすAFの性能が高くないという事は、貴重なシャッターチャンスを逃す可能性が高く、だったらまだマニュアルで使う方が良いという人間も多かった。実は、このNikonのカメラが持つ短所は、上坂氏も指摘していた事でもあった。

そんななか、このEOSは確実にピントを合わす事に長けていた。Nikonを持つ中学時代からの友人も、この早さには驚いていた。

ただ、だからNikonの一眼レフAFが悪いという訳ではなかった。カメラとは単に止まった状態でその場の風景なりを映すものではない。実は、その場の空気すらも撮ることが可能になる道具でもある。NikonのFシリーズから生み出される写真は、青色で非常に冴えた写真を生み出す。従って、金属や冷たい空気を持つ写真を撮る事が可能になる。例えば、友人の三樹君は大学時代から、ヨーロッパに足しげく通っては、写真を撮り、その写真を毎年年賀状にして送ってくれるが、その写真は非常に澄み切った冷めた空気を切り取って、清明な印象を与える。彼のカメラも、NikonのFシリーズである。

それに比較して、CanonのEOSシリーズは、赤色の発色が非常に美しい。暖色系に強いとも言える。しかし、その分非常に空気的にぬるくなるような雰囲気を与える危険性も指摘しておかなければならない。

こうした発色の差が生まれるのは、写真という印刷物を念頭に置きながら、色彩再現のどこに重点をおくかという、メーカそれぞれのイデオロギーの発現でもある。また多くの人が知っている事だが、実際の色の多様性に対して、印刷物の色再現域は非常に狭いものでもある。最近でこそ、AdobeRGBというカラーデバイスを利用して、こうしたモニターの色再現と、印刷の再現域を近づける工夫がなされている。

100年前、ドイツの哲学者ヴォルター・ベンヤミンは、こうした写真という複製技術に、オリジナルが持つアウラ(さしあたり英語で言うところの「オーラ」と考えてもらえば良い)をもたないものとして指摘していた。しかし、あれから一世紀もたち、写真という再現物は確実に人々の心に訴えかけるだけの実力を持つにいたった。それは各メーカや、それぞれの持つカメラの固有の性格や技術の発展の成果でもあるのだ。

凍える日本

2005年12月22日 14時35分28秒 | ニュース
かなり強い寒波が日本を襲っている。
京都の丹後地方はずっと大雪警報が出ているみたいだ。

こちら大阪で積もるほどの雪が12月に降ったなんて、ここ15年くらいの記憶でもない。朝からふぶいてすごかった。

まず交通機関が遅れるのは普通のことだが、雪のせいでもなく、どこかの駅でポイント故障が起きたとか、落雷により地下鉄が止まっているとかで、まったく関係のないことでアナウンスがかかっている。妹は地下鉄に20分以上カンヅメになり、ドンドン、ケータイのメールを送ってきた。

もちろん、遅刻してくる人が多かった。
あれだけ吹雪いていた割には、今は晴れていて、道も乾いている。
でも寒い。

ある漫画家の現在 ーすがやみつる氏の今ー

2005年12月18日 23時43分49秒 | ニュース
今でこそ、文字ばかりの本を読む事が多くなったが、小学生の頃は、『ドラえもん』や藤子不二雄作品を中心としたマンガが大好きだった。歴史好きになったのも、小学館から出ていた『まんが日本の歴史』をずっと講読していたからだ。今の子どもは、既に生まれた時から、こうしたマンガの全集が完結した状態であったが、私が小学生の頃は、月イチのペースで刊行されていたから、ペースメーカーとしては非常に良かった。毎月楽しみにしていたからだ。そのうち、学年も上がり、本格的な冒険小説(小学校高学年から中学生を相手にしたような要約版ではない本物のハードカバー本として)を読んだのが、ポプラ社から出ていた、『十五少年漂流記』であった。あとは同じポプラ社の『名探偵ホームズ』や『アルセーヌ・ルパン全集』などを読んだ。

こうした活字本に移行する以前に読んでいたのが、実は『コロコロコミック』であり、『てんとう虫コミックス』の『ドラえもん』であったわけだ。
両親の教育方針によっては、こうしたマンガの購入を禁止したりするパターンもあるが、うちの両親は寛大であった。

時折、古いマンガなどを取り扱う「まんだらけ」などの店に入って、ガラス越しに昔のマンガ本を見ると、すごい値段に驚くと同時に、「あれ、あの漫画家どうしたんだろう」と思う事がある。

現実的な話として、漫画家ほど浮き沈みの早い職業もない。一世を風靡しても、10年もすれば人々の話題から消えていく人は多い。一作だけ良かったけど、その後が鳴かず飛ばずだというパターンも非常に多く。芸能人ならば、長くやっているともう一度這い上がるようなシステムも存在するのだが、漫画家は、一度沈むともう浮かばないというのも多い。
特にギャグ漫画だけで身を立てている人は消えやすい。藤子不二雄や赤塚不二夫といったいわば、手塚治虫の弟分に当たるような人々は、歳を重ねるごとに、よく勉強していると思わせる内容になっていった。もはや感性のみを頼りにはしていないのだ。

私がコロコロを読んでいた1980年代初頭、ゲームを題材とした『ゲームセンターあらし』という作品があった。私はあまり注目していなかったが、私の当時の友人に熱狂的なファンがいた。二人で雑文集みたいなものを作っていたが、今で言うところの「同人誌」のはしりだ。同作品はアニメ化が望まれたが、最初に登場したのは朝の小学館のCMの中で、20秒ほど動いていただけだ。これでも当時は感動ものだった。そのうちにアニメ化されたが、これをずっと見ていた記憶が無い。大分と時間が経ってからのことであろう。コロコロもそのうち読まなくなったから、一体いつまで連載が続いたのかわからない。

ところで作者、すがやみつる氏はその後どうしたのか?

たいていの場合、わからない事が多いが、今日新聞の書評を見ていると[作者にインタビュー]の記事で登場していた。なんと、最近は漫画よりも小説家として活躍しているとか。ただ今回出した本は、『マンガでわかる小説入門』という本。あの一世を風靡した『ゲームセンターあらし』の後は、株や金融の入門マンガを書いていたそうだ。もう年齢が55歳。若かった当時の写真を何となく私も記憶しているが、あの頃とは打って変わって、落ち着いた雰囲気になっている。氏は最近、専門学校や大学といった教育機関からの講師要請も多く、人に教える技術を勉強したいと、早稲田大学に入学し、心理学や教育工学を勉強しているとか。元気そうで何よりだ。

結局、ギャグだけでマンガを書くには、長く続かないという意味での限界というのが存在する。内容に深みを持たせるためには、デザインとか、効果以上に教養的な部分を勉強する事が必要なのだろう。

ストーブ撤去!

2005年12月12日 01時07分57秒 | ニュース
今朝くらいから盛んにナショナルのストーブがリコールのためCMを流しているのを見ながら、またまた「どこかで見たストーブだな」と感慨深くなっているtyokutakaです。みなさんお久しぶりです。

これまでにも書いてきましたが、tyokutakaの家にもこのストーブがおかれていて、その置かれてある場所がこのブログを書いている部屋にあったのですが、この騒ぎ以降、部屋に入れなくなって、ブログを書くことが出来なくなったのではなく、ストーブを撤去するためにパソコンを動かさなければならなくなり、接続をはずしたので、使えなくなりました。あれこれありましたが、今日の夕方復旧し、現在に至っております。

さてストーブですが、業者さんが来たときは、私は出かけていて家人に聞いたことですが、すぐに取り外せたみたいです。妹が車の中をのぞくと、同種のストーブが3台も載っていたとか。あちこちから改修しているみたいです。しっかり、5万円をいただくことが出来ました。

しかし、えらい騒ぎになったものですな。
時に、この部屋はきれいになったのですが、明日から玄関の改修工事をはじめるので、靴箱にあった、靴をみんなこちらの部屋に移しました。

おかげで、部屋のにおいが、
くっさー

ストーブのリコール

2005年12月08日 23時18分23秒 | ニュース
リコール後の交換ホース「抜けやすい」 温風器中毒事故 (朝日新聞) - goo ニュース

松下電器のストーブがリコールされている。モノが古く、バブルの頃に作られたものだ。初めて見たのはテレビのニュースだ。その後、死亡事故を多く引き起こしており、経済産業省も事態を重く見て、調査に乗り出した。

さっきも言ったように、初めてみたのはテレビのニュースだが、ストーブの写真が映し出されたとき、「あれ?、どっかでみたような」と思った。

それもそのはず、父の部屋においてあるものだ。形式番号もピッタリ。
しかし、このストーブ、ちっとも温かくない。がんがんつけてどうにかなるもの。
この部屋にパソコンが置いてあって、ネットに接続されているが、この部屋が寒いことは前にも紹介した。ちなみに現時点で、8度。室内の温度ではないと思うけど、現実だ。

メーカーに問い合わせたところ、あまりにも深刻な問題で、結局修理などというものではなく買い取ってくれるそうだ。5万円でということだ。めったにない話だ。だって、10年以上経っているんだから。

このストーブは壁に固定し、排気用の換を外に出す形式。だから正常ならば室内の空気が汚れないというもの。その排気換が外れて一酸化炭素中毒になるそうだ。

しかしうちの家に置いてある部屋が部屋だから、隙間風が入ってくるのか、むしろ安心なくらいだ。

ちなみにこれに代わる壁設置タイプのストーブを現在生産していないとのこと。

実際には困っている。

マンション購入のハイリスク

2005年11月24日 15時01分16秒 | ニュース
マンションの耐震設計の計算書がずさんで、震度5以上が起こるとつぶれるというニュースをめぐって大騒ぎだ。むかし、こんな話を読んだ。

タコさんはローンを組み、非常に高い蛸壺という一戸建てを構えました。ヤドカリさんは貝殻をひろって住むことにしました。人間界で言うところの賃貸マンションです。10年がたち、タコさんの蛸壺は傷んできて修理が必要です。もう手放したいのですが、10年前より価格が下がったところへ、つぼの痛みが激しく、売ろうにも売れません。その間にヤドカリさんは、貝殻を変えるようにしてなんどか移り変えを行い、今ではもっと大きな貝殻を手に入れることができました。補修費用もほとんどかかりません。なんといっても集合住宅としてのマンションですから。

この話は、マンションの購入価格が下がった時期に、購入のメリットを説いたものだ。

これまでの住宅問題は、どちらかというと一戸建ての問題が大きかったのだと思う。設計のミスなどである。よくテレビなどでも取り上げられている。その反面、マンションとかは狭いけど、構造上の問題はあまり取り上げられなかった。もちろん使い勝手が悪いとかの問題はあったが。

今度の一軒、じゃない一件でマンションも一戸建てなみに購入時のクオリティにリスクが伴うことが明らかになった。欠陥マンションはもっとあるはずだ。

予備校が潰れていく

2005年11月19日 23時25分46秒 | ニュース
本日の朝日新聞朝刊。しかも一面に大変衝撃的な記事が載った。
タイトルは、
「大阪予備校来春廃校へ」

大阪予備校は関西でも大手の予備校で、50年の歴史を誇る。主に「大予備」の名前で有名だった。来春には私の出た高校も合併により、奈良県公立高校では、なかなかの名門、郡山高校になるのだが、その郡山高校の卒業生が多く通う予備校として知られていた。

授業方式は、長机に腰掛ける方式で、前に座りたければ、早くから教室に入らなければならない方式。私も予備校に通ったが、同じような設備でも在籍した駿台予備校は座席指定制だった。それも毎週変わるというもの。

私が在籍した当時は、とにかく人間の多い時代で、どこの予備校もあふれかえっていた。いまはそうでもないらしい。

私の通った駿台予備校も大阪ミナミの難波のはずれである南堀江にあった。今でこそおしゃれなブティックやカフェが立ち並ぶ町に変身したが、当時は倉庫ばかりが立ち並ぶ、荒っぽい街だった。そこへ通うためには最初、地下街を通るのだが、ここではホームレスが常に寝転がっていた。人が多く、金に余裕が出て、これ幸いと
予備校側も文房具や問題集を扱う「ショッピングセンター」を近くのビルの1階に間借りしてオープンさせたが、3年ぐらいして近くを通ると、閉鎖されて、ブラインドが下りていた。ちょうど、コンビニが潰れたあの光景である。


実は、アカの他人と飲みに行って、その人が同年齢の場合、予備校のネタで盛り上がることが多い。今の会社の上司も私とは一学年違うが、「私、駿台。彼、河合塾」で大いに盛り上がった。

新聞記事を読んでいると、テレビや新聞広告で派手だった両国予備校も閉鎖されたらしい。ちなみに、両国予備校に関してはウィキペディアで次のように出た。

両国予備校(りょうごくよびこう)は、東京都と大阪府にあった予備校。2005年2月8日に経営難を理由に閉校した。CMでの「医歯薬理工系、文系学部受験の名門」という言葉が有名である。
受験生の間では、強力な監督体制で自由が無いため“牢獄予備校”と揶揄されていた。 医歯薬系に力を入れ全寮制・峻厳な規則のスパルタ式で有名。また、通学生でも入学できた。校長の高畠金蔵はエール出版社から本を出しているほか、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)でレギュラー番組を持っていた。
JR総武線で錦糸町~両国(東京都墨田区)付近にさしかかると、同予備校の建物が多数目に入った。大阪では近鉄奈良線・大阪線布施駅(大阪府東大阪市)に入ると、同予備校の大阪校舎が目に入り中で勉強している生徒が多数見受けられた。経営者は高畠金蔵から東京都墨田区の総合学院になったが、経営権委譲なのか校長の所有の会社なのか不明である。 浪人生の激減で生徒が集まらなくなったことや東京校は河合塾の医歯学部専門の校舎も出来るので使命が終わったと判断し、閉校することになった。東京の両国本校舎は更地になっている。
東京校はプラチナ予備校と両国の元講師により両国プラチナ予備校として発足。 大阪校は講師の不当解雇問題があったのだが収束し両国の元講師でもある奈良の北岡総合研究所がオーナーとなり両国BESTとして発足

そー言えば、確か両国のテレビCMには山本陽子が出ていたっけ。家で母が読む『ミセス』に時々出ているが、最近はどうしているのだろうかと思っていると、次のように出ていた

テレビCM
校長の趣味で起用されていた俳優・山本陽子が“Do your best!”と、受験生を鼓舞する。もしくは受験生の両親をターゲットにしていたのか謎である。放送時期は不明だが、1990年代に首都圏や広島圏で放送されていた(一時は全国ネット放送されていた)のは確かである。

ホウ。なかなかバブリーな予備校だったと改めて確信する。
しかし、どこの予備校も似たような状況で、私があの時代に在籍した予備校で見たのもまた、バブルの残光でもあった。

様 → さん

2005年11月16日 14時44分39秒 | ニュース
なんだかんだ世間の状況という妨害を受けながら、黒田さんとサーヤが結婚した。
世間の状況とは、災害やら事件やらで結婚を延期しなければならないことである。
最初、石原都知事が(あの石原都知事である!)が何で皇室関連の結婚式で乾杯の音頭をとらなければならないのか、さっぱりわからなかったが、考えてみれば、黒田さんの上司ということになる。どの程度顔見知りであったのかという問題が残るが。

ところで、一夜明けてみると、サーヤの呼び名が「様」から「さん」にすっかり変わり、苗字もすっかり、だんなさんの名前に変わっている。まあ、当然なのだが、見ていると少し不思議だ。

内親王といえば、平安時代は日本でもっとも身分の高い女性であった。女性は自分の有する身分以上の男性と結婚するのが決まりの時代だから、すでに結婚相手など存在しない。仕方なく、神の配偶者として伊勢神宮の斎王などになった。百人一首などで出てきますな。

もっとも、当時は皇族というのが食えない身分で、仕方なく皇族以外の身分になり(僧侶や臣下)土地やらをもらうことになった。源氏や平氏ももとは皇族である。

京都戒厳令

2005年11月14日 14時32分52秒 | ニュース
かいげんれい【戒厳令】
非常時に軍隊に統治権をゆだねる命令。旧憲法下では天皇の大権に属した。
1947年(昭和22)に廃止。(三省堂「大辞林 第二版」より)

フランスで暴動が起きている、移民排斥運動への反動だとか。
あれだけの国家だが、第二次大戦後、軍隊に一国の支配権が委譲される事態を何度も経験している。今回も出されるかも知れない。

ところで日本では、
京都の町がすごいことになっているらしい・・・ということは妹から聞いていたが、実際すごいらしい。というのも、京都から来ている会社の同僚から聞いた。

街中を歩いていても警官がところかまわず職務質問し、機動隊が走り回り、ゴミ箱は封鎖され、マンホールには警官が隠れているらしい。

なんでこんなことになったのかというと、ブッシュ大統領が京都に来るらしい。その警戒で吸収からも応援が来ているそうだ。同僚のお父さんは毎日職務質問を受けているとか。ブッシュは15.6日に来るらしい。しばらく京都には近寄らないことにしよう。