ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

シャイニング

2007年11月19日 | CINEMA

スタンリー・キューブリックがもともと写真家を志していたのは有名な話。
昔、キューブリックが写真を撮っていた頃の作品を見たことあるが、とても良かった。
なかでも街のスナップが肩の力が抜けてて意外に素敵だったなぁ。
昔のロンドンてこんな感じだったのかとか、街のスナップを通して
キューブリックの視点がどう彷徨っているのか理解できて面白かった。
でも、キューブリックが本領を発揮するのは、やはりシネマの世界だろう。
語られすぎの「2001年宇宙の旅」は横において、昨日は関係ないがバイオハザードの1と2を観たので
本日は久しぶりに「シャイニング」をとくと観賞した。
ところで私は「シャイニング」をもう何回観たんだろう?
ニコルソン大好きというのもあるけど、この映画に限らずキューブリックの映画というものは
何度観ても、何度でも多くの新しい発見があるからスゴイと思う。
マーティン・スコセッシも「キューブリックの映画だけは1本で他の映画10本分の価値がある」
と言っていたがワカル人にはワカル台詞だよね。
最初とその次に持っていた「シャイニング」のDVD画面はスタンダードだったが
今回のDVDはワイド・スクリーン。リマスターされた画面は驚くほどキレイ。
音響のほうは99年発売がスタンダード&モノラル、次がスタンダード&サラウンド、
最新版がワイドスクリーン&サラウンドなのだが、もっと早く進化しろよ。一体、何枚DVD買わせるんだよ!
笑えるのが99年発売のスタンダード画面では、冒頭のヘリコプターシーンで
「A STANLEY KUBRICK FILM」とタイトルが出る直前に
撮影のヘリの影が映っていたのにワイド・スクリーンでは消えていた。
あと、ホテルの全景シーンでも画面の上のほうにプロペラが映っていたのが
なぜか目立たなくなっている。ということは、おいっ!もしかしてスタンダード画面の上下を
マスキングとかしてんじゃないだろうな!と思うのだがどうでしょうか。
しかし、こんなことキューブリックが生きていたら許されないことだろうな。
それにしても今回のデジタルサラウンド効果のほどだが、
ステディカム撮影の、三輪車でダニーがホテル内をぐるぐる廻るシーン。
板の間のうるさい音と、絨毯を踏んだ時の無音が、おっ、おーっ!
たったこれだけでこんなに効果を上げるものなのかと思った次第。
これは体感しないとワカランと思う。とにかく感心する。
内容に関しては知ってる人は知ってると思うので割愛。
私がこの映画をはじめて観たのは公開年の1980年だろうから、もう27年も前なんだな。
あの時は前評判とは真逆に全然怖くなかったのでガッカリした記憶がある。
実は、私がこの映画を本当に怖いと思い始めたのはこの3,4年のことである。
この映画が他のホラーと一線を画すところ、それは普通の人間が精神を病み、凶暴になった挙句、
愛する家族にまでその牙を向けるところとその過程である。
ここで豹変するのはドラキュラでもゾンビでもなく、それまでは普通のお父さんというのがポイントなのだ。
これは現在ではどこの家庭でも起こりうることだと思う。
事実、先日には物静かな地方の名士が息子を刀で切ったりしていたしなぁ。
キューブリックは静かに的確に未来の病巣を予測していたのだ。

父親(自分自身)が選んだ仕事。その責任感と重圧。
そして自分のプライドとは裏腹に女房子供を食わせるために納得できない仕事を
こなさなければならないという無力感、さらに社会に認められていないと感じる疎外感、
そんな男の持つどうしようもないドロドロとした思いが爆発する様がどれほど恐ろしいことか。
私は女房子供を食わせている今だからこそ明確にこの映画の意図することが理解できる。
この映画は当時二十歳前後の若造などには到底理解できない作品だったのだ。
本もそうだが、年をとって初めて理解できる映画があってもいい。
この作品でのジャック・二コルソンはどうしようもなく素晴らしいが、
やはりこれを制作したキューブリックは天晴れだ。
キューブリックは深い。
シャイニングの原作はたしかスティーブン・キング。
キューブリック自身もこんな経験したのだろうか?経験したんだろうなぁ。
顔見てもスゴイ短気っぽいしなぁ。すぐキレそうだしなぁ。
カーク・ダグラスから金でスパルタカス作らされてる頃から、シャイニングのアイデアがあったりして。

All Work And No Play Makes Jack A Dull Boy.

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やはり、、 (鎮目 浩二)
2007-11-21 12:39:51
私には映画は分からないのが本音です「2001」年だけは観た事がありますがラストシーンはさっぱり分からず凄いのだろう位にしか感じません、でも唯一好きなチャップリンや寅さんは素直に楽しめます。何時も本ばかり読んでいますが「街の灯」のラストシーンを思い浮かべると「映画」と言うジャンル以外にあのシーンの素晴らしさは伝えられないのではとI氏ならびに映画ファンと言うのはそこが”みそ”なのではないかと想像します、あのシーンを文章にしたら映画の千分の一も伝わらないのではないでしょか?。
PS:相変わらずの映画オンチですいません。
返信する
キングとキューブリック (どん吉)
2007-11-21 19:48:37
スティーブン・キングはキューブリックの『シャイニング』を気に入らなかったみたいですね。
後にキング自身が『シャイニング』をリメークしています。が、やはりキューブリックの方が断然上です。
キングの酷評の理由はこのようなものでした。
ジャック(ニコルソン)はホテルに狂わされたのであって、本当は息子を愛していたと。
キングはインタビューで、その作品創作の源泉はどこにあるのかと訊かれて、「家族が崩壊することが自分にとっては一番恐ろしいことなのだ」と言っています。
キングにとってキューブリックの『シャイニング』は、ジャックの狂気ばかりが押し出されたものと映ったようです。
キングにとって崩壊をもたらすもの(この場合は狂気)は、外的なものが原因です。
外から来るものによって崩壊がもたらされるのですね。
この場合は、ジャックの狂気はホテルによってもたらされた、と。
しかし、キューブリックは、ジャックの狂気は「追い詰められる」という内的な要因によってもたらされたものとして描いています。
ホテルが雪で孤立するように、ジャックは孤立する。
本来家族に囲まれたジャックは、ホテルが孤立しても家族によって守られるはずだった。
それを許さなかったのはジャックが作家だったからです。
ジャックは作家であるがゆえに、本来孤立から救うはずの家族が機能しなかったのです。
他の職業では説得性が低い話になるでしょう。
内へ内へと向かう職業であったから、家族が家族として機能しなくなったという恐ろしい物語として私は受け取りました。
キングの作家生活とは、どうやら家族との二人三脚のようなところがあって、それが破綻するのが恐ろしく、文学の持つ狂気と言ったものを題材にしたことは無いように思います。
しかし、物を生み出せない作家ほど辛いものはないということはキューブリックの方がわかっていたように思います。
キューブリックは、一般に作家性の高い映画監督として見られていますが、実はチェスや株で食べて行けるように、つまり映画作家だけ、という追い詰められる生活を嫌っていた節があります。
ですからキングがキューブリックのジャックに感情移入出来ないのは当然で、キューブリックこそがジャックを恐れる余り、ジャックを作り上げたと言えるのではないでしょうか。
鎮目さん、『2001年宇宙の旅』については、http://www.kurata-wataru.com/2001mys.htmlの解釈が白眉ですよ。
返信する
Unknown (402)
2007-11-22 11:24:16
鎮目さんも時には気晴らしに寅さんやチャップリン以外の映画でも観てみてくださいよ。きっと面白いと思います。小難しく考えず単純に楽しむものとして、気晴らしの一環として観るだけでもいいと思うのです。読書も結構ですが映画も楽しいものですよ。
私の両親はともに大のゴルフ大好きで、両親がゴルフに行っているあいだ子供の私はよく映画館に預けられたものです。それがキッカケなのですが、気がつくと私は映画世界にドップリハマってしまいました。それから早くも40年以上が過ぎました。そんなわけでどうしても映画の話題も多くなってしまいます。
どん吉さんは相変わらずスゴイです。深い考察です。ところで実は私、恥ずかしながらステイーブン・キングは横溝正史同様にまだ一冊も読んでないのです。一冊も読んでないにもかかわらず、よく映画化されることから、けっこう多くの本のタイトルとその内容は知っています。実際にキングの本も読んでみるととても面白いのでしょうね。世界的な彼の本の売れ行きや発行部数から考えても他を圧倒するものがありますからね。
更に2001年の解釈も楽しく読みました。まぁ、いろんな事を考える人がいるもんですね。それにしても、映像を見て頭の中で漠然と考えていることをこうもわかりやすく文章化できることに私は感動しました。世の中は広いですね。市井の中にもいろいろな人がいるものです。だから世の中面白いのでしょうが・・・。私にはどん吉さんの脳のほうが面白いのですけどね。来月あたり時間の許すときにお茶でもしましょう。
返信する

コメントを投稿