仙台青葉神社の写真と同一人物?です。
ですが、笑顔の祖父は写真になかなかないのです。
ご機嫌よろしいようです。
本編にもございますが、場所は広東。昭和16年4月28日とございます。 . . . 本文を読む
やはり気になりました。「おせっかい焼き」様からご指摘のございました「暗号翻訳」でございます。
今回はこの事につきましての補足とそして記事の事実が一つ解りましたのでこの事を皆様へお知らせしようと考えました。
酔漢が「暗号解読」と致しましたのは、能村次郎大和副長の手記とされます「慟哭の海」からの抜粋です。
「慟哭の海 戦艦大和死闘の記録」
この本の詳細ですが
昭和四十二年八月二十五日 第一刷
昭和 . . . 本文を読む
「おせっかい焼き」様から頂きましたお話で「神重徳」参謀の事が解りました。
資料のご提供、ありがとうございます。
今回、この人の話から始まります。
さて、話が変わって申し訳ございませんが、この名前に酔漢が違和感を感じますのは、字こそ違え、名の発音が「酔漢本名と同じ」だからでございます。
「命令が決まってから参謀長のご意見はどうですか・・だと!決まったものはしょうがないじゃないか!」鹿屋五航空艦内 . . . 本文を読む
大和通信室。情報の窓口でございます。昭和二十年4月5日そして6日。数多くの命令が刻々と受信されております。
祖父はどのような気持ちで持ってこれら暗号を処理していたのでしょうか。
「おせっかい焼き様」からのお知らせでもありましたが「2F通信」は東北出身者が多くおりました。 . . . 本文を読む
「おせっかい焼き」様より貴重な情報を頂きました。この場でございますが、御礼申し上げます。
「準特攻」という言葉が定義されたのは、最近の事です。戦争中にはございません。この作戦(天一号作戦)で戦死された(祖父を含めて)方々は「準特攻」とされてます。この言葉に、酔漢は疑問を持っております。 . . . 本文を読む
昭和20年3月29日。三田尻沖へと出港した大和そして矢矧以下第二水雷戦隊です。
おそらく、各艦の中では、出撃の緊張感が高まっていたのかと思います。
祖父のもとには多くの暗号電文が入電していたと推察します。
しかし、この日、多くの人達の運命を決定される事件が起こります。
今回は「くだまき」とは行きませんでした。 . . . 本文を読む
1945年3月27日:米艦艇の沖縄本島南部への艦砲射撃。艦載機が沖縄本島500機、奄美300機来襲。九州には昼夜B-29約200機が来襲,関門海峡に機雷投下。
(東海大学 鳥飼研究室史料 抜粋)
大和通信室には、沖縄からの戦況とGFからの入電など情報が錯綜しております。
事態は急変。艦内の慌しさが最高潮となっています。(ですが、それも序章です)
3月28日 GFより入電。出港命令です。
「酔漢祖父 . . . 本文を読む
酔漢が塩竈へ帰りましたのが昨年5月の事。新緑がまぶしい、そしてまだ山には雪が残っておりました。栗原市から県境を通って山形へ入り少しばかりドライブをいたしました。
蕎麦好きな父でございます。山形、宮城の蕎麦を食べ歩くのが趣味となっております。
以前はかなり呑んでおりました。晩酌は欠かせません。ウィスキー派です。
帰省中は親父と晩酌しております。
不思議に思われるかもしれませんが、父と酒を呑むことが楽 . . . 本文を読む