循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

伝え、遺す原発ブログ(1)

2011年06月04日 | ハイテク技術
◆人格破綻者の菅
 余計なところに余計なバカがしゃしゃり出て、菅の悪巧みにまんまと乗せられてしまった。それにしても「一定のめど」なんていいながらニタニタ笑いを浮かべる菅という男の底知れぬ不気味さに背筋が寒くなった。こんなズルズルベッタリのズル菅を前に鳩山はあまりにも幼稚であまりにも世間知らずだった。それでいて鳩山本人は「ご町内の止め男」気どりなのである。ただちに総理を止めろと菅に迫ることもせず、人格破綻者の菅を最後までまともなリーダーと思いこんでいたツメの甘さ。
 卑しくも国をリードする政治家が備えるべき最も重要な資質のひとつが「交渉術の巧みさ」である。ならば鳩山はすでに失格だ。沖縄でさんざこの男のダメぶりを見せられてきたではないか。当日、小沢にも内緒で元官房長官の平野某ら二人が玉虫色の覚書を書き、それを菅と鳩山に見せて「いいだろう」ということになった。だが菅はハンコも捺さず、鳩山もいちばん肝心な「やめる期限」を確認していない。
 では何の資格でしゃしゃり出たのか。鳩山は民主党を「わたしの党」と本気で思い込んでいるという。だとしたらまるで我が家の資産を死守するエスタブリッシュの感覚である。冗談じゃない、戦後70年近く悪政を敷いてきた自民党を倒してくれると信じ込んで我々が選択した政治勢力が民主党だったのだ。それを強固な組織に育て上げるべき小沢をよってたかって禁治産者にし、座敷牢に閉じ込めてしまったのである。
ここ一連の菅下ろしの本質は「ほんとうに菅でいいのか」を問う世論へのアピールでもあった。それを明快に歯切れよく提起したのは野党の自公勢力である。だが不信任案を出すタイミングを誤った。本来なら「日本のエネルギー政策はどうあるべきか」という政策論争を正面切って据え、モタモタした答弁しか出来ぬ菅に不信任案を突き付けるべきだったのだ。だが局面は政策ではなく、政局になってしまった。テレビはその「醜い政争」を映像にして被災地へ運び、「ご感想」を撮って回った。被災地の住民が不快感を示すのは当然の話だ。かくして「政争をしている場合ではない」というキャンペーンが氾濫することになる。ドイツは国民が主役で、政権が情報を隠す時はメディアがこれを叩いた。しかし日本は政策部分を政権もメディアも意図的に隠してきたから“主権者”には「政局のあほらしさ」しか見えていなかったのである。

◆よくぞ「産経」
 ここで予想外な展開があった。産経新聞といえばいつも時局を斜っかいに眺め、時に極右キャンペーンを張る偏向メディアだ。だが6月3日付の社説は違った。小気味よい切れ味で最後まで読ませる正論だった。五嶋清政治部長の署名入りである。かなりの長文なので抜粋して紹介する。
《菅内閣に対する不信任決議案が否決された。晴れ間の見えぬ厚い雲に覆われた国政の停滞は、ずっと続く。国会は、国難の原点ともいえる悲劇の連鎖を早期に断ち切る好機を逸した(中略)。震災復興の途上で首相を代えるべきでないという言い方をする議員は多い。政争をしてる場合ではないという意見もよく聞かれる。率直に言うが、的外れな議論である(中略)。遅々として進まぬがれきの処理、仮設住宅の建設――。政権は一体、何をしてきたのか(中略)。不信任採決直前に開かれた民主党の代議士会で、菅首相は震災と原発事故対策に一定のめどがついた段階で退陣する意向を表明した。これをもって、当日朝まで不信任賛成(菅下ろし)に傾いていた多くの民主党議員が雪崩を打って反対に転じた。まったくの茶番劇である。ところが菅首相の言う「一定のめど」とは、どうやら原発が冷
温停止になり得る来年1月を念頭に置いているようだ。早期退陣を信じた議員たちは、う
まく乗せられたのだ。乗せた首相も首相だが、乗せられた方も乗せられた方だ(中略)。もっと言おう。この条件では菅首相が震災復興にもたつけばもたつくほど、長く地位にとどまれることになる。笑うしかない(以下略)》。 
産経社説以外のマスコミは「こうした醜い混乱を仕組んだのは小沢一派」との世論を大々的に仕かけた。現に某テレビは「新橋の酔っ払いサラリーマン」にフリップを見せ、「最大のワルは小沢」との回答を引き出している。町のカラスが黒いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな小沢が悪いのよ、キャンペーンである。それにしても、さらに醜いのは福島出身の渡部恒三だ。前日までは小沢にすり寄り、不信任が不発に終わったら、たちまち菅と鳩山のトリモチ役を買って出る。「こいつの入れ歯はいつ落ちる」など、2ちゃんねるネタになるのがせいぜいのバカ老人。菅と一緒にこの男もやめてもらうべきである。

◆人生の終末期に
 ところで古い友人から「時局傍観者」のタイトルは気障ったらしいから止めたら、との忠告が入った。だが「傍観」するにはそれなりの理由があった。
 まず、現在、奇妙な疾患にかかり、取材のための外出がデモ参加を含めて不可能になっていること。第二に最初のブログにも書いたが原発についてまるきり不勉強だったことへの遠慮から「気障で嫌味な」タイトルになったのである。
疾患については大震災前、すでに短いブログを書いていた。まともに報告したのでは同情を引くことになるので、ややふざけた中身になっている。そこへ大震災である。あまりふざけてもいられなくなったが、とりあえず読んでいただければ幸甚である。
《人生の終末期を迎え、複数の新しい友人ができた。イタミ君とムクミ君である。長いこと仲睦まじく付き合ってきた腰痛が突然変異し、MRIを撮ったら「脊柱管狭窄」との診断が出た。担当医師は深刻な表情のまま、時折嬉しそうに「(この症状の)特徴は足に来ることです。20歩あるけなくなったら手術だね」という。そして彼のコメントが半分現実になった。右大腿骨を囲む何とか筋に時々激痛(イタミ君)が走り、アキレス腱の周辺が相撲取りのようにフクれあがった。ムクミ君である。約1キロある東武野田線の駅までは何とか歩けるものの、イタミ、ムクミの両名は小生の下半身にデカイ面して当分居座ることになった。小梅太夫じゃないが「ちッくしょうーーー」である。注)小梅太夫とは日本テレビ「エンタの神様」で一時期全国(の好き者)を熱狂させた一発芸人の名》。
しかし自分でも「時局傍観者」とはいい気なタイトルだと思う。毎日のメディアやネット情報で原発の正体もようやく鮮明になってきたので、タイトルを標記のとおり「伝え、遺す原発ブログ」とします。                                                              以下次回

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