一瞬、耳を疑った。だが音声は英語なので、字幕を見るわが目を疑ったというべきか。そしてこれはデジャブ(どこかで見聞きした話)ではないかと、しばし苦笑がとまらなかった。
◆事故・トラブルが頻発
ここ数年、アメリカ・ボーイング社のB787型新鋭機に小さなトラブルが発生しているという報道が断片的に伝わっていた。さらに本年1月になって日本でも同機による事故・トラブルが矢継ぎ早に起きている。
まず11日午前10時45分ごろ、羽田発松山行き全日空585便が兵庫県上空を飛行中、操縦席左側の窓ガラスにひびが入った。同便は安全上問題はないとして飛行を続け、松山空港に着陸。乗員乗客246人にけがはなかった。ただしB787型を使う折り返し便の松山発羽田行き590便は欠航となった。同じ11日、宮崎空港では午後3時15分ごろ、着陸後駐機場に止まっていた羽田発の全日空609便で左側エンジン付近にある発電機の部品から潤滑油が漏れているのを整備士が発見した。 急きょ整備して安全を確認後、羽田行きの折り返し便として約50分遅れで出発した。
B787型を巡ってはアメリカボストン国際空港で日航(以下JAL)の同型機が7日から2日連続でバッテリーからの出火や燃料漏れのトラブルを起こし、アメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)などが調査に入っている。
さらに17日、山口の宇部空港発羽田行きの全日空B787型機の機体から煙が出るという異常事態が起き、高松空港に緊急着陸した。後日、全日空は前日の16日、電気室内のメーンバッテリーを納める金属製容器が変色し、電解液が漏れていたと発表した。家庭電化製品じゃあるまいし、航空機からそう簡単に潤滑油などが漏れるものなのか。
◆赤ん坊がむずかっただけ?
これら一連の事件経緯を取材すべくTBSの報道特集(1月24日放送)はメインキャスターの金平茂紀とそのスタッフがアメリカに飛んだ。シアトル郊外、エバレットにあるボーイングの生産工場である。B787型はここで生み出された。面積は世界最大の415ヘクタール。ちなみにJFEスチール東日本製鉄所の面積が約300ヘクタールというからその広大さが想像されよう。
金平氏たちはできるだけ多くの開発関係者や技術者から聞き取り調査を行った。そのひとりに元ボーイング社技術陣だったジョン・パービスという年配者がいた。彼は次のようにいった。「この航空機(B787型)は導入時の初期トラブルに見舞われたと思っている。ま、赤ん坊が乳歯の生えかかる時にむずかって泣くようなものだ」。
むろん音声は字幕であったが、しばし呆気にとられた。この“見解”について番組(報道特集)側は後日、次のようにコメントしている。「彼(パービス氏)の発言はボーイング社内部だけに通用する話だ」。
それにしても、かつて日本の焼却炉・溶融炉メーカーが火災、爆発事故を起こすたび、“学識経験者“なる人種を動員、「あくまで初期トラブルであり、技術の根幹に関わるものではない」などといわせていた。冒頭でデジャブと書いたのはその連想からだ。しかしことは航空機である。高松空港の緊急着陸はまさに息を呑む“事件“であった。
◆短期間で就航可能に?
だが、Bなにがしという機種にはもうひとつ覚めやらぬ悪夢のような記憶がある。1916年7月15日にシアトルにて設立されたボーイング社が第二次世界大戦中、当時の超大型爆撃機であるモデル345スーパーフォートレスの長距離侵攻能力を生かし日本本土への戦略爆撃を行った。その機種名がB29であった。当時の老若男女すべてがB29という言葉に恐怖した。B29は1945年3月10日と5月27日の東京大空襲、さらにエノラ・ゲイとボックスカーの2機により世界で唯一、実戦で広島・長崎へ原子爆弾を投下した。
ある世代以上の日本人にとってそれは生き死ににかかわるデジャブなのだが、それを追体験できる人はいまや全くの少数派になってしまった。21世紀の現在、日本の巨大企業数社がB787型の開発に関わり、その3分の1を担当したことからこの機種は「準国産機」と呼ばれている。だがボーイング社にしてみれば一蓮托生なのだ。
ところで前記のパービス発言についてアメリカのある有力紙は「FAA(アメリカ連邦航空局)の認可制度自体がメーカー側の資料に依存せざるを得ない実情こそが問題」と批判している。日本の原子力ムラではないが、アメリカにも「ボーイング村」が形成されていたのだろう。
ちなみに前出のパービス氏は1985年に起きた「日航ジャンボ機墜落事故」の際、調査チームの一員として来日している。彼は事故調査の実体を知る立場からこうも付け加えた。「調査官としての私の考えだが、日本の皆さんは調査結果が出るのを待つべきだろう。結論を出すのはそれからだ。 多分短期間で運航再開になると思う」。だがそうはならなかった。日を追うごとに深刻な事態が次々と明るみに出ているのだ。
◆果たして夢の旅客機なのか
国土交通省の外局、運輸安全委員会は2月5日、「高松空港に緊急着陸した全日空機について黒こげになったバッテリーをコンピュータによる断層撮影で解析したところ、8個のセルすべてに熱による損傷が見られた。損傷や変形はセルごとに異なり、内部から熱を発して膨らんだようなセルもあった。1つのセルが発した熱が近接するセルに波及して制御が利かなくなったなるなどの熱暴走があった」との見解を発表した。またセルのプラス電極では内部のアルミ製の配線が溶けて切れた形跡を6つのセルで発見したともいう。バッテリーの金属製容器自体、静電気を帯びることを防ぐアース線も切れていた(冒頭写真:TBS「報道特集」より)。ちなみに熱暴走(Thermal runaway)とは化学や回路設計の分野で用いられる用語で、発熱が更なる発熱を招くという正のフィードバックにより、温度の制御が出来なくなる現象、あるいはそのような状態のことを指す(Wikipedia)。
これでは「短期間で解決」どころか、すべては技術の根幹に問題があったということが辛うじて分かったのであり、初期トラブルなどという生易しい事態ではなく、設計思想そのものを総点検してみることが必要になってきたのである。
そして設計思想の根っこにあったのは燃費削減という経営戦略であった。B787型機は従来の常識をことごとく覆すところから生まれた。
従来の旅客機は[電気][油圧][空気圧]という三つの力で機体を動かしていた。B787型は空気圧を使うことをやめて、電気を使う割合を増やした。システムの大部分を電気で賄
うことで燃費を20%向上させ、飛行距離も大幅に伸びて航空会社はコストを抑えることが可能となった。グローバル時代(厭な言葉だが)の航空地図を塗り替える夢の旅客機と世界から注目された。そのドリームライナーに何が起きたのか。
以下次回
◆事故・トラブルが頻発
ここ数年、アメリカ・ボーイング社のB787型新鋭機に小さなトラブルが発生しているという報道が断片的に伝わっていた。さらに本年1月になって日本でも同機による事故・トラブルが矢継ぎ早に起きている。
まず11日午前10時45分ごろ、羽田発松山行き全日空585便が兵庫県上空を飛行中、操縦席左側の窓ガラスにひびが入った。同便は安全上問題はないとして飛行を続け、松山空港に着陸。乗員乗客246人にけがはなかった。ただしB787型を使う折り返し便の松山発羽田行き590便は欠航となった。同じ11日、宮崎空港では午後3時15分ごろ、着陸後駐機場に止まっていた羽田発の全日空609便で左側エンジン付近にある発電機の部品から潤滑油が漏れているのを整備士が発見した。 急きょ整備して安全を確認後、羽田行きの折り返し便として約50分遅れで出発した。
B787型を巡ってはアメリカボストン国際空港で日航(以下JAL)の同型機が7日から2日連続でバッテリーからの出火や燃料漏れのトラブルを起こし、アメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)などが調査に入っている。
さらに17日、山口の宇部空港発羽田行きの全日空B787型機の機体から煙が出るという異常事態が起き、高松空港に緊急着陸した。後日、全日空は前日の16日、電気室内のメーンバッテリーを納める金属製容器が変色し、電解液が漏れていたと発表した。家庭電化製品じゃあるまいし、航空機からそう簡単に潤滑油などが漏れるものなのか。
◆赤ん坊がむずかっただけ?
これら一連の事件経緯を取材すべくTBSの報道特集(1月24日放送)はメインキャスターの金平茂紀とそのスタッフがアメリカに飛んだ。シアトル郊外、エバレットにあるボーイングの生産工場である。B787型はここで生み出された。面積は世界最大の415ヘクタール。ちなみにJFEスチール東日本製鉄所の面積が約300ヘクタールというからその広大さが想像されよう。
金平氏たちはできるだけ多くの開発関係者や技術者から聞き取り調査を行った。そのひとりに元ボーイング社技術陣だったジョン・パービスという年配者がいた。彼は次のようにいった。「この航空機(B787型)は導入時の初期トラブルに見舞われたと思っている。ま、赤ん坊が乳歯の生えかかる時にむずかって泣くようなものだ」。
むろん音声は字幕であったが、しばし呆気にとられた。この“見解”について番組(報道特集)側は後日、次のようにコメントしている。「彼(パービス氏)の発言はボーイング社内部だけに通用する話だ」。
それにしても、かつて日本の焼却炉・溶融炉メーカーが火災、爆発事故を起こすたび、“学識経験者“なる人種を動員、「あくまで初期トラブルであり、技術の根幹に関わるものではない」などといわせていた。冒頭でデジャブと書いたのはその連想からだ。しかしことは航空機である。高松空港の緊急着陸はまさに息を呑む“事件“であった。
◆短期間で就航可能に?
だが、Bなにがしという機種にはもうひとつ覚めやらぬ悪夢のような記憶がある。1916年7月15日にシアトルにて設立されたボーイング社が第二次世界大戦中、当時の超大型爆撃機であるモデル345スーパーフォートレスの長距離侵攻能力を生かし日本本土への戦略爆撃を行った。その機種名がB29であった。当時の老若男女すべてがB29という言葉に恐怖した。B29は1945年3月10日と5月27日の東京大空襲、さらにエノラ・ゲイとボックスカーの2機により世界で唯一、実戦で広島・長崎へ原子爆弾を投下した。
ある世代以上の日本人にとってそれは生き死ににかかわるデジャブなのだが、それを追体験できる人はいまや全くの少数派になってしまった。21世紀の現在、日本の巨大企業数社がB787型の開発に関わり、その3分の1を担当したことからこの機種は「準国産機」と呼ばれている。だがボーイング社にしてみれば一蓮托生なのだ。
ところで前記のパービス発言についてアメリカのある有力紙は「FAA(アメリカ連邦航空局)の認可制度自体がメーカー側の資料に依存せざるを得ない実情こそが問題」と批判している。日本の原子力ムラではないが、アメリカにも「ボーイング村」が形成されていたのだろう。
ちなみに前出のパービス氏は1985年に起きた「日航ジャンボ機墜落事故」の際、調査チームの一員として来日している。彼は事故調査の実体を知る立場からこうも付け加えた。「調査官としての私の考えだが、日本の皆さんは調査結果が出るのを待つべきだろう。結論を出すのはそれからだ。 多分短期間で運航再開になると思う」。だがそうはならなかった。日を追うごとに深刻な事態が次々と明るみに出ているのだ。
◆果たして夢の旅客機なのか
国土交通省の外局、運輸安全委員会は2月5日、「高松空港に緊急着陸した全日空機について黒こげになったバッテリーをコンピュータによる断層撮影で解析したところ、8個のセルすべてに熱による損傷が見られた。損傷や変形はセルごとに異なり、内部から熱を発して膨らんだようなセルもあった。1つのセルが発した熱が近接するセルに波及して制御が利かなくなったなるなどの熱暴走があった」との見解を発表した。またセルのプラス電極では内部のアルミ製の配線が溶けて切れた形跡を6つのセルで発見したともいう。バッテリーの金属製容器自体、静電気を帯びることを防ぐアース線も切れていた(冒頭写真:TBS「報道特集」より)。ちなみに熱暴走(Thermal runaway)とは化学や回路設計の分野で用いられる用語で、発熱が更なる発熱を招くという正のフィードバックにより、温度の制御が出来なくなる現象、あるいはそのような状態のことを指す(Wikipedia)。
これでは「短期間で解決」どころか、すべては技術の根幹に問題があったということが辛うじて分かったのであり、初期トラブルなどという生易しい事態ではなく、設計思想そのものを総点検してみることが必要になってきたのである。
そして設計思想の根っこにあったのは燃費削減という経営戦略であった。B787型機は従来の常識をことごとく覆すところから生まれた。
従来の旅客機は[電気][油圧][空気圧]という三つの力で機体を動かしていた。B787型は空気圧を使うことをやめて、電気を使う割合を増やした。システムの大部分を電気で賄
うことで燃費を20%向上させ、飛行距離も大幅に伸びて航空会社はコストを抑えることが可能となった。グローバル時代(厭な言葉だが)の航空地図を塗り替える夢の旅客機と世界から注目された。そのドリームライナーに何が起きたのか。
以下次回