循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

伝え、遺す原発ブログ(2)

2011年06月05日 | ハイテク技術
 かつて(といっても東日本大震災前の話だが)、「リサイクルは壮大な無駄、プラスチックでも紙でも盛大に燃やしたらいい」発言で市民運動グループを怒らせた武田邦彦センセイが、いま原発批判学者のトップランナーに衣替えし、テレビに重宝がられている。
 その武田センセイが先日、珍しくいいことをいった。「日本人は事実をみようとせず、政府の公式発表だけを信じている」と。ま、昔からだけどね。

◆ヨーロッパと日本の感性
 まるで日替わりメニューのように新しい情報が次々と飛び込んでくる。それこそ政府・東電による「公式」発表、それを支える(のかどうか、多分に風向きをみている)マスメディア、出版社系・新聞社系週刊誌による内幕暴露情報、これに負けじと刺激的なテーマを追いかけてやまないテレビ業界――。
 それら情報の氾濫で我々の感性はいつの間にか鈍摩し、いま日本列島がそっくりチェルノブイリになっているという事実を忘れている。
1950年代のはじめ、「洪水の前」というフランス映画があった。第二次世界大戦が終わって5年、それまで危うい均衡を保っていた米ソ両陣営が正面切って対立、その代理戦争として始まったのが朝鮮戦争(1950年6月25日~ 1953年7月27日)だった。当時、日本は「朝鮮特需」といって戦争の激化に乗じて利益をむさぼる手合いが跋扈したが、ヨーロッパ諸国、とりわけフランスの映画人はそこに第三次世界大戦の予兆を見たのである。 恐怖の中核にはヒロシマ、ナガサキがあった。映画はたしか核戦争の危険が及ばない南洋の島国に脱出するため、5人の少年少女が銀行強盗を企てるという内容だったが、地続きで逃れようのないヨーロッパの国々が共通してもつ感性の鋭さといえよう。
そう考えると日本という島国全体がアルカトラズ刑務所なのである。目が覚めても何も変わらないどころか事態は日に日に悪化している。シーベルトという数値がいつの間にかマイクロからミリにすり替わり、それにも慣れてしまった。
 もともと日本列島は、ユーラシア、北米、太平洋、フィリピン海という4つのプレートがせめぎあい、地殻が隆起してできた土地である。いわば日本が地震大国なのではなく、日本が地震の巣の上に営々と国家をつくってしまったということだ。

◆原発コストの嘘
津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授で、哲学者の萱野稔人氏がいう。
「日本はこれまで、『独占と集中』によって電力の安定供給を目指してきた。 しかし、今回の大震災ではこの方法が裏目に出た。垂直統合型の電力供給システムでは、『集中と統合』によって電力の安定供給を達成しようとするため、どうしても火力発電所や原子力発電所などの大型の集中電源に頼らざるを得ない。そのため災害やテロなどによって大型集中電源が破壊されてしまうと、一気に電力不足に陥ってしまうのである。安定供給という『強さ』のために集中化した電源が、非常時には逆に弱点になってしまうのだ」。
 それにも関わらず、原発を推進する勢力は太陽光や風力エネルギーを「お天気任せ、風任せで基幹エネルギーにはなりえない代物」と軽蔑してきた。その心根は現在も変わっていない。そして相変わらず持ち出すのがエネルギーコストだ。ちなみにドイツでも原発推進派は「メルケルの心変わり」に激怒する。「電気代がハネ上がり、産業活動が阻害される。何より哀しいのは我が国(ドイツ)がエネルギー輸入国になってしまうことだ」。そして必ず原発コストの安さを改めて強調する。
 日本だって同じである。電気事業連合会や旧通産省が公表してきた電源別の発電単価は1Kwあたり、原子力5.3円、火力が6.3円、水力が11.9円となっていた(電事連2004年)。太陽光に至っては40円代、と弾いている。大手メディアもその根拠を追及しないまま、「原子力の優位性」を我々に信じ込ませてきた。
 これに対して、立命館大学の大島堅一教授は、これまで原発に払ってきた総コストを発電実績で割り、それに電源開発促進税(1Kw当たり37.5銭=約100円/月:国民負担)等の税金(税金投入が多いのが原子力!)を入れて計算すると、発電単価は原子力が10.68円、火力9.9円、水力7.26円となることを明らかにした。これは先月(5月)12日のテレビ朝日、「モーニング・バード」という番組で取り上げたもので、その朝、偶然見る機会を得た。
 大島教授によれば、これらの数字は、有価証券報告書を元に計算されたもので、さらに原子力に欠かすことの出来ない再処理費用を入れると、さらに膨れ上がる。しかもこれは震災前の試算なのである。
 同じく同番組に登場した河野太郎議員によれば、自民党時代も現在も、経産省は一度も発電コスト計算に係る生のバックグラウンドデータを出すことはなく、その部分はいつも「黒塗り」だったそうだ。
 環境エネルギー政策研究所(ISEP)の飯田哲也所長はもっと冷静だ。これは5月末の「朝まで生テレビ」における発言だが、「本来原発を運転するなら無限責任保険に入り、それをコストに組み込んで運転すべきです。それをフランスが試算したところ、原発コストは3倍になるとのことです」。
原子力資料情報室の西尾漠氏もいう。「原子力開発にはたくさんのお金がかかるので、エネルギーの研究開発費が原子力に集中し、エネルギーの有効利用や自然エネルギーの研究開発に使う分が無くなってしまうことも問題です。原発がある御蔭で自然エネルギーの利用や省エネルギーがしにくくされていると言えるでしょう」(漠さんの「原発なんかいらない」1999/12/14七つ森書館)。
事実、原発の周辺にはやたら金が溜まっている。そのひとつが「使用済核燃料再処理積立金」だ。その額は2兆円をゆうに超えるという。官僚はこれを必死に守ろうとし、利権や天下りの手土産にしようとしている。
       以下次回

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