循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

講演記録 カナダ・ノバスコシア州のゼロエミッション計画(1)

2007年10月13日 | 廃棄物政策
 本稿は2003年11月9日に行なわれた講演会記録です。カナダ・ノバスコシア州は1995年から5年間でごみの排出量を半減させることに成功。その実情を調査する視察団が2003年6月組織され、同年9月初旬、総勢約19名が現地を訪れました。その報告をNPO法人「ごみ環境ビジョン」(東京都多摩地区)から求められ、後日、主催者側が講演記録としてまとめてくれたものに津川自身が加筆の上、再構成したものです

◆カナダという国
 まず簡単にカナダという国の特徴をあげておきますと、第一にとにかく国が広い。第二にバイリンガル国家だということ、第三に多民族・多文化主義、第四に豊かな天然資源に恵まれ、産業活動が活発なことです。
 第一点ですが、カナダの国土はロシアに次いで世界第二位、日本の27倍あります。それでいて人口は日本の4分の1、約3000万人です。立憲君主制の連邦国家で、州の数が10、これに極北の準州が3つある。準州というのは自治権があっても、財政などには制約があって、イヌイットの住むツンドラ地帯、たとえばアラスカに隣接するユーコンなどがそれに当ります。鉱物の採掘や観光産業など、雇用対策の面から準州という仕組みが必要になったという側面もあるようです。
 同じ準州のヌナブトは1999年に承認されたばかりで、面積は日本の5倍もあるのに人口は神奈川県の湯河原町(約2万8000人)より少ないという状況です。そんなわけで国土が広いといっても人口の大半はアメリカ寄りの地域だけに集中しています。
 第二に「バイリンガル国家」ということですが、公用語が英語とフランス語の二つあるのです。もともとカナダはアメリカ大陸の北半分で、先住民はイヌイットたちでしたが、17世紀にイギリスとフランスがこの地で植民地争いを展開しています。特に激しかったのはノバスコシア、ケベックなどのマリタイム(地中海沿岸地域)における覇権争いで、結局イギリス勢が勝利を納め、これ以降、18世紀から20世紀にかけ世界各地から難民、移民が流入するようになった。それが多民族・多文化国家を生むわけです。現在もイギリス系が17%、フランス系が7%、あとは両国の混血、さらにアジア、アフリカ、ヒスパニックなどが混在する典型的な移民国家が形成されております。
 これだけの多種多様な民族が混在していますと、これをどうコントロールするかが重要な課題となりますが、カナダではいわゆる同化政策ではなく、多民族間の伝統文化、生活慣習、言語を尊重し、政治・経済・文化的不平等をなくすことで国民全体の統合を維持しようという政策がとられています。そのあらわれとして1988年、ほんの15年前ですが「カナダ多文化主義法」なる法律ができました。しかしこのことは「法律を必要とするほどの軋轢や不協和音がまだこの国に存在している」ことを意味しています。その最大のものがケベック問題です。フランス系のケベック州はオンタリオ州と並ぶ重工業地域で、カナダ全土におけるGDPの4分の1がここに集中しており、ケベック州が独立するとカナダはG7から脱落しかねない危機に陥るのです。そうした問題を抱えながらも豊富な天然資源に恵まれ、また産業活動も活発に展開されているのがカナダという国なのです。
 天然資源では豊かな森林、石油、石炭、銅、鉄鉱石、金、ニッケル、ウラン、亜鉛そして天然ガスなどを産出しておりますし、自動車、機械、鉄鋼、鉱業、林業、漁業、農業とそれぞれバランスのとれた活発な産業活動が展開されております。
 なんでこうも長々とカナダの国情について申し上げたかというと、まず州という行政単位が住民の生活、教育、福祉等について大きな責任を持つ、いわゆる地方分権が徹底していること、もうひとつは州同士が横の連携をひんぱんに行なって行政上の格差をなくす努力をしている、その背景を知っていただくためでした。では連邦国家は何をするかといえば、外交、国防および内政全般にわたる理念形成を行なうことが仕事です。
 日本のように国がごみ処理技術のような細かいことにまで口を出し、国庫補助でコントロールするような体制はきわめて異常といわねばなりません。さていよいよ本題です。

◆キッカケは処分場紛争
 成田からニューアーク空港(ニューヨーク市)まで約12時間、そこからさらに北東へ約2時間のところにカナダ・ノバスコシア州ハリファックス市があります。ノバスコシアとは「ニュースコットランド」の意味で、英仏の覇権争いの拠点となったシタデル(五角形の砦)のあるハリファックスがその州都です。州全体は福島を除く東北5県分に相当するほどですが、人口は約100万人と広島市より少ないのです。州全体は細長い半島で岬と浜辺が複雑に入り組んだ地形から漁業と観光が主な産業になっていますが、赤毛のアンのプリンスエドワード島があることでも知られています。
 世界の原生林のうち約20%がカナダにあるといわれ、この国は早くからオゾン層や森林保護運動に熱心でした。しかし廃棄物については皮肉なことに国土が広いため穴を掘って埋めればいい程度の感覚だったのです。
 80年代中期にはノバスコシア州内にも数百ヵ所の埋立地があり、年間64万トン以上のごみが捨てられていたといいます。リサイクルはおろか野焼きも当たり前、市民はごみ問題にまったく無頓着・無関心だったそうです。
 しかし世界の状況は少しずつ変化しはじめていました。国際的な環境意識の高まりや国連のゼロエミッション政策、そして途上国に対する有害ごみの移送に対する非難が広がっていたのです。こうした動きを受けて1989年、カナダ10州(3つの準州を含む)の環境長官会議が「1996年から2000年までの5年間で1人あたりのごみ量を半減する」という目標を定めました。その背景としてもうひとつ見逃せないのは、アメリカとカナダを跨ぐミシガン、ヒューロン、オンタリオなどの五大湖汚染が予想外に深刻化していたことです。
 周辺の急激な工業化が原因で、すでに25年前(1978年)、両国で「水質に関する合意書」が締結されていますが、事態はあまり改善されず、最近では「難燃材汚染」についての報告が世界湖沼会議で発表されています。すなわち五大湖のマスやミシガン湖のサケからポリ臭化ビフェニール、やポリ臭化ジフェニルエーテルなどが検出されたという報告です。
 さてそのごみ半減ですが、本当にそんなことが可能だったのでしょうか。カナダの国民の多くは出来っこないと考えていたらしいのですが、ノバスコシア州だけについていえば「ごみ半減」は事実だったのです。
 数字をあげておきますと、1990年にノバスコシア州の住民1人あたりの年間ごみ排出量が760キログラム。これが10年後の2000年には380キログラムになっています。この数字は1996年2月に成立したノバスコシア州の州法「固形廃棄物資源管理規制法」(資料)制定以降のものですから「5年間で半減」という表現に誤りはありません。数字を1日当たりの原単位に直せば1人平均2キログラムが1キログラムに減ったということです。なんだ、その程度かという感じですが、日本とはごみ処理事情がまるで違います。まず一廃・産廃という区分がない。工業系や建設廃棄物などの産廃もいっしょに処分場に投入され、日本でいう事業系一廃もごっそり入っていたのです。それを考えればこの数字の持つ意味はきわめて重いといえるでしょう。
 ではなぜごみ半減が実現したのでしょうか。その発端はなんと処分場紛争でした。1980年代の終わり、ハリファックス市郊外の、とある処分場周辺で突如激しい住民運動が起きたのです。浸出水汚染、害虫被害、悪臭などが表面化し、住民は処分場の閉鎖を要求して市側を追及しはじめました。「鉱山の跡地へ投入しろ」と住民側の提案に対しては炭鉱経営者からクレームがつきました。「どこか別の州に持ってゆけ」という要求に対しては「冗談いうな」と市側はこれを一蹴しています。
 そのあと市と住民の争いは熾烈をきわめました。そんなある時、市が提起した案が大型焼却炉の設置でした。一説には日本のガス化溶融炉も候補にあがっていたそうです。しかし石炭火力で昔から被害を被っていた住民側はこれに反対し、またコストや環境汚染、資源浪費を理由に州政府もその案を認めませんでした。
 万策尽きた市当局は「それならあなた方で(解決案を)つくってみろ」と住民側にボールを投げたのです。
 それからの数年間、市と住民が企業を巻き込んでの論争がつづき、1994年、一定の成案ができあがりました。聞くところによると議論は200回も積み重ねられ、最終的には「捨てていたごみの中に資源となるものがゴロゴロしている」で一致し、まず「処分場に何でもかんでも放りこむのはやめよう」という結論になったそうです。
 最終的には州の環境労働局が動いて「ゼロエミッション・プラン」なる実施計画が練られて「ごみ半減計画」が滑り出し、その動きを確定するため成立したのが前述の「固形廃棄物資源管理規制法」でした。

◆卓抜な経済誘導策
 「ゼロエミッション・プラン」の具体的目標は以下のようになっています。
 ① デポジット制度の創設(飲料容器、廃タイヤ、使用済みペンキなど)
 ② 埋立て・野焼きの禁止(条例制定)
 ③ NPO(廃棄物資源回収基金委員会=RRFB)の設置
 ④ 生ごみ堆肥化の事業化
 ⑤ 紙、ビン・缶、廃タイヤ等の再資源事業化
 ⑥ スチュワードシップの徹底
 ⑦ ローテクの採用
 ⑧ 財政は各自治体とNPO(RRFB)で賄う
 こうした動きと並行して従来から懸案になっていたオッター湖周辺の大規模埋立地の立地が、これも5年の歳月をかけて住民との間で合意に達しました。その柱は徹底した住民の参加と監視です。
 先程申し上げたように、これまで無造作に埋め立てていたものを資源化する、という考え方に立って、埋立ては処分ではなく「仮置き」であり、投入廃棄物を極度に減らす。排水は第三者による徹底した環境モニタリングを定期化し、これを全面公開しようということになったのです。以上の考え方はすべて協定書に盛りこまれました。
 さて、ごみ半減を実現させた「ゼロエミッション戦略」の重要な鍵が二つあります。ひとつはデポジット制度、もうひとつは生ごみのコンポスト化です。
 まずデポジットとは預り金返還システムのことですが、ノバスコシア州のデポジットシステムはもうひとつひねりが効いていました。
 通常のデポジットでは上乗せ分が全額消費者に戻りますが、ここでの仕組みは半分をNPOがとるのです。そのNPOをRRFB(Resource Recovery Fund Board)と呼んでいます(巻末の図)。日本語では「廃棄物資源回収基金委員会」ということになりますが、これは任意団体ではありません。ノバスコシア州の法律で設立され、環境労働大臣との契約で運営される組織であり、委員は産業界、基礎自治体、州政府の代表から選ばれます。ちなみに現在の委員会は産業界側から7名、行政側から4名の計11名で構成されています。
 もう少し具体的にいうと、飲料容器のデポジットの場合、販売業者は「消費者から預かった」上乗せ分の全額をRRFBに納入し、その半分が小売店に戻って消費者の手に渡りますが、残り半分がRRFBに蓄積される仕組みになっています。
 もう少し詳しく説明しますとノンアルコール飲料は10セントのデポジットで、5セント戻り、アルコール飲料および500ミリリットル瓶については20セントで10セント戻りということになっています。
 この種の飲料は年間約2億6000万本が消費されており「チリも積もれば」でRRFBに入る金額も半端ではありません。回収率も83%と好調です。統計では2001年夏までの5年間で約10億本が回収されたそうです。
 こうしてRRFBの機能は、①集まった基金によるリサイクル事業の運営、②ごみ減量に努力する自治体への支援、③拡大生産者責任を果たす企業への援助、④環境教育や施設に対する支援などを行なうことにあり、そこには税金を使わず経済誘導でウエィストゼロを目指す卓抜な民間の知恵があります。
 政府と個人生活の間で自発的に組織された政治や社会的活動のための空間を市民社会といいますが、RRFBはまさにその典型といえるでしょう。
 ちなみにデポジットは広域的に、しかも均等にやらねば意味がありません。消費者が飲料容器を返却する回収拠点(環境ディーポ)は州全体で90ヵ所以上あり、資源回収工場(地域処理施設)が5ヵ所あります。
 デポジットはもうひとつ廃タイヤにもかかっています。現在ノバスコシア州全体から出る廃タイヤは年間約100万本といわれていますが、州内のタイヤ小売店が大型トラック分の9ドル、乗用車分の3ドルを全額RRFBに納入するのです。消費者はそういう形でごみ減量化に協力することになるわけで、これをスチュワードシップ(環境への奉仕)と名づけています。
 ちなみに日本にもデポジットの実績がないわけではありません(現在全国で45ケースあります)。デポジットの利点は負担の公正性にあります。税金でごみ処理をしたら便益を受けない者まで負担を強いられることになるからです。
 その意味でローカルデポジットでは限界があります。都道府県あるいは国が条例、法などで裏打ちしないかぎり成功は望めないのです。

(続く)

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1 コメント

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ブログを拝見するのが楽しみです。 (築田 敬子)
2007-10-17 09:46:12
津川さん・・・お疲れ様です。私のブログで紹介いたしました。
多くの皆さんによんでいただきたいですね。特に行政側・・・。
私のブログも環境部が意識しているようですから、ちょうど良かったのです。熔融炉を進める魂胆だと思います。多発事故を引き起こしてでもまだ「ホントにやるの」という感じです。それでもというならこれを読んで・・・皆さんに知っていただきましょうという事です。
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