循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

こんなリーダーしか持てぬ不幸

2013年05月08日 | その他
 「その地位にある者が(歴史に)学んでいないことほど国を病気にするものはない」。これは初代会津藩主保科正之の箴言である。この言葉ですぐに思い浮かぶのは安倍晋三のしたり顔だ。名君、保科正之の思いをいまに置き換えるなら「自制心を失い有頂天になった指導者ほど恐ろしいものはない」ということだろう。
 日刊ゲンダイも大見出しで「舞上がりハシャいでいるこれほど軽く嫌味な総理大臣はこれまで見たことはない」と呆れ返っている。同紙が指摘するまでもなく、先日東京ドームで行われた国民栄誉賞授与の浅ましく物欲しげな姿。こっちまで恥ずかしくなる。

◆原発を売り込む死の商人
 安倍はわざわざ背番号96のユニホームを着用し、投手松井秀喜、バッター長嶋茂雄が演じた始球式にアンパイアまでやってのけたのである。本来なら王貞治の役どころだろう。
 「96」の背番号はいうまでもなく自分が96代総理大臣であることを誇示するためと、憲法改正の手続き条項をネジ曲げようと企んだ〈96条〉に引っかけたものである。悪乗りもここに極まれリだが、もっと許せないのは連休中に安倍が中東、それもトルコへ行って日本の原発をセールスしたことだ。トルコだって日本に劣らぬ地震大国である。それを承知で原発を売り込んだとすればまさに「死の商人」ではないか。
 その昔、池田勇人という総理大臣(第一次安保で岸信介退陣の後を継いだ政治家)も国外に出かけ、セールスをやった。だがそれはソニーのトランジスタラジオだった。
 だが安倍は臆面もなく「世界で最も高い安全基準を満たす技術でトルコに協力したい」(日刊ゲンダイ2013年5月8日付)と胸を張ったそうだ。喜んだのは日立、東芝、三菱重工だろう。

◆「身につまされる情念」の欠如
 福島第1原発が収束はおろか、いまだ放射性物質を漏らし続けている現実がある。しかも事故原因の究明もできていない状況の中でどこをどう押したら「世界最高水準の技術」なんてたわ言が出てくるのか。政治家である前に人間としての資質を疑う。いまだ16万人という人たちが故郷に帰れずにいる。いつ何時、壊れかけた原発に爆発という最悪の事態が起きないという保証もない。
 身につまされる、という言葉がある。人間として不運な目にあった隣人に対する最低の情念だ。そんな心くばりのかけらもない連中にこの国を任せられるか。
 だが、原発に関していえばもう一人許しがたい人物がいる。国民の誰からも「経済通のエスタブリッシュには珍しいリベラルな思考の持主」と信じられている寺島実郎氏である。
彼を信奉する学者や実務家はきわめて多い。そのひとり、宮城大学の久恒啓一事業構想学部教授は「寺島実郎に同時代のライバルはいない」という文章を書いている。その一部を抜粋してみよう。
「寺島さんの講演をよく聞く機会があるが、時代のテーマを常に意識した話であり、同じ内容であってもその都度新しい知見に満ちている。それは思想の骨格がしっかりしており、新しい情報はその骨格に沿って見事に咀嚼されているからだ。また1ケ月の間に数回連続して講演を聞く機会があったが、思索が日々少しづつ着実に進化していく過程と思考の深まる現場を垣間見て感銘を受けた」。
だがその寺島氏は「脱原発こそ短絡した発想」との持論を披歴している。何しろ彼のレトリックの巧みさはこれまた定評のあるところだ。つい見損なったが、NHKの「クローズアップ現代」でも寺島氏は「原発に賛成でもなく反対デモない」とコメントしたらしい。それを批判する視聴者の批判もかなりのものだった。たとえば次のような意見がある。
 「日本は病んでいる。しかも,重病である。寺島実郎さんともあろう人が、NHKテレビをとおして『原発推進派でもなければ,反対派でもありません』と何の衒いもなく言えてしまうこの病理現象に多くの人が気づいていない。もはや,手のつけようがないほどに,重症である」と。

◆脱原発の風潮は時代に逆行
 以下は2011年6月、あるセミナーで寺島氏が展開した「それでも原発は手放せない」という論旨の要約である。少し長くなるが引用しておこう。
【従来から、原子力推進派には、論拠が2つありました。1つは原子力が環境に優しいということ。それから2つ目はコストが安いということです。もっともこれには、うまく稼働し続けたならばという前提がつきます。私は、この2つの理由で原発を推進するのは間違いだと、明確に、ずっと語り続けてきました。それでも、日本には、ある一定の割合で、原発を持ち続けなくてはならない理由があります。
 まず、日本は、徹底して原子力を平和利用してきた国です。その日本が、原子力という分野において果たすべき責任は非常に重いのです。今、原発を手放すと、核を持たない日本からは、原子力関連の技術を育て、蓄積する受け皿がなくなります。いま、日本のようになろうとしている国が日本の周辺に増えています。
 日本が脱原発を推し進めても、そうしなくても、見渡せば周囲には原発が林立しているという状況に迫っていくことだけは間違いがありません。
 アジアで福島第一のような事態が起こったなら、その影響は必ず日本に波及します。今、福島が世界を凍りつかせているのと逆のことが起こります。そう考えると、日本だけが脱原発をしても、意味がありません。また、そういった事態が起きたとき、日本に原子力に関する技術基盤が蓄積されていなかったなら、国際的なエネルギー戦略の中で、日本は部外者になってしまいます。である以上、原発を安定的にオペレーションできる技術者を守り、多重防御の前提が崩れた緊急事態に対応できる技術者を育てなくてはなりません。今の脱原発の風潮は、それを困難なものにしようとしています】。
 現代日本のオピニオンリーダーの面目躍如というところだが、またこれほど「いいとこどり」されやすいレトリックもない。安倍もそれに触発されたのだろうし、むろんそうした知恵を吹きこむ側近がいたことは確かである。

◆第二の原発事故?
 だがもうひとつの原発推進ともいうべき事態がいま慌ただしく進行中である。バッテリーが黒こげになり、いまだ事故の究明が出来ていないボーイング787機の就航が本決まりになったのだ。ボーイング社はこの機種を世界の航空会社に49機売り込んだ。日本では全日空が17機、日航が7機と大量購入。それが全部止まっている。グズグズしていると全世界から損害賠償を請求されかねない。そこでアメリカ連邦航空局(FAA)は見切り発車の形で就航にOKを出した。FAAは昔から天下のボーイング社に頭が上がらず、これにならって日本の国土交通省も就航を認めた。ここでもアメリカの下僕である。
 問題を起こしたリチウムイオン電池も発煙の発生率は「1千万飛行時間あたり1件程度」といわれていたが、合計飛行時間わずか6万時間未満というのに相次ぐバッテリー黒こげ事件である。
 安全性の試験もかなりズサンだったらしい。十分な過酷条件で行われていなかったこと、当局が試験の中身や実施を業者任せにしていたことなどが明るみに出たという。
 アメリカではボーイング社に遠慮、日本では全日空や日航から泣きつかれたとみるしかない。バッテリー対策は十分だ、というが、この見切り発車で「想定外のトラブル」が絶対起きないという保証はない。《本年2月18日付の拙稿「空飛ぶ棺桶は御免だ」を参照していただければ幸甚です》
                                           次回につづく                                                                        

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