循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

日本という国の骨組み

2013年01月29日 | その他
◆野党なんてどこにいる
「死にたいと思っても生かされると、かなわない。政府の金で(高額な医療を)やってもらうと思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなどしないと解決策はない」「私はそういうことをしてもらう必要はない。さっさと死ぬからと(遺書に)書いて渡しているとも発言した」(毎日新聞2013年01月21日 17時37分)。
先に書いた小生のブログ「安倍の暴走と麻生の暴言」を裏づける下記の投書が昨日(1月28日付)の毎日朝刊に載った。
<麻生太郎副総理兼財務相の社会保障制度改革国民会議での「生かされると、かなわない」などの発言は一国の総理大臣を経験した政治家の発言とは思えぬ、人命を軽視した内容であり、談じて許されることではない(中略)。高齢化社会を迎え医療費の高騰は大きな問題である。だが「金と命」をはかりに掛け、是非を論じるような政治家にこの国の進むべき道を委ねているかと思うと背筋が寒くなる>
 だが毎日の記事はこのあと「いずれ野党が問題にする可能性もある」と他人ごとであった。一体全体、いまの日本に野党なるものがどこに存在するのか。少なくとも麻生に不信任を突きつけ、問題を国民の前に明らかにできる地力を持った野党が、である。
 そんな野党が壊滅状態であることは何よりもマスコミが知っているだろうし、そうであるなら麻生の言動を真っ向から糾弾すべきはマスコミを措いてほかにない。少なくともジャーナリズムを名乗るのであれば「公平な客観記事と読者からの投書」でつじつまを合わせるだけでいいのか。
 麻生太郎副総理・財務・金融相はまた別の記者会見でもヘタを打った。史上二番目の10兆円大型補正予算を仕上げたあとの1月18日、記者のひとりが「笹子トンネル事故の修復など、全国の補修費内訳金額を明らかにして欲しい」と要請した。麻生は口ごもった末、「事務方に聞いてくれ」と逃げた。記者はすかさず「事務方に(内訳を)出すように命じてほしい」といったら、麻生大臣はいきなり「恫喝するのか」と大声を上げた。この件はその記者の所属する新聞しか書いていない。他紙はバカバカしいと見送ったようだ。どこまでも幼稚な男・麻生太郎だが、卑しくも政権党の実力者である。こんな男が「『金と命』をはかりに掛け、是非を論じ」この国を動かしてゆくのである。

◆どこが責任をとるのか
 先週、すべてのテレビに遺族や同僚たちの嘆き悲しむ姿が映しだされた。アルジェリアの人質監禁事件で犠牲になった日揮社員の映像である。だが見ているうち、かなりの違和感を覚えた。まず、何人かのコメンテーターが犠牲者を「企業戦士」と呼んでいたこと、もう一つは遺体や生存者を羽田まで運ぶのに政府専用機が使われたことである。
 現地での凄まじい銃撃戦、立ち昇る火焔、完膚なきまでに破壊されたトラック。そこはまさに戦場だった。だからといって連想ゲームのように日揮の犠牲者を「戦士」と呼んでいいわけはない。
 現在、日本企業が約160を超える国と地域に送り出している従業員は約24万人。最も多い地域はアジアだが、テロの危険地帯とされる地域にも少なからぬ企業人が送り込まれている。当然企業(この場合は日揮)はそれを十分承知の上で彼らを派遣させたわけである。特にアルジェリアについてはテロの緊迫度がきわめて高いことも分析していた筈だ。 だいいち「日揮だって慈善事業でアルジェリアで仕事をしていたわけではない。危険は百も承知。しかもそれを上回る利益を見込んでプロジェクトを継続していたのである」(日刊ゲンダイ2013・1・28)。
 また多くの企業は定年退職した人に高給を与え、後日何が起きても企業本体には責任が及ばない仕組みをとっている。リスク回避も企業行動の一部なのだ。もともと危険地帯への出向は懲罰人事であることが多く、そのリアルな事例は山崎豊子氏の企業小説に詳しい(たとえば「沈まぬ太陽」「不毛地帯」など)。
 これらの企業行動を抜きにした「お涙頂戴報道」(前出日刊ゲンダイ)は責任の所在をウヤムヤにする。政府専用機が着陸するや、いい歳をした大人の集団が一斉に嗚咽する風景は「日揮ぐるみ被害者」というイメージを日本中に振りまいた。

◆自己責任の重圧
 ここで思い出すのは9年前、イラクで起きた「日本人ボランティア誘拐事件」である。 2004年年4月8日、市民活動家の高遠菜穂子さんら3人がイラク・ファルージャ近郊で武装グループに拘束され、一時生命すら危ぶまれる事態になった(のちに拘束人数は5人となる)。
 幸い武装グループやイラク人の多くが、彼女らの目的を理解し、後日5人は解放された。しかし解放後の彼らを待っていたのは、「国の発した退避勧告を無視した自業自得の行為」「自己責任をとらぬ無謀な行動」「救出に国が要した費用を支払わせるべき」などの“世論”であった。その重さに彼女らは押しつぶされそうになった。「自己責任」を問う声はさらに拡大し、当時の小泉純一郎首相は、「徹夜で対応した人たちのことを考えているのか?何考えているんだ」と激しい口調で非難した。
 小泉激怒の背景として武装グループが要求する解放条件に「自衛隊の撤退」があり、被害者家族や支援者たちがそれを国に強く要求したことが事態を一層こじらせた。当時の自己責任論は「国益に反する者」を封じる込めるため、個人の行動にブレーキをかける言葉として増幅されていったのである。
 危険地域で国益に寄与した企業戦士には政府専用機があてがわれ、国が認めないボランティアには自己責任攻撃をかける。日本という国の骨組みはまったく変わらない。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。