循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

伝え、遺す原発ブログ(4)

2011年06月12日 | ハイテク技術
◆原発技能者が伝え、遺した言葉
【私は原発反対運動家ではありません。20年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います】。
これは1級プラント配管技能士で、大きな化学製造工場などの配管が専門だった平井憲夫さんという方が生前(1993年ごろ)に書かれた手記(講演記録「原発がどんなものか知ってほしい」)の一部です。ご本人は1997年1月に逝去されました。
 日本に原発を造るという動きが出てきたとき、いち早く配管のプロとしてスカウトされた方で、いわば原発草創期からの技能者であり、現場経験者です。退職後、原子力発電所がどんな現場だったかを語ることができる数少ない生き証人としての半生を送りました。
 1977年、千代田化工から日立製作所グループの吉田溶接工業に移って以来、東京電力福島第一原発、同第二、中部電力浜岡、日本原電敦賀、同東海などの沸騰水型原発の建設、定期検査における配管工事の監督(工事部次長)を約8年にわたって務めたといいます。
【私は一作業員だったら、何10年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから原発をどうしたらいいか、みなさんで考えてくれたらと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工する人、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません】。

◆長らく怪文書扱い
平井さんは退職後、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人などのいわば“難職”を務めてこられました。誰もやりたがらない、というより誰もが出来るというものではない証言者としての半生を生きたのです。なお「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく後年、閉鎖されました。
 その後、平井さんの手記はネット上に紹介されたため、「誰かが本人になりすまして書いた偽作だ」「反原発論者による怪文書」「ほとんどが嘘」といった非難が殺到したそうです。しかしそれは3・11以前のことで、以後、非難は下火になった。事態は「平井さんの手記」をはるかに超えてしまったのです。
 その経緯についてあるブロガーが以下のように報告しています。
〔ネットで検索すると平井憲夫氏の文章は、「嘘だらけだ」だと原発に詳しい原発擁護派の人が書いています。「私はこれまで、平井氏の文章を数人の原子力産業界の知人に紹介し、反応を見てきました。その一部を紹介します。なお、意見を下さったのは、原発職員(現場工事担当、官庁検査担当、当直運転員、元放射線管理員)元研究者(専門は原子炉の安全性)等の「それなりに知識のある」方ばかりです。
「同意できるところも少しあるが、殆どは嘘ばかり」「分野によっては素人同然の知識」「読んでいて途中で馬鹿馬鹿しくなった」「実は反対派も嘘が多い事は解っているはず。引っ込みがつかなくなっているのでは」「放っておけばいいんですよ。(大笑)」(大笑いした人は、今、どんな思いで福島原発の事故をみているでしょう)。
 さらに、次のような批判派の文章がありました。「平井氏の有名な『原発がどんなものか知ってほしい』は、その内容の不確かさから、放射線の第一線研究者から指摘をされ、2ちゃんねるでも叩かれまくり、「8割以上が嘘だ」と晒し上げられていた怪文書です」とあります。しかし、今回の福島原発事故は、このような原発の安全性を訴えつづけてきた原子力についての科学的知識に詳しい人たちの言っていることより、現場の配管の仕事をしていた平井氏のこの文章の方が現実の展開をより正確に見通していたことを教えているように思えます
〕。
 なお、平井さんの手記(PKO法『雑則』を広める会という市民団体が95年に自費出版した『地震と原発』に所収されたもの)は本年4月23日付の「週刊現代」に告発レポートとして一部紹介されていますから、ご存知の方も多いでしょう。
 以下、実際の手記の中から本文のいくつかを抜粋させていただき、時折、紹介してゆくことにします。
  
【びっくりした美浜原発細管破断事故!】
 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。1989年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
 そして、1991年2月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。
 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を100キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと0.7秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
 この事故は、2ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。 施工ミスです。そのことが20年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

【もんじゅの大事故】
 去年(1995年)の12月8日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅが「ナトリウム漏れの大事故」を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に6回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていまし
たが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行く
のです。
 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って
見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。
でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。 図面を引くときに、私が居た日立は0.5mm切り捨て、東芝と三菱は0.5mm切上げ、日本原研は0.5mm切下げなんです。たった0.5mmですが、100カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。
 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。
 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この0.5mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。
 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。
 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには15基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」といってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。
 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

◆単純ミスで爆発!
平井さんの指摘(「事故」と「事象」のすりかえ)が当を得ているのは原発に限らず一般のプラント、特に廃棄物処理プラントでは日常茶飯になっていることです(そういえば福島原発事故が起きた初期のころ、枝野幸夫官房長官がしきりにこの「事象」を愛用していました)。
 筆者が知り得たケースもいくつかあります。2005年5月26日、東京都足立清掃工場で施設内のプラズマ式灰溶融炉が水蒸気爆発を起こしました。原因はプラズマトーチを構成するノズル部と接続パイプが脱落し、灼熱する溶融炉の中に循環水が流入した、というもので、現場の話では「突如10メートルほどの火柱が上がった」そうです。しかしこれは事故報告には載りませんでした。公式記録は「炉の異常燃焼」になっています。
また2002年11月7日、青森県むつ市にある下北地域広域行政事務組合(1市3町4村)の一般廃棄物処理施設で、サーモセレクト方式のガス化溶融炉(施設運営アックスグリーン、設計・施工、三菱マテリアル)が「真夜中に雷が落ちたような轟音を立てて」爆発事故を起こしました。このサーモセレクト方式は発生した可燃ガスを改質(クラッキング)して工業用の燃料に再利用するというものです。むつ市での爆発事故は試運転中に起こりました。発生する余剰ガスを上部の放散塔という個所で燃やす仕組みでしたが、常時着火している筈のバーナーの火がたまたま消えていたため、係員が再点火したところ、爆発が起こった、というものです。
 問題はこうした事故が起きるたび、メーカーや自治体、そして専門家と称する大学教授らが、調査も済まないうちに、①本件は「初期トラブル」であり、システムの根幹にかかわる事故ではない、②これは係員の単純ミスである、などといい出すのです。仮にそれが事実としても「単純ミス」で爆発を起こすここと自体、システムの欠陥といわざるを得ません。      以下次回
 

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