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ふと気が付いたら、自転車で怪我したのがちょうど1か月前の今日。
(あぁ・・遠い目・・・)
怒涛の1か月でした。(濃すぎる)
事故直後は「(事故にあう)1分前に戻れるものなら戻りたい(泣)」と連呼していた私ですが、
もう今は言いませんよ・・・(振り返らないよう言い聞かせてます)
そんで、なんとなく今日は描いてみようかなという気になったので描いてみました。
こけたときは目の周りの内出血がすごくて、分刻みで紫に変化し私をビビらせました。
でも、日が経つにつれ同じ紫でもいろんなトーンに変わり、
まるでアイシャドーでも塗ってるのかと思うような時期もありました。
『これが内出血ではなかったら、結構きれいな色なのでは?』と思ったりしたことも。
気分は滅入りながらも、まじまじと瞼の色を観察してたのでした。
紫色がとても印象に残っているのです。
今日、門戸厄神さんへお参りに行って、お札を買ってきたのですが、
電車の中で『人間いつ死ぬか分からんから好きなことした方がええな』って
改めて思いました。
だから・・・どんな絵(マンガ)でもあんまり気にせず描いて載せていこう
という結論に至ったのでした。
年末にできなかった大掃除(断捨離)を今頃実行中です。
「捨てる」か「捨てないか」
この選別に時間がかかっております。
過去の絵も『これは・・・(゜Д゜|||)』というものは、
潔く捨てております。
この絵も捨てる気満々で久しぶりに出してきたのですが
2~3分迷って、捨てることが出来ませんでした・・・(;´Д`)=3
描きかけのまま何年も放置してるし、
一体完成させる気があるのかどうか(あやしいのですが)・・・
捨てられないってことは、気に入っているんだな・・・と思いました。
またアクリルで描きたいなぁと思いました。
あ、あともうすぐで50000アクセス間近です。
運よく?カウンターが50000を踏んだ方、
おめでとうございます。こっそりほくそ笑んでください( ´艸`)
イベントに出店することになり、壁掛け時計を作っています。
えらいメルヘンな絵ですけど、時計は毎日見るものなので
不気味な絵はやめました・・・。
アオムシから蝶への羽化を描こう!というアイデアもあったのですが
売れ残ったら困るし・・・(;´Д`)=3
ということで、ちょっとマーケットを意識。
鳥の絵も描くつもりだったのですが、間に合うかなぁ・・・
売れたらいいのですが・・・
売れなかったらまた今度売ろう(^_^;)
久しぶりに筆を握ったので感覚を戻すのに苦労しました。
絵を描くのはいいですね。
やっぱりマンガを描くときとは全然違う脳を使ってる気がしました。
どちらも大好きなので両立できたらいいんだけどなぁ。
とりあえず、マンガを本にまとめたい。
魚バージョン
まず●黄色の液に漬けて、全体を黄色に染め、
そのあとに●赤色の中に漬けています。
●緑色はスポット的に爪楊枝で描き、
最期に●黒の中に漬けています。
白は卵の地の色です。
【フジコ・ヘミングの「魂の言葉」】より抜粋。
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異国にいても、いつも孤独だった。
あまりに貧乏だったから、生活のために結婚しようと思ったことさえある。
でも誰と一緒になっても、本当の幸せにはなれなかったと思う。
そんなことで、自分自身が救われるものではないもの。
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魚バージョン
まず●黄色の液に漬けて、全体を黄色に染め、
そのあとに●焦げ茶の中に漬けています。
白は卵の地の色です。
右と左の茶色の色が違うのは、卵のせいだそうです。(右の方が濃いですね)
同じ液に入れても、卵の個体によって染まりにくい部分も出てくるようです。
昨日読んだ【フジコ・ヘミングの「魂の言葉」】が、とってもいい言葉ばかりなので、
しばらくフジコシリーズで気に入ったフレーズを抜粋しておきます。
(自分自身への戒めと励ましも込めて・・・)
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死にものぐるいになったら、なんでもできる。
そのかわり一生懸命にならないと、実現しないわよ。
情熱の一部なんかでは絶対にできない、ということを肝に銘じるべきだわ。
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大好きな文鳥を描いてみました。
筆で描くのではなく、染料の中にドボンとつけています。
最初に●黄色の液体に漬けて、全体を黄色に染めます。
次に、●グリーンと●赤は爪楊枝で染色し、
最後に●最期にトルコブルーの液体に漬けます。
白い部分は卵の地の色です。
ピサンキも版画もそうですが、色の順番やら工程やら、
事前にしっかり決めておかないと、行き当たりばったりでは
失敗することが分かりました。
今日、【フジコ・ヘミングの「魂の言葉」】という本を読みました。
その中にこんなフレーズがありました。
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ある芸術家から「マリア・カラスはお金持ちのおじいちゃんを捕まえたから、
あそこまでいけた。君も有名になりたかったらそうしなきゃ」
と言われたことがある。
モーツァルトもゴッホも、純粋に生きた芸術家はみんな、
悲惨な人生を辿っている。才能だけで有名になるなんてできない。
でも、私はあきらめなかった。
チャンスは必ずくると信じていたから。
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私は音楽に詳しくないので、マリア・カラスがお金持ちのおじいちゃんを
捕まえていたのかは知らなかったのですが、この発言を聞いて
フジコさんもこんなこと言われていたんだなぁ・・・と思いました。
この手の発言をする人は、たいてい男性です。
お金持ちのおじいちゃん自身が発言している場合も多いにあります。
割り切りさえすれば、生活が楽になると。月々いくらでどうかと。
その分で制作に打ち込めると。
有名なアーティストはそういう支えをしてもらっていると。
みんなが知らないだけで、影の支援者がいると。
実際、応援してもらっている人を見ると、
『割り切りさえすれば・・・』という気持ちがない訳ではないです。
が、そこへ渡るには、私には大きな壁があります。
人は人なのです。
なんだか生々しい発言ですみません・・・。
鬼のようにピサンキばっかり作っている私です。たまごっ♪たまご♪
だんだん、絵柄も描けるようになってきました。チュっ
初心者の私はまずはデザインも基礎から。
東京からピサンキの技法を教えてくださる先生が京都に来ていて、
毎日京都に通っております。先生は世界を飛び回っておられる方なので、
お話も大変面白いです。
先生はポーランドに5年、ソ連に5年住んでいらした際に、
ピサンキの魅力に取り付かれ、卵の絵付けされるようになったそうです。
講習会の会場である、「ぎゃるり アルブル」さんには,
先生が世界各地で収集されたイースターエッグのコレクションが展示されていて、
それを見るだけでも楽しいです。自分で作れば尚楽しい!
(注)講習希望者は事前にお電話にて予約されることをおすすめします。
「イースターエッグ展」
●3/25(水)~29(日)11:00~18:00
●ぎゃるり アルブル
●京都市山科区竹鼻西ノ口町63
●075-581-0077
メレンゲ婦人を作っていた頃から、卵に絵を描くのが気になっていて、
イースター(復活祭)での恒例行事である卵の絵付けに挑戦してみました。
これは、ウクライナの伝統工芸である「ピサンキ」と言われるもので、
「ろうけつ染め」の技法です。
生命や復活の象徴として、卵が使われてきたのではないかと言われてるそうです。
球体に絵を描くのは結構難しかったです・・・
こうして紐をつけて飾ると可愛いかもです。
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こんなことを書くと、私の人格&品格が疑われるのではないかと不安になるほど
どうしようもない下品なマンガを描く人ですが、私はかれこれ20年くらい前から
密かに注目している人です。
最近、その人が書いエッセイを読んだのですが、私の期待を裏切らない
想像を絶するバカバカしさぶりに、マンガだけでく文章(というか、感性)に
一種の特殊な才能を感じました。
この人のマンガを初めて目にしたのは、大学入学後、キャンパス内で
配られていたパンフレットが最初の出会いです。
そこには「原理研究会」(※統一教会系列の学生組織)からの勧誘に気をつけよう!
という啓蒙を促すパンフレットでした。
当時、新入生がキャンパスで「原理研」に勧誘されるということが
いろんな大学で行われていた頃でした。
そのパンフレットに、原理研に入ると、どのように洗脳されるかなど、
独特のタッチで描かれており、新興宗教の怖さがすごく伝わってきましたが、
私は原理研の怖さよりも、そのマンガの下品ぶりに目を疑いました。
今までに見たことがないくらい下手くそな絵ですが、
なんだか分からないパワーだけは伝わってきました。
以来、自分の中で「ちょっと気になる人」になりました。
その後、ちょこちょこ彼の下品でグロテスクなイラストを目にすることがあり、
マイナーだけど特殊なマンガ家だったんだ・・・ということが判明。
(当時は、同じ大学の学生が描いたものだと思っていました)
好き嫌いがハッキリ分かれる作家さんだと思いますが、私は好きです。
これからもバカバカしさの王道を迷わず突き進んで欲しいと思います。
間違った解釈をしないように、ほとんどそのままの言葉で書いておきます。
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今日考えたんやけど・・・
お前は植物を観て感動するやんか?
そんで、構成するときに、創作の喜びを感じるやんか。
そこが一番大事なところで、そこをしっかり(じっくり)楽しまないとあかん。
それなのに、お前はそっから先のものを求めてさまよい続けてる。
それは人の評価であり、お金であり、名声であり、空しい儚いものだ。
最初にお前が感じた創作の喜びこそが「確か」なもので、
お前の求めている「人からの評価」や「名声」は確実なものではない。
「有名になりたい」とか「売れるようになりたい」とか「評価されたい」とか、
求めてもきりがない。
人からの評価や名声は、あとから「おまけ」として付いてきたらいい。
そんな風に、「付録」として捉えて、余裕をもって楽しみながら求めなさい。
もちろん「おまけ」はあってもいいものだけど、なくったっていい。
それよりも、むしろ、自分が感動して作品を作っているということの方が大切で、
それをしている時点で、大部分のことは達成しているんとちがう?
自分が創作することで、お前は「豊かさ」を十分感じてるやろ?
そのことの方が大事なんとちがう?
お前は○○社(大手出版社)の評価が厳しかっただの、
○○コンクールに落ちただの、その度に落ち込んでいるけれど、
お前を評価をしてくれた人も、いずれ死んでいくし、
お前も死んでいくし、
世間の評価そのものが揺らぎやすものやんか。
お前のように、誰かから否定されるたびに落ち込んでいたら
苦しいだろう。否定されても、また逆に評価されても、
それとは関係なく、自分が豊かな気持ちを持って、感動して、
芸術作品を生み出したということに価値を見出しなさい。
有名になろうが、無名のまま終わろうが、
絵本が売れようが、売れまいが、
評価なんかを求めてしまって、それを目的にしてしまったら、
1つ何かを得ても、際限なく満足することができない。
お前は永遠にその欠乏感に苛まれるれることになるだろう。
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全くもって、その通りだと思います。
こんなことを、きちんと私に言ってくれる人を、本当に有難いと思います。
※プリンターのエラーで、訳の分からない記号やアルファベットが
びっちり印刷されて出てきたので、なんだか混乱した時の自分のようで、
久しぶりに少し絵を描いみました。
「赤ずきん」ーグリム童話ー
画像をクリックすると拡大して見れます(・ω・)ノ
別ウィンドウが立ち上がっても、ウィンドウが小さい場合は、
右上の最大化ボタン(×印の左の□印のボタン)を押すと、フルサイズで見れます~
しかし、気に入らないので、コンピューターで画像に歪みの加工をしてみたら、
ちょっと良くなったような気がする・・・。原画より歪んでる方が好きだ・・・
大事なのは歪みよ、歪み!!
グリム童話って結構残酷なお話が多いので、私の好きなジャンルなんだけど
もっとブキミな感じで表現してみたい。
大人のための残酷童話・・・みたいな。なんでやねんヽ(`Д´)ノ
グリムシリーズでもうちょっと色々試行錯誤してみよう。
何かが壊れていく。記憶が粉々になっていく。全て忘れてしまう。
そんなイメージで描きました。
テレビでジャズシンガーの石野見幸さんが、ガンと闘いながら歌を歌っている姿をを見ました。
31歳でスキルス胃がんと診断され手術、34歳で再発、
余命1ヶ月の宣告を受けてのステージでした。
胃も切除、腸も癒着、肝臓も腫れ、食事もできず点滴で栄養をとっているというのに、
ものすごいパワーでした。
「もし戻れるなら、どんなことがあっても痛みのない生活にもう1度戻りたい。
普通に健康でいられること、毎日の生活に痛みのないことが、
どれだけ輝かしいことなのか・・・」と言っておられました。
私は最初、「輝かしい」という言葉が引っかかりました。
痛みの無い生活が「輝かしい」ことだなんてという意識がなかったのです。
「輝かしい」なんていう形容詞は、もっと日常とは違うキラキラしたものに使う言葉のような
気がして、最初は違和感を覚えたのですが、逆に言えば、それが大袈裟に思えるほど、
健康に鈍感になっていたということでしょう。
でも、きっと普通に生活できることは「輝かしいこと」なんだと思います。
もっともっと大切に毎日を生きなければ、と思いました。
健康に産んでくれた両親にも感謝しました。
そして私の大切な人たちの健康を祈ります。