田口ランディという人の「パピヨン」という本の中で、
エリザベス・キューブラー・ロス(精神科医)についての記述がありました。
キューブラー・ロスという人は、生涯をかけて死について研究し、
今日のターミナルケアの礎を築いたとも言える女性です。
多くの患者を看取り、その対話を通して、死んでいく人が何を思い、
何を望んでいるかを克明に記録し、その研究を「死ぬ瞬間」という著書にまとめ、
大反響を呼びました。
そして、彼女の自伝である「人生は廻る輪のように」という本の中で、
ユダヤ人の大量虐殺の舞台となったポーランドのマイダネック収容所の壁に、
無数の蝶の絵が描かれてあったという記述があるのです。(以下抜粋)
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『男も女も、どうしてこんなことができたのだろう?』建物に近づいていった。
『確実におとずれる死を前にして、人はどのようにして、特に母親と子どもたちは
どんな心境で、最後の日々を生きていたのだろうか?』
建物の内部には五段になった木製の狭い寝棚がぎっしりと並んでいた。
壁には名前やイニシャル、いろいろな絵が彫りつけられていた。
どんな道具を使ったのだろう? 石片か? 爪か? 近づいて子細にながめた。
あちこちに同じイメージがくり返し描かれていることに気づいた。
蝶だった。
見ると、いたるところに蝶が描かれていた。
稚拙な絵もあった。精密に描かれたものもあった。
マイダネック、ブーへンヴァルト、ダッハウのようなおぞましい場所と
蝶のイメージがそぐわないように思われた。
しかし、建物は蝶だらけだった。別の建物に入った。やはり蝶がいた。
「なぜなの?」わたしはつぶやいた。「なぜ蝶なの?」
なにか特別な意味があることはたしかだった。なんだろう?
それから25年間、わたしはその問いを問いつづけ、
答えがみいだせない自分を憎んでいたものだ。
エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』
(上野圭一訳) 角川書店、1998、pp.89-90
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この蝶のことがきっかけで、彼女は死について考え続け、
25年後にようやく1つの回答を得ます。
死は蛹(さなぎ)から蝶が飛び立つようなもので、
肉体という殻を脱ぎ捨てて別の存在になることなのだと。
けれど、蝶の絵は実際にはないようなのです。
NHKが取材した際にも、田口ランディが見学した際にも
蝶は見当たりませんでした。
当時の記憶がある館長さんでさえ、そんなものはなかったと否定。
また、アウシュビッツなどでは、マリア様や鳥の絵はあっても
蝶の絵はないそうです。
では、ロスは一体何を見てこのように書いたのでしょうか。
記憶違いだったのでしょうか。
いずれにしても、ロスの記述は非常に興味深いものでした。
田口ランディがロスについて書いてます。
「人生を通して一貫して率直であり、自分が正しいと思うことに誠実だった。
我が道を行く。野生の人で、真っ正直で、間違いや失敗も多くて、
頑固でひたむきで誠実だったのよ。生き方としては不器用なくらいにね」と。
彼女に対しては、これでもかというほど数々の苦難が襲ってきて、
(エイズ患者のための施設を建てて、近隣住民から放火される)など
人生まさに波乱万丈なのですが、この人、決して屈したりしないのです。
だんだんオカルトに傾倒し、最期は孤独のうちに亡くなるのですが、
それでも彼女の人生は凄いの一言です。
「死ぬ瞬間」「人生は廻る輪のように」の2冊はお薦めです。
※自伝の方が読みやすいです。