今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・北アルプス 黒部五郎岳、三俣蓮華岳 その1

2013年08月17日 | 山登りの記録 2013

平成25年8月8日(木)~10日(土)
寺地山1,996m、北ノ俣岳2,661.2m、赤木岳2,622m、黒部五郎岳2,839.5m、三俣蓮華岳2,841.2m

 7月中に南アルプス深南部か白峰南嶺に行こうと思っていたのだが、梅雨に戻った様にお天気が不安定であることに加え、計画している登山口への道が夜間通行止めになっている。これだと、一日分の休みを全く無駄にしてしまい、上手く日程が組めない。一方の白峰南嶺の方は、下山予定にしていた登山道が現在通行不能との情報。困ったな。
取り合えず、南アルプスは先送りにして、お盆休みの前に天候も大分安定してきた様なので、一昨年、雲ノ平から眺めた黒部五郎岳に行くことにした。どっしりとして大きく、カールが魅力の山だ。今回は、数年ぶりにテントを担いでアルプスに行くことにした。65ℓのザック(しばらく振りに出したカシン製のクライミング用の細いザック、大きいけど縦走には余り向かない)に20kg超えの荷物を担いでの縦走は久々だ。身体が持つかなあ…。急遽方面変更したので、事前にあまり計画を練らなかった。北アルプスだし、お金さえ持ってけばイザとなれば小屋に泊まったり、食事だけ小屋で食べることも出来る。イージーな山域なので、軽く考えていた。なので、いきなり初日に重荷の長時間コースですっかり疲れ果てる羽目に…。

 7日の午前中はイベントや報道取材対応等があって普段より仕事が忙しかった。午後は休暇を取って、猛暑の中、高速で松本へ向かう。松本に夕方5時頃着いて、上高地経由で安房トンネルを抜け、岐阜の神岡(現飛騨市)に降りた。夕食を松本で済ませておけば良かったな、と後悔。上高地から奥飛騨温泉郷辺りまではコンビニすら見当たらない。神岡に出て、北ノ俣岳登山口の看板がある所に丁度コンビニがあったが、愛想の悪いおじさんによれば、残念ながら弁当などはもう売り切れたとのこと。仕方なく、神岡の町まで下ってそこでコンビニを見つけ、ようやく夕食にありつけた。北ノ俣岳登山口の標識まで戻って左折、そのまま有峰有料林道に繋がる飛越トンネルまでは、大規模林道高山大山線を行く。想いの外ずっと全線舗装路の良い道が続いていた。飛越トンネル入口に北ノ俣岳登山口があり、道路脇に広い駐車場があった。車は10台くらい停まっているが、全て無人のようで既に山に入っている様だった。ここの標高は1450mくらいだが、少しも涼しくない。シュラフには潜らず、その上に横になって眠った。

 8日(木)
 4時に目が覚めると、空は晴れているが全体にうっすらと雲がベールになっている感じだ。シュラフから出ると間もなく2台ほど相次いで車がやってきて、1台は隣に停まった。先にやってきた1台は若夫婦か?直ぐに軽装で出発し、後からやってきた隣に停まった単独の人も、やはり軽装で直ぐに出て行った。このコースから重荷を背負って行く人は余り居ないのか。みな小屋泊まりか、あるいは北ノ俣岳のピストンが多い様だ。4時45分に、その後はだれもやってこない駐車場を後に、駐車場の外れにある登山口から登り始める。入口には北ノ俣岳登山口の標識と登山者カード入れがあったので、登山者カードに記入して投函した。歩き出した時点ではそれ程荷物は重く感じないが、ほいっと持ち上げて背負うことのできない重さだ。登山口からはイキナリの急登だが、ジグザグを少しすると駐車場を見下ろし、しばらくはだらだらとした緩い上り下りの道が延々と続く。

 まだ、陽も当たっていないのに、直ぐに暑くてタオルで汗をぬぐうようになる。ここからエアリアのコースタイムで3時間とある寺地山の標高が1,996m、登山口からほんの500m程の標高差しか無いのにこんなに時間がかかるのは、だらだらと上り下りが続くからだ、緩い尾根で小さなピークを幾つも幾つも越えていく。尾根上の道はぬかってぐちゃぐちゃで、泥田の様な所が多い。大きなミズバショウの葉が沢山見られるから、雪融け直後には花が咲くのだろう。緩い尾根が北ノ俣岳へのルートの丁度中間地点にある寺地山と、その先にある北ノ俣避難小屋辺りまで続き、そこから一気に600m以上の急登になるのが北ノ俣岳までのルートだった。

 多雪山地特有の湿原が時々現れる。ニッコウキスゲが丁度花期で、なかなか素晴らしいところもある。寺地山には8時21分に着く。ほとんど休まず歩いてきたが、3時間では着かなかった。肩に食い込むザックは、時間が経つに連れ重さが増してくるような感じだ。薄雲って陽射しは余り無いが、朝から湿度も高くこの標高とは思えない様なむっとする空気に包まれているので、既に汗びっしょり。主三角点がぽつんと立つ寺地山は、この辺りから増えてきたオオシラビソの巨木等に囲まれ眺めも無いが、直ぐ先まで進むと、下りになる所から遠く高い北ノ俣岳が初めて姿を現した

 寺地山から少し下って、樹林の尾根を緩く辿り、広々とした傾斜湿原に降りる。ここに「草地」と書かれた木製の大きな標識が立ち、「避難小屋すぐそこ」とあり、右手に木道が下っている。木道を5分も進むと三角屋根の小さな小屋が下に見えた。降りると小屋の前にホースで導水してあった。この冷たい水でスポーツドリンクを作る。小屋の中を覗いて見たら、狭くて、せいぜい4,5人がやっとという感じだったが、帰りに、ここに8人が泊まるらしい様子にはびっくりした。

 9時47分に、急な傾斜湿原に付けられた木道を登っていく。湿原はかなり広く、しかし花は到って少ない。点々とニッコウキスゲ、ワタスゲ等が咲いて、小さな池塘が幾つも見られる辺りは餓鬼の田と呼ぶらしい。上に登るにつれて、湿原の乾燥が進んでいるのか、池も見られなくなり、草原になって木道は一段上で無くなった。広々した急斜面の草原を尚も道は蛇行して登っていく。暑いし、荷は肩に食い込んで痛いし…上から細い水流があるところで、タオルを濡らして首に巻く。冷たくて気持ちが良い。湿原を登り始めた辺りから、上から降りてくる人と数人すれ違うが、到って静かな山だ。遥か下まで見下ろせる草原の果てに、1人登って来る後続の人の姿が見えてきた。足元にはタテヤマリンドウの花が青い星の様に咲いている。しばらく登り、南隣の沢の雪渓が近づく頃、直ぐ下にその若者が追いついてきた。彼は軽装なので、お先にどうぞと言ったら「もうかなりバテテいるので、ゆっくり行きます」との返事。その辺りからは、草原も終わり、ハイマツも混じるつま先上がりの更に急な登りになる。ゆっくりゆっくりと北アルプスの稜線が近づいてくる。北ノ俣岳山頂付近の人の姿が確認できるようになる。若者が先に、しかしその直後に稜線の小ピークに辿り着いた。ハイマツに囲まれた小さなピークには山標石があるが、その直ぐ先に降りると木道が敷かれた縦走コースに出た。目の前に懐かしい雲ノ平と祖父岳がガスに隠れがちに見える。左手には薬師岳、雲ノ平の向こうには水晶岳や鷲羽岳が見える。黒部五郎辺りは雲が被っていて良く見えない。黒部側は一段低く平坦な草地が大きく広がって、チングルマやハクサンイチゲの群落が彩っている。足元にもツガザクラやイワカガミ等の湿生の高山植物が点々と咲いていた。

 ハイマツと砂礫の中を緩く登り上げると、広い北ノ俣岳山頂に12時20分に着いた。山頂標識の前に朝先行していった隣の車の人が休んでいた。ザックを降ろすと、重荷から開放された身体がフワフワと浮いているような感じで歩きにくい。山頂には三等三角点標石と大きな北ノ俣岳山頂の標柱があり、幾つかのケルンが積まれていた。余りゆっくりとはしていられない。ここが最終目的地?の隣の車の人や、太郎平小屋へ行く若者と別れ、再び重い荷を背に12時35分に黒部五郎方面に向かって下っていく。こちらに向かって登って来る人たちも居るが、思いのほか人は少なくて、矢張りまだお盆前で人は少ないようだ。北ノ俣岳から幾つもの小さなコブを上下する。ここから黒部五郎小屋までエアリアでは5時間のコースタイム。この重荷がここまででかなり堪えているので、何時に小屋に着くのか、少し不安がよぎる。

 北ノ俣岳からは幾つかの緩い上り下りをして、赤木岳という小ピークに出る。直ぐ上が頂上なので、岩を伝って上に登ると、ハイマツに囲まれた小平地が山頂だった。岩の中に読めなくなった木札があるが、他には何も無かった。余りに疲れていたので、直ぐ下の縦走路で立ち話をする人の話し声を聞きながら、仰向けに横になって少し眠った。ほんの10分くらいだったが、嘘の様に眠気と疲れが取れた。また歩ける気分になり赤木岳を出発する。

 赤木岳から先はハイマツの海の中を伸びやかに歩く道になったり、池塘がある草地を横切ったりする。思った以上にアップダウンが多くて距離もあり、中々黒部五郎の登りにならない。池塘がある中ノ俣乗越あたりですれ違った単独行の人を最後に、黒部五郎小屋まで全く人に会わなくなった。最初からあまりすっきりとした晴れではなかったが、中俣乗越付近からは岐阜県側から濃いガスが押し寄せてきて、景色が良く見えなくなってきたので、直ぐ下に取り付くまで黒部五郎岳は見えなった。しかし時々見える山稜からすると、黒部五郎は大きく高い山であることが伺えた。すっかりすれ違う人も居なくなり、北アルプスの稜線とは思えない静けさ。この付近は人の気配も無い。

 食い込むザックで肩が痛くなるので、時々大きくこごんでザックを背の上に乗せた状態で立ち休みする。ずっしりとした重量が身体を押し付けるようだ。この状態で黒部五郎を越えて黒部五郎小屋まで辿りつけるのか?時間だけはどんどん経過して、 午後3時になっていた。ガスが切れてやっと姿を現した黒部五郎は、首が痛くなるほど見上げる高さに山頂稜線が見えた。砂礫のジグザグ道を黙々と登る。振り返ると幾つものピークの向こうに赤味がかった薬師岳が遠い。

 ようやく黒部五郎の肩まで登り上げるが、もう時間が押し迫り、どんなに急いでも小屋到着は5時を回りそうだ。これから稜線コースを進んで山頂に行く時間は無い。黒部五郎の山頂は帰りに踏むことにして、肩からそのままカールを下るコースに入るが、その前に、疲れ果ててザックを背にしたまま、仰向けに倒れこんだ。ガスが去来するが、周辺の景色は見える。岩稜の山頂部がまだ結構高く見えている。カールの中には雪渓が残り、山頂稜線と北稜線の岩稜の間をスカートの裾を広げたようにカール底の草原が遠く広く延びて、遥か彼方にぽつんと赤く黒部五郎小屋らしいものが見えているのだった。何とその遠く見えること!一体何時にそこに辿り着けるのだろうか…既に時刻は4時28分になっていた。

 もう気力だけで荷を担ぎ上げ、カールの中を下るジグザグ道を降りていく。岩稜から直ぐにコバイケイソウの大群落の中を、雪渓が見える下まで降りるのだが、そのコバイケイソウの見事なこと!かつて蝶ヶ岳から大滝山までの道でコバイケイソウの大群落を見たが、ここはそれ以上、こんなところは他に無いだろう。しかし、この見た目は白く綺麗な花も、これだけ沢山だとその異臭も鼻を突く(公衆便所のような臭いがするのだ…この花は)。カール内に降りると、その景観には更に圧倒された。黒部五郎頂上側の岩の城塞も見事だが、その下に残る雪渓からは、ほとばしる水流が幾らも下っていかない内に川の様に大きな流れになっている。羊群岩とも呼ばれる頭の丸い岩がばら撒かれた周辺はチングルマやハクサンイチゲが咲き、あちこちから水流が網の目のように流れている。それを大きく囲むのが城塞の岩壁・岩柱群で、折りしも見上げる稜線の肩付近には、傾いた太陽がその日の最後の煌きを輝かせて、逆光でこれらの光景を浮かび上がらせる。今、このカールの中には、ぼく以外人一人居ない。そして岩稜の手前にはコバイケイソウの白い大群落が額縁の様になって浮かび上がっていた。あまりに荘厳で圧倒的な景観には、声も出ず、背が粟立つ様な感覚が波のように全身に広がる。黒部五郎のカールがこんなに規模が大きくて美しいところとは思ってもみなかった。涸沢以上の美しさだったし、雲ノ平以上の感動だった(もちろん、季節や時間、そしてその時の状況によっても感じ方は変わるだろう)。

 その素晴らしい眺めとは裏腹に、疲れ切った身体と肩に食い込むザックの重さ、そして川の様な流れを縫いながらのコースを指し示す白ペンの目印と、同じ様に幾つも置かれた黒部五郎小屋の方向を示す標識類の中に、『黒部五郎小屋まであと2時間』という、非情な文字が書かれているプレートを見るにつけ、その場に倒れこみそうなほどがっかりし、途方に暮れる気分に支配されるのだった。何時の間にか、目指す小屋は視界から消え、下るにつれて樹林を横切るようになった。5時も回り、いよいよ頑張って歩いていた気持ちも萎えてくるのを感じる。道は下り一辺倒から、上り下りになり水流を横切り樹林を抜けていくものになった。まだか…。余りに疲れて、今日はテントから食料まで一式全て持っているから、いっそのこと、その辺の茂みでビバークでもしようか、とまで考えた。惰性で幾つかの水流を渡って、ようやく赤い屋根の黒部五郎小屋が直ぐそこに見えた。

 5時25分になんとか小屋に辿り着いた。早速、幕営の手続き済ませ、小屋から100m程東にあるテン場まで行くが、小屋泊まりの人たちはもう夕食の時間になっている。小屋の周辺にも人が何人も居るが、泊まり客はそれ程多くないようだった。黒部五郎小屋のテント場は小屋の裏からコバイケイソウ(この周辺も大群落だが、この辺りは既に花期をやや過ぎた感じ)の咲く湿原の中を木道で進む、上下二段のテント場の上段は、もうほぼ一杯(7割くらい)、下のテント場は上より広いが3張りしかテントが無かったので、一番外れの一角にテントを張る。この時間では、テン泊の人たちもあらかたは夕食を済ませ、歯を磨いている人もいた。テン泊している人たちは、単独あるいは2人の個人パーティーばかりで、今日は団体は居ないようだ。水はテントの直ぐ近くに導水された水場があり、勢い良く流れ出ていた。速攻でテントを張り、直ぐに夕食を作る。といっても、アルファ米とレトルトカレーに魚の缶詰の到って簡単なもの。湯が沸くとアルファ米が戻る15分が待ちきれず、10分程でカレーをかけて食べてしまった。疲れていたけど、カレーなので何とか食べられた。アブや蚊が多くてテントの周辺をブンブン飛び回っているが、不思議なことにここに居た2日間全く刺されなかった。

 食事を作っている間、ハイマツの茂みからオコジョが出てきてテントの周りをぴょんぴょん飛び跳ねている。直ぐ近くまで来て、何か食べ物が無いか探している様な感じだ。かわいらしい顔をしているが、実は小さな殺戮者でもある獰猛な動物なのだが、それにしても、食事後もしばらくぼくの周りをぴょんぴょん跳ねて、時々立ち止まってはジッとこちらを見ているのだった。かわいい訪問者は、ぼくが寝るまで周囲をうろうろしていたが、テントが急に増えた翌日は残念ながら一度も顔を見せなかった。

 食事を済ませ、ほっと一段落すると、既に薄暗くなり疲れていたので直ぐに寝てしまった。翌日は、最初の計画では水晶岳を空身でピストンすると言う大変元気の良いものだったが、とても翌日早起きして水晶岳ピストンという気分でもないし、体力的に限界まで頑張ってしまった翌日に、それはとても不可能だった。それにしても、久々のテントを担いで、歩行12時間オーバーは堪えた。この時点では、次の日は一日寝ていようかと思った程疲れきっていた。


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2 コメント

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テント担いで12時間ご苦労様です (ノラ)
2013-08-17 09:25:53
あさぎまだらさん おはようございます。テント担いで12時間も登ったのですか。お疲れ様です。うーん。私はもし行くことがあったら,小屋泊まりにします。コバイケイソウが悪臭になるほど咲いているのを見たことがないのでへーです。雪と低温と風に浸食された山稜の岩の景色は圧巻ですね。さすが3000mに近い場所。黒部五郎のカールは覚えておきます。あさぎまだらさんが訪れた1日後にネットで知っている人が2人も訪れているようでその筋の人を引き付ける魅力がある場所なんですね。ポケットに入れてみます。オコジョも見たことないし。まだまだ暑いですね。夜中に扇風機に当たって寝てたせいかのどが痛くて山はまたしてもお休みです。
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黒部源流山域 (あさぎまだら)
2013-08-17 10:01:47
ノラさんおはようございます。
ぼくも今日は午後から仕事なので、明日も山は休みです。暑いですねえ。北アルプスもちっとも寒くありませんでした。陽が当たると暑いので平地にいるようでしたが、平地はそんなもんじゃないですね炎暑ですからね。
ところで、黒部源流山域は北アルプスの他の地域と違って山が大きく広大な感じがします。鋭角的な山は少ないので南アルプスの雰囲気です。テン場で一緒だった人は毎年この周辺ばかり来ていると言ってました。この地域以外は北アルプスに興味がないという人も居ました。この広大さと、北アにしては静かなことが人を惹きつけるのでしょう。黒部五郎にしても雲ノ平にしても北アルプスの他の地域をあらかた歩いた後に来る人が多いみたいです。ハマってしまう山域なんでしょうね。とにかく広々した景色です。
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