今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・マムシ岳、船坂山

2013年12月11日 | 山登りの記録 2013
平成25年12月8日(日)
 マムシ岳1,307.5m、船坂山1,446.2m

 早くも12月、今年もあとわずかになってしまった。秋山の消化不良を引きずる感じで、気持ち的にはまだ2,000m級の山に目が行ってしまう。前回の新治周辺の低山辺りも、今週末にはまた寒波がやってくるということなので、次第に雪に埋まっていくのだろう。となれば、南の方の低山にシフトする事になるわけで、久々に西上州方面の地図を見て登る山を探した。この方面は集中的に登っていた時期もあったが、このところ年に1回程度しか行くことも無くなった。しかし、地図を良く見ると、登っていない山がまだ幾つもあるのだった。そんな山の中で、上野村のマムシ岳、船坂山、品塩山辺りは重鎮さんの記録くらいしか見なかった10年前とは様変わりし、薮山ハイカーが増えたこともあってか、今ではネットの記録も随分多くなっていた。ぼくが登ったころには記録を見なかった蟻ヶ峰や大蛇倉山なんかはもう普通の山になっている様だし、この10年くらいで随分この方面のマイナー峰も陽の目を見るようになってきた。赤火岳とかブドー沢の頭あたりは、それでもまだ静かな様だが…。

 土曜の夜に家を出る。ぶどう峠への県道は11日の水曜から冬期通行止めになるというが、久々にこの道を車で上がる。一時は通うほどに走りなれた道だ。まず最初に登ろうと思っているマムシ岳は、この辺りに林立ちしている送電鉄塔巡視路を利用して短時間で登れるということ。ネットの情報を見た限りでは、マムシ岳へのルートは幾つもあって定まってはいない様だった。その中でも県道のWヘアピンカーブの所から付けられている安曇幹線2号線の202・203号鉄塔への巡視路が最も早く短時間で往復できそうなのでこれを利用することにした。多くの記録では、何故か西寄りに大回りして201号鉄塔巡視路から稜線に登り上げ、下り気味に稜線を辿ってマムシ岳に到り、下りは202号鉄塔付近から巡視路または尾根を直降するルートを取っているようだ。わざわざ大回りする理由も良く分からない?Wヘアピンカーブの日向沢側にある駐車スペースに車を停めた。夜の11時、気温は2℃で、空は星が瞬いている。直ぐにシュラフに潜って眠った。

 携帯を家に忘れてきたので、アラーム無しだったが6時半に目が覚める。ここは谷底の様なところなので、まだ少し薄暗かった。パンを食べて支度を済ませ、7時8分に出発する。直ぐ後ろに日向沢の流れがあるが、そこには東電の黄色いプラ標が立ち『安曇幹線2号線202・203号に至る』と書かれている。丸太の橋を渡って対岸を沢沿いに歩くと直ぐに201はそのまま直進、そこで分かれる枝沢を指して202号のプラ標が立っていた。沢沿いに落ち葉に埋まった道を登っていく。やや不明瞭なところもあるが、時々ピンクテープもあって問題は無い。道は沢から離れて右の尾根を大きく迂回するようにじぐざぐを切って登っていく。周辺はカエデやリョウブなどの細い木に落葉松も混じる明るい斜面だ。少し汗ばむ頃、202号鉄塔に7時46分に着いた。

 202号鉄塔はかなり傾斜のきつい斜面にひな壇を作って立っていた。余り大きな鉄塔ではない。ネットの鉄塔マニアによると、その形状から『バンザイ鉄塔』と呼ぶらしいが、成る程バンザイをしているような形に見えなくも無い。ひな壇の下を見ると、木々に赤いペンキマークが付いていたので、これはこの鉄塔がある尾根を直降するルートを示しているのだろうと思われた。西には202号鉄塔と同じ様な201号鉄塔が見え、日向沢対岸の船坂山辺りの山塊が見えている。東南には、ようやく昇ってきた陽が逆光になって、ゴツゴツした上武国境の山々をシルエットにしていた。鉄塔ひな壇に植栽されている被覆植物の上には、バラ撒かれた様にシカの糞が散らばっている。

 鉄塔ひな壇の上に203号を示すプラ標とそこへの道が、ここから東にトラヴァースしている様だったが、細い木々がびっしりと茂った尾根をそのまま直上する。傾斜は急だが木々につかまって細木の間をすり抜けるように上を目指す。細木(リョウブやカエデ、ツツジなど)はびっしりと斜面を埋めているが、足元にはヤブが全く無くて歩き易い。それ程登らないうちに上部が明るくなり、程なく松が多く生える岩稜に出た。岩に付き当たったのでそれを避けて右に回りこみ、岩と岩の隙間から稜線に登り上げた。岩稜を少し進むと目の前に松の生える突き立った岩峰が現れた。もうそれがマムシ岳らしい。一旦岩場を下って小さな鞍部に降りる。ここから左に登っていくと、やや外傾した3m程の岩棚(バンド)を伝って北側に回りこむ。バンドの下は10m程切れているが、木々もあり岩棚の幅は1mくらいあるので、濡れていたり、雪があるのでもなければ特に問題は無い。その先もしばらく岩屑がザラついたバンド状になって、今度は右に巻き込むように木の根が絡んだ急斜面を登っていくと岩峰の上に出た。ここが最高地点だが、マムシ岳の山頂はここから小さなギャップを越して、ナイフリッジの先で再び登り上げた松ノ木が茂る岩稜の先だった。3m程のナイフリッジは幅も狭く、左右が切れて跨いで越えていく様なものだったが、これは北側に巻き道があった(帰りに気づいた)。8時27分に三等三角点がある山頂に着いた。山頂は南側が切れて眺めがある。眺め自体は手前の岩峰西端の方が良かった。

 逆光で南の眺めはまぶしい。鉄塔で見たものを更に高い所から見た感じで、上武国境のオオナゲシや大山・天丸山の向こうに遠く両神山、正面には幾つものコブの諏訪山や帳付・ブドー沢の頭等が見える。西は上信国境に繋がる尾根だが、木に邪魔されて良く見えない。手前の岩頭まで戻ると、稜線の果てに厳ついぶどう岳、南西には一際高く見える大蛇倉山や蟻ヶ峰、上信国境の向こうには御座山の頭が覗いていた。北は十石峠への国道が山の中腹から稜線沿いに走っているのが見え、石灰岩壁の目立つカイト山が直ぐそこに大きく見えた。山頂の方が余り眺めは良く無かった。細木に『山が一番さん』の茶色いマムシ岳のプレートが一枚あるが、その他にプレート類は見当たらない。ネットで見たしばらく前の記録では『すかいさん』のものと『達筆』の写真を見たが、その後無くなってしまったのだろうか?

 一通り写真を撮って、あっけなく短時間で登れてしまったこともあって、折角背負ってきたザックの中身は何も出さないで、そのまま8時41分にマムシ岳を下る。下りは岩稜にマーキングしておいた地点から202号鉄塔に降りて、行きと同じく巡視路を戻った。9時37分に車に戻ってきた。

 車に乗って、次の船坂山登山口までぶどう峠道を上って行く。しばらくヘアピンを幾つかして大きく南に回りこむカーブ地点に『ぶどう峠林道』の標柱とゲートがある。ゲートには「ここは国有林の専用林道です。一般車両の侵入を禁止します。」とあり、ゲートが閉まっている。このゲート先県道のカーブ地点が幅広になっているので、ここに車を停めて10時に出発する。歩き出した林道は舗装こそされていないが、普通の林道よりかなり幅が広かった。山襞をうねうね平行移動して、930mで林道は終わった(終点に林道延長930mとあった)。林道からは先程登ったマムシ岳の稜線が目の前だ。山並みの中腹を走っている送電線の上に、松の緑を点々と載せた岩の砦みたいな岩峰が幾つも突き出している。その一番東のものがマムシ岳で、他のものより鋭角であるだけに目立ち、この岩峰に名前が付けれている所以だろう。

 林道終点には背の高い送電鉄塔が立っていた。鉄塔基部まで登ってみると、上武国境のゴツゴツした山々が遠望できる。鹿岳や妙義の向こうに榛名の山並みも見えていた。鉄塔の背後に続く尾根にスズタケの切り開きが延びている。シカの糞が点々とあるので、これもシカ道なのだろうが、先に登っていくと朽ちた切り株が沢山あったので、あるいはかつて樹木伐採用に古い作業道があったのかもしれない。今のここは細い雑木が茂る山だが、これらの大きな切り株を見ると巨木が茂る山だったのだろう。

 鉄塔と同じ高さまで登らないうちに眺めのある岩コブに出る。そこからは北面の眺めが良い。ぶどう岳が、ここからだと岩の角を尖らせた随分立派な山に見え、その南下にぶどう峠道の県道が線を画していた。最初はスズタケの切り分け道だったが、そのうち細い雑木が密生した尾根になってスズタケは無くなり、相変わらずシカ道様の踏跡がずっと続いていた。テープ類は山頂近くになるとあったが、そこまでは特にマーキングもなかった。しばらく登るとシャクナゲやアセビが低木層に出てくるが、藪と言える様なものも無くどんどん登った。しかし、良く見るとシャクナゲは別として、足元には笹の軸が沢山あるので、笹薮だったものをシカが食べつくした結果として藪が無くなった様にも見えた。後で大分前に登った記録を見たところ笹薮があったように書いてあった。

 寒さで葉が縮こまったシャクナゲが多く生える急斜面になる。登り上げた所はもう船坂山の山頂部だった。そこまで来たら、下降点のマークと思われるが、赤や黄のテープが幾つか木々に付いていた。船坂山の山頂部は矩形をしている。登り上げた岩のあるピークは山頂では無く、緩く上り下りした先の黒木のピークが山頂だった。この山頂周辺は地図には記号が無いが、全体に薮岩峰の集合体みたいになっていた。10時57分に葉が落ちたこの時期でも樹木に囲まれて薄暗い船坂山山頂に着いた。57分で登ってしまった…。

 山頂の南側が明るく見えるのでそこまで行くと、岩混じりの急斜面に生えていた大木がそっくり倒れていて、そこだけぽっかりと東側の展望が大きく広がっていた。北は鹿岳や妙義に榛名、南には上武国境の山々から奥秩父の高峰まで快晴の空の下で良く見えた。この後登れたら登ろうと思っていた品塩山は直ぐ向かいに近く見える。時刻は11時を回っている。この時期は陽も短く、3時を過ぎると夕方のようになって4時過ぎには暗くなる。これから直ぐに下っても、12時半に品塩山を登りだせれば良い方だろう。先人の記録からだと、登りで2時間半くらい、帰りは下手をすると時間切れで暗くなってしまう。お昼で終わりでは物足りないが、欲張らずに今日はこの船坂山で終了とすることにした。

 船坂山の山頂には三等三角点標石があり、木に大分疲れてきている達筆名板が付いている。他にはプレート類は見られなかった。陽が指す東の端に行って一休み。風も無くて、冬型になっている割には寒くないほうだろう。でもイヤーマッフルの付いている帽子を被っていないと耳が冷たくて痛くなるのだった。王林リンゴやパンを食べ、まだ物足りなかったので湯を沸かしてカップラーメンを食べた。もう今日はここから降りるだけなので山頂でゆっくりした。11時42分に山頂を後に来たルートを引き返すが、あっけなく鉄塔まで戻ってくる。ここも眺めが良いのでしばらく眺めを楽しんでゆっくりしてから引き返したが、それでも1時には車に戻って終了。マムシ岳と船坂山の2山登っても、何となく登り足りない軽い山だった。

 ぶどう峠道を降りていくと最初の集落の中にある浜平温泉『しおじの湯』に寄って行く。ここは3回目くらいだった。こんな山奥なのに、まだ時間が早かったせいか入浴客で賑わっていた。ゆず湯のサービス期間中ということで、折角の温泉が家庭のゆず湯みたいに、ゆずの臭いで一杯だ。お湯に大きなゆずが幾つも幾つもぷかぷか浮かんでいる。露天風呂のお湯にはゆずが入っていなかったが、やはり少し塩素臭がした。ゆずの臭いの方が幾らかマシだったかもしれない。冷えた身体は良く温まった。上野村を後に湯ノ沢トンネルを抜け、南牧の道の駅「オアシス南牧」で、久しぶりにこんにゃくと南牧味噌を買ってから帰路に着いた。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マムシ岳と船坂山は行きたいですね (ノラ)
2013-12-11 21:57:16
あさぎまださん こんばんは。マムシ岳と船坂山はぜひ行きたいです。マムシ岳はいかにも西上州の岩峰っていう形をしてますね。展望も良さそうだし。船坂山の達筆は味わいがあっていいですね。短時間で登れるのもいいです。ポケットに直行です。
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西上州の典型 (あさぎまだら)
2013-12-12 00:07:41
ノラさんこんばんは。
マムシ岳も船坂山も、かつての秘峰返上で、今ではかなりの人たちが登っているようでした。短時間で登れるいかにも西上州の藪岩山って感じが良いんですね。
かといって、多くの人と会うことはありえないでしょうから。
マムシ岳はエアリアで破線扱いになっているみたいですね。今までは登山対象になっていなかった山です。これから益々人が来るようになるんでしょう。
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頂上の看板 (てくてくA)
2013-12-17 23:51:41
はじめまして
てくてくAと申します。
マムシ岳に12月14日に行ったのですが、あさぎまだらさんが11日に撮った写真に写っている頂上の山名の看板も三角点横の山名が書かれた杭も影も形も無くなっていました。
誰かが何か意図があって撤去したのか、いたずらで取り外したのか・・・・
あさぎまだらさんの記事を見つけて、写真を見て驚いている次第です。
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残念なことですね (あさぎまだら)
2013-12-18 00:18:26
てくてくAさんはじめまして。
そうなんですか。非常に残念なことですね。プレート類を快く思わない、外して歩いている人も居るようです。すかいさんのプレートも名指しで外している人がいました。どうなんでしょうか?あまり沢山プレート類が付けられているのもどうかと思いますが、わざわざ外して歩く行為も嫌味なものですね。二つとも無くなっているということは意図があるのかもしれません。
11月に登った静岡・山梨県境の雨ヶ岳でも山頂のプレート(こちらは大きなものらしいですが)が無くなっていました。
寂しくて残念な人がいるんですね。
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